x+x²
 黒板に書かれた一つの式。
 その下に、黄色で、
 x(1+x) と書く。
「今、先生が何をしたのか。答えられる人」
 先生がペンを構える。教壇には、ファイルと、生徒の座席表が置かれている。
 6人の手が上がる。
 少し風が吹き、カーテンがなびいた。
 そこから覗く左の窓からは、青く染まった空と、真っ白に光る太陽が見える。その光が海に反射して、キラキラと光っている。
 窓側の一番後ろ。
 この席は、景色もきれいで、クラスの様子も見渡せるし、内職もできる。
 ……ノートにコードを書いていく。
 どんどんどんどん、今日は、なんか、頭が働くなー……。
 たくさんメロディーが浮かんでくる。
 現実逃避、してる。
 ……いいでしょ、別に。
「はい。じゃあ、岩田」
 目の前に座る隆斗が当てられた。
「共通因数でくくりました。」
「ありがとう、岩田。じゃあ、今からマイコンパスを書く時間を少し取る。思考点に入れるからなー、しっかり書けよー」
 全中直前トーナメント。全中の直前に行われるトーナメント。
 俺らは、いつものように一回戦負け。りゅーとは、どうだったんだろー……。でも、試合に出られてなかったよなー……。
 ……部活なんて、やってもあんまり意味ないし。高校に入ったらバレーをやめようとさえ思う。きつい練習をするくらいなら、弱いチームメイトと部活をするくらいなら……辞めたほうがまし。顧問の先生は全国に行きたいとか語ってるけど、無理なことばっかり何言ってんだって思う。
 
 給食の後、広い音楽室で、号令の後まず配られたのは、右上に番号と名前を書く欄があるだけの、A4の白紙のプリント。
 鑑賞テストが行われ、授業の終盤プリントを集める時に、先生は言う。
「この鑑賞テストは非常にあなたたちの成績に関わります」
 ……何で終わりがけに言うんだろう。
 授業か終わった。みんなが帰っていく中、夢佳は先生の方に駆け寄った。
「先生、さっきの曲、すごいよかったです!!帰れソレントへって、どんなとこに気をつけて歌えばいいんですか……」
 ……こんな風に、内申欲しさに先生に媚びる人を見ると、嫌気がさしてくる。みんな、何のためにそんなに頑張るんだろう。勉強も、部活も、そこそこできればいいのに。
 夢佳を見る横目に、大雅が映る。
「おい、行くぞ」
 昌磨、隆斗も一緒にいた。
 4人で音楽室を出た。

 昌磨が大雅に進路について尋ねた。
「俺は秋楽園高校! バスケつええし!」
 すると、隆斗が前を向きながら口を開く。
「おれ、秋楽園高校の音楽科のほうに行きたくて……」
 一瞬の沈黙が走るが、昌磨がみるみる笑顔に、ワクワクしたテンションに変わっていく。
「……まじ!? すげー! すげーじゃん! 俺、あん時、修学旅行の時、マジで感動したからさ」 
「マジか。お前、すげーな……」
 ……音楽科、かあ。
 ……隆斗は、音楽の道に進んで……何かしたい、のかなあ。
 ……俺は、何かやりたいことがある人の気持ちが、よく、わからない。
 ……だって、俺にやりたいことがないから。
 まあ、そりゃそうか。
 俺にやりたいことがないのなら、やりたいことがある人の気持ちなんて、わかりっこないよな。
 やりたいこと、ないはず、なんだよな。
 ……あー、また。こんなこと考えてる。イライラするなぁー。
 ……さっきの曲、もう少し和音を変えたら良くなるかもしれないなー……。
 ……ゆきとPに作ってもらう曲もいいんだけど、自分で作った曲も、なんか好きって言うか……。
 音楽って、……俺を、バレーから逃がしてくれるから、すごく……。
 あれ、でも隆斗って……。
「隆斗お前さあ、内申40超えたことなくない?」
「まあ、超えたことないけど……」
「あそこって確か、オール5じゃきゃダメなんじゃなかったっけー」
「まあ、そうだけど……」
 じゃあ、無理じゃん。
「……何でそんな無理なことしようとしてるの? てか、隆斗ってそんなに音楽詳しかったっけー」
「まあ、最近作曲とかしてるけど」
「……その程度でついていけんの?」
「……無理かもしれないけど、やってみた方が、ワクワクすることない?」
「そうかな。俺は、無理なことを理想に掲げると、叶わないのに、って思っちゃうから、あんまり好きじゃないんだよね」
 その程度でほんとについていけんのかよ。無理だろ。俺のバレーの、だって、無理だから、考えれば考えるほど、悲しくなるから……。
「そっか……」
「隆斗さ、お前、諦めた方がいいよ」

 
「帰れソレントへの歌のテストをしまーす」
 先生が高らかにそう叫ぶ。
 ……歌のテストかー。嫌だなー。うーん。まあ、ほとんど歌わなければいいやー。めんどくさいしさー……。
「それがしの園はー、仄かにも香り……」
 ……隆斗、歌上手いなー……。前のバスの時も思ったんだよなー……。てかあれ、隆斗って、声楽志望だっけ……。あーそっか、だからこんなにうまいんだー……。
 ……まあ本当は、隆斗より俺の方が上手いけどなー……。
 サビに入った。
「かえ〜れよ〜われをすつる〜な〜かえれソレントへ、かえ〜れよ〜」
 次は俺の番かー……。
 冗談で本気で歌ってみちゃおっかなー……。
 ……いや、そんなだるいことしたくないなー……。
 歌のテストを頑張る意味って、どこにあるんだろー……。
 ……あ、そっか。隆斗は、オール5を取らないといけないから、あんなに頑張ってるのかー……。
 何で、オール5なんて目指すんだろー……。何で、そんな難しい学校なんて目指すんだろー……。
 そこそこでもそこそこ生きていけるのにさー……。
 みんな、意味わかんなーい……。
 大雅も、スポーツ推薦って言うしさー……。
 昌磨も甲子園がなんちゃらー、とか言ってたし……。
 何が、そうさせるんだろー……。