『せんせー、なんで空は青いの。』
『それはね、隆斗くん……』
冬休み初日。制服に袖を通す。普段いつも着ているけれど、今日はなんか新鮮な気持ちになることができた。最近は結構寒いから、マフラーを巻いて、7時、家を出た。
空は、いつもよりも綺麗で、透き通るように青に染まっていた。
自転車のスタンドを上げ、サドルにまたがる。ペダルを漕ぎ始める。
少し風が吹いているのも心地よい。海がキラキラとしている。車が通り過ぎていく。朝日の光も眩しく、手で日差しを抑える。
駅に近づくにつれて、制服姿の高校生が増えてくる。自転車になっている人、歩いている人、走っている人、みんなこれから、高校に行くんだな。
俺も今から、高校に行く。
秋楽園高校の体験入学。大雅と俺が行きたいって言ったら、昌磨と俊太がついてきてくれることになった。
7時15分。駅に着き、急いでみんながいるところに行った。ちょうど今から点呼を取るところだったらしい。危なかった。
高校に着き、門をくぐると、一番大きな校舎を見ながら、昌磨がぼーっと感嘆の声を漏らした。
「すげー……」
綺麗な広場に、大きな花壇がある。人工芝で埋め尽くされた運動場に、大きなステンドグラスのある教会。研究所のような見た目の棟、少し古びた棟があり、その奥には、5階建てだろうか、大きなビルが建っていた。
ところどころにヒノキがそびえ、緑豊かでもあり、都市のようでもある。
自動ドアをくぐり、奥へと進んだ。すると、エレベーターが目に入った。学校にエレベーター……。夢を見ているみたいだ。
5階まで上がったところで、一緒に探索することを約束し、昌磨と俊太と別れた。
おれは太雅と、3年F組の教室に入った。
ホワイトボード、白い机、青い絨毯の床。椅子はキャスター式になっている。左前には32インチほどの大きなテレビが天井からアームで繋がっている。
大雅が俺の方を向く。
「ガリレオの問題さ、電車の中で、こっそりスマホで、物体をそのまま落とした時の速さの公式を調べた。その式は、v=gt。vが速度、gが重力加速度、tが時間。高校で習う、速さを求める公式だった。だから、めっちゃ難しい問題だったんだよ、あれは」
「そうだったんだ……」
「解けた? 隆斗」
「一応」
「すご」
「それでは席に座ってくださーい」
テレビで校内放送が流れ、学校の歴史や部活動の話などを聞いた。そのあとは、自由行動の学校見学に移った。
大雅、昌磨、俊太と4人で合流した。
「どこ行く?」
ぽけっと聞いた昌磨に、太雅が即答する。
「とりあえず飯でも食おうぜ!」
そう言って歩き出して止まらない太雅に、おれたちも着いていった。
奥に、階段がある。
小さな、細い階段だ。
エレベーターでは、最上階が5階だった。
しかし、もう1階あるのだろうか。
「ちょっと、あの階段行ってみようぜ。」
興味津々の俊太は、太雅を抜かしてずんずん先へと進んだ。
「あ、待って俊太」
おれ達はドキドキしながら俊太に着いていった。
階段を上がると、そこは狭いホールになっていた。視聴覚室、生物研究室、第3音楽室など、あまり入ることのないであろう教室がいくらか並んでいて、廊下の電気もついておらず、薄暗く、掃除もあまりされていないのだろうか。ほこりが多い。
その先には窓付きの小さなドアがあり、ドアの窓にはそれと同じくらいの大きな紙が貼られている。が、隙間から光が漏れている。
「あそこってさ、入ってもいいところなのかな……」
おれの問いかけに、昌磨は淡泊な返事をした。
「わからん」
「行こうぜ!」
太雅がそういって、先陣を切り、ドアノブに手をかけ、開いた。
少し優しい風を受けた。
そこには、見渡す限り雲一つない綺麗な青空が広がっていた。
人工芝で整えられた広めの空間を、高さ2メートルくらいのフェンスが囲む。
「すげー!」
俊太がフェンスまで走っていく。
「まってー!」
昌磨が走ってついていく。太雅も、俺も、2人についていった。
「「「「すげー!」」」」
ビル群や都市の景色、奥には、キラキラした海が広がっていた。
下に目を向けると、おれ達が下りた駅から電車が出発するのが分かる。
飛行機が空港から飛び立つ。
美しい景色と言われるすべてが、おれたちを迎えてくれている。
空が青い。
途轍もなく、青く、透き通っている。
「そうか、俺らは、これから、高校生になるのか」
「マジでそれな!」
