すごい人だかりの中で大雅は、C-6番ゲートを探している。
 夜は更け始めている。
 日曜日のこの時間は普段、おれも、大雅も、授業を受けている、はずだった。
「おい、大雅」
「なんだよ」
「塾マジで休んでいいんかな〜」
「大丈夫だって! おれが、隆斗も試合で行けないって言っといたから」
「マジかよ〜、結果とか聞かれたらどうする〜」
「優勝しましたでいいだろ、あ! 見つけたあそこだ!」
ゾロゾロと多くの人がドームの中に入っていく。みんな、冬月さんのストラップとか、イラストが描かれたタオルとかを身につけている。
 なんか、初めて知った気がする。クラスでは、俺と大雅しか聴いてなかったのに。
 冬月さんのファンって、こんなにもたくさんいたんだ。
 親に塾行ってくるって言って、自転車で駅まで行って、そのまま、ここまで来てしまった。
 なんか、ドキドキする。ズルしてるみたいだけど、大雅とズルして塾を休んでいるから、心の隅っこにとても深い安心感があり、そこにしがみついているような感覚がある。
「隆斗、あの列に並ぼう」
「うん」
 お兄さんにチケットを見せ、リュックの中身を見せた。C-6のゲートをくぐると、ちょっとした廊下がある。その奥に観客席への小さな入り口がある。カーテンがかかっていて、そこをくぐるみたいだ。
「いこう」
「うん」
 カーテンをくぐった。
 目の前が、薄暗く、とても広い空間へと変わった。
 ぼんやりと、歌詞なしの知ってる曲が流れている。
 大きなモニターが前にあり、そこに大きく、冬月、と書いてある。
「こっちだ」
「うん」
 俺は、大雅の後ろに着いていく。
 2階スタンド席の、丁度真ん中。全体が見渡せる。
 人がたくさんいる。
 前にステージがある。
 あそこで、冬月さんのは歌うのか……。
 
会場が、一気に暗くなった。
 鼓動が早くなる。
 歓声が上がる。
 マイクから、綺麗な歌声が聞こえる。
 そして、ワンフレーズ歌い終えると、長めの間奏に入ると同時に、ステージが白のライトで一気に照らされた。
 そこには。
 
 本物の冬月さんがいた。

 モニターに大きく映し出される冬月さんは、大きめの、黒い、ダメージの入ったパーカーのフードを深く被り、マイクを持ち、猫背、マスクをしていて、目は見えない。
 そして、間奏の間に、冬月さんが話し始めた。
「……冬月と申しま……す。お願いしまーす……」
 ……あれ。
 ……喋り口調は、いつも歌う時の冬月さんとは打って変わって、小さく、弱々しい声なんだ……。
 間奏が終わり、Aメロに入る。
 ステージの照明が緑に変わり、それと同時に会場のブレスレットも緑に変わった。
「なあ、隆斗」
「うん。初めて」
「初めて聞いたよな、冬月さんの話し声」
「うん」
「あんな感じなんだ……」
 サビに入った!
 会場が一気に赤色に変わり、レーザー光線がバーっと出てきた!
 ハイトーンボイスの彼は、フードを取り、力強く歌う! でも、演出で目のところはライトが照らされないで、暗くなってるから顔は見えない。
 曲も調が変わっては戻り、テンポが早く、そしてとても綺麗な声!
 男性にしては超高難易度なhiGの音も、下を向きながら一気に歌い切った!
 カッコ良すぎる!
 サビを歌い切った冬月さんは、少し息切れをした様子で、また、フードの中に隠れてしまった。
 すごい。
 すごすぎる。
 あんな話し方の人でも、こんな大人数の前で、痺れるような歌声で、歌うことができるんだ。
 そんなことが、現実にあるんだ。
 歌い手の世界って、すごい……。
 
 その後も2曲ほど歌い終えた後、少し間が空いて、スポットライトの当たる冬月さんが口を開いた。
「……こんにちは」
『きゃーーー!』
『うおーーー!』
 歓声が上がる。
「……頑張って歌うから、お願いします……。そういえば、さっき、ラーメン行ったら、美味しくて、みんなも行くといいと思いますよー……」
 フードに目が、隠れている。
「冬月さんって、あんな感じなんだな……」
「うん……でも、なんか、すごいよね」
「すごい」
「ちなみに、今日、Snowing springって名前のライブなんですけど、隠された理由があって……あるんですが……」
 おおおおっ!と歓声が響く。
 なんだろうか。
 springは春って意味だから、今春だからでしょ?
 冬月の冬だからその感じでsnowだと思ったけど、冬はwinter、じゃあ、snowは……
「……僕の、友達が来ていまーす……」
 snowは、雪……。つまり、まさか!
「僕の友達……ゆきとPです……」
 え!
 まじか!
 後ろから、サングラスをかけた、ベージュのスーツのジャケットのようなシャツにインナーは白のTシャツ、ズボンは黒のデニムというキレイめコーデで、ゆきとPが現れた!
「こんにちはー!ゆきとでーーーす!おーい、冬月、テンションひきーよ! もっと上げてかねーと!」
「……お前みたいに元気出ないよ……。」
「あー?もう曲作ってやんねーぞ?」
「……勝手にすればー……。おれ一応、作曲できるし」
「あー! 言っちゃった。俺音大出てるけど? それも名門の日本音芸出てるけど? 俺に勝てるの?」
「……作れるし」
「じゃーお前の作った曲聞かせてみろよ」
「……いいよ」
 ステージが、一気に暗くなった。
 冬月さんが自分で作った曲……?
 初めて聞くかも……。
 ステージの照明が赤一色に照らされた。
 激しいドラムが一気に鳴り響く。
 そして……。
「ワァァァァァッッ!」
 冬月さんが、ダミ声で渾身の叫び、シャウトを入れた。
 そしてそのまま超ロック調のAメロが始まる。
 冬月さんはフードをつけながら、頭を上下に動かしながら、迫力のある声で歌っている。
 冬月さんは、フードを取った。
 アッシュグレーで短髪ツーブロックの髪が顕になる。顔は、マスクをしているのと暗くなっている演出で見えない。
 照明が、水色で照らされた。
 サビに入った。
 ゆっくりとした、優しい歌声で、会場を包み込んだ。
 声は高い。綺麗すぎる。
 何故かはわからない。
 でも。
 すごく、震える。
 いつもボカロの曲を歌ってるのに、こんな全然違う曲を作って、こんなに感情を動かすことができるのか。
 たくさんの、声を、彼は持っているんだ。
 サビが終わると、また。
「ワァァァァァッッ!」
 とシャウトを入れ、そのまま歌い続けた。

「おいおい、めちゃくちゃいい曲じゃねえかよ! 冬月!」
 ゆきとPも少し驚いている。
「……そうかな、本当はあんまり自信なかったんだけど……」
「いい曲だよな、みんな!」
『ワァァァァァ!』
 歓声が上がる。
「……ありがとう。」
『キャーーーー!』
「ゆきとPも、歌いなよ……」
「え? おれも!?」
「うん……」

 そうして歌い出したゆきとPは、冬月の力強くもしっとりとした声と比べて、軽やかな、でも高い声もスッと耳に入ってくるような声だ。
 サビに入った。
 高音は、俺たちの心へ訴えかけているような、ハッキリとした発声で。
 とても、上手だ。
 とても。
 ゆきとPは、曲が作れる。
 それしか知らなかった。
 でも、歌うとこんなに、上手なんだ。
 そういえば、ボカロPから歌手になった人とか、多いよな。

 ていうか。

 脳内に、一気に流れ込んでくる。修学旅行の帰りのバスで、昌磨に勧められ、思いっきり、流行っているブルパミの歌を歌った情景が。
 そして、歓声。
 楽しさ。
 盛り上がり。
 あの、団結。

 今、ドームの2回席の真ん中。
 会場の全体が見渡せるその席で、その情景と今目の当たりにしている景色を照らし合わせる。

 スケールが、違いすぎる。
 あの時と。
 こんな大人数の前で。
 でも、わかる。
 あんなに、人前で話すことが恥ずかしくても。
 自分が好きな曲だったら。
 みんなに自分の歌を聞いてもらうこと、そして、共感してもらうことは、楽しい。
 すごく、楽しい。
 光、声、演出、友達、そして、ファン。
 声を使い分け、自分の思い通りの曲を、聞いてくれる人がこんなにも。
 こんなにも、たくさんいる。

 立ってみたい。
 あそこに。
 今すぐにでも。
 立ってみたい……。
 
「おい、隆斗」
「何だよ」
「おまえ、何でそんなに泣いてんだよ!」
「え? 泣いてる?」
「何で気づかねえんだよ! 涙でボロボロじゃねえかよ!」
「……ああ、そっか」
「でもお前、泣いてるのに」
「うん」
「お前の目、めちゃくちゃ」
 大雅の方を見た。
 大雅は、驚いた顔で俺を見ている。

「輝いてるぞ」

「輝いてる……?」
「うん。めっちゃ、輝いてる」
「そっか……」
「とりあえず拭け! ほら!」
 大雅は、俺首から下げている冬月さんのタオルを、俺の目に押し当てた。
――
 電車の中の景色が、動いているのに、止まっているように思えるのはなぜだろうか。
 左の窓に肘をかけ、ぼーっと、外の景色を眺めながら、そう思った。
 星が煌めく。
 2人席の右側では、大雅がスマホをいじっている。
「……なあ、大雅。楽しかったな、今日」
「ああ……てかお前、途中、めっちゃ泣いてたじゃんマジで、おれも感動したけど、ほんとすごかったよな」
「ああ……。すごすぎて、言葉にならなかった」
「だよな」
 電車の中の景色は、どんどんと進んでいく。
「……なあ、隆斗」
「ん?」
「自分のやりたいことを追いかけるのも、悪くないかもよ」