俺のつぶやきに、太雅が反応してくれた。
『なぜ』
なぜ、空は青いんだろうか。
俺たちは、輪を囲んで座り、弁当を出した。
「これが高校の屋上か……」
昌磨が弁当を食べながらそう話した。
それを聞くと、太雅がククッと笑う。
「なんか、アニメみたいだな。こういうシーン」
確かに、ずっと、憧れてた気がする。高校の屋上で、友達と弁当食べるとか。
「そうか、俺たちは、これから高校生になるのか」
弁当に入ってるタコウインナーも、おんなじこと考えてるのかな。
俊太は、空を見上げ、呟いた。
「なあ、めっちゃ青いな、空。今日」
それを聞き、昌磨は、寝そべりながら言った。
「高校に入ったらどんな生活が待っているんだろう」
「全然、想像つかんわ」
大雅がそう言って、寝そべった。
俺も寝そべると、俊太も寝そべった。
上から見たら、四葉のクローバーみたいになってるのかな。
なんか、幸せな気分になってる。
高校生になったみたいで。
でも。
こいつらと過ごせる高校生活は今日が最後だって。
ちょっと悲しいけど、楽しい。
今日は快晴。
「なあ、なんで空って、青いんだろう」
そう、呟いた。
なんで、こんなに青いんだろう。
すると、大雅から返ってきた答えは、意外にも、真面目に考えているものだった。
「太陽って、白いよな。いろんな光を混ぜると白くなるって聞いたことがあるんだよね。だから、太陽からくるいろんな色の光の中で、ほかの色の光が消えて、青だけ残ったのかも」
太陽の白い光は、本当はたくさんの光が合わさって、でもいろんな色が消えて、青だけ残った……。
「じゃあ、なんで消えるんだろう」
なぜ、消える。
「うーん、眠たい」
さすがの大雅でも、わからないよな、そんなこと。
なぜ、空が青いかなんて。
俊太が、口を開いた。
「……でも、俺ー、青じゃなきゃ、嫌かもしれないなー。なんでなのかはわからないけど、夕方の紅い色って、なんか、寂しい感じするから……」
……そう。
……確かにそうだ。
青じゃなきゃ、嫌だ。
青だから、こんなに、別れが悲しくて、最初で最後の4人どの高校生活が、こんなにも、楽しい。
「……それで!?」
俺の問いかけに、俊太は答える。
「青色で、透き通ってて、高くて。俺達を、未来に、連れてってくれるような、そんな感じがしてさー」
そうだ。
青色だから、屋上に行くのにワクワクする。
青色だから、教室でうとうとしたい。
「でも、俺、お前たちとすごす高校生活って、今日が最初で、最後だから」
青色だから、いま、みんなで弁当を食べて、寝そべって、こんなに楽しい。
「今日だけは、日常なんて忘れて、最高の高校生活を送れって、俺たちに言ってるみたいで……」
そうだ。
そうだよ!
青色だから、高校生になりたい……!
「確かに」
大雅が、呟く。おれも、それに続ける。
「本当に、そうだな〜!だから、空ってあんなに青い……」
青が科学の力で、理論で出来ているのなら、今日はめっちゃ青いとか、無いはずだ。快晴の日は、同じくらい、青い。でも、確かに思う。今日の空は、今までで見たこともないくらい、透き通っていて、青色だ。
空は、青色じゃなきゃダメだ。青色だから、高校生になりたい。そんなこと、俺がどれだけ図鑑を調べたって、イギリスの名門大学の図書館に行って本を探したって、そんな記述は見当たらないだろう。
空が、『なぜ』青いのか。
発想の転換。
物体は質量に関係なく一緒に落ちるものであり、一定の速度ではなく一定の加速度で落ちるという考え方に転換しなければならない。
ひし形を、4つの三角形って考える。
空が青い理由は、白の光からたくさんの色が消えたからなのか。
いや。
もっと、別の理由がある。
太陽の光なんて、関係ない。
俺達が……
俺達が、高校生になりたいから……!
考え方が、世界中心から、俺達中心に、根本的に、発想が転換されて……。
「コペルニクス的、転回!それ、コペルニクス的転回だよ!」
「コペ……?」
「前やったじゃん国語で!天動説から地動説みたいな全然根っこから違うように考える考え方!」
そうか! そういうことか!
発想なんて、変えてもいいんだよ! 正解なんて、どこにあるかわかんねえんだよ!
「そうじゃん! そんなに難しく考える必要ねえじゃん! それだよ! それが、思考・判断・表現だよ! なぜの考え方の、真髄だよ! だから、お前は! 俊太は!」
発想の転換がこんなに簡単にできるから、難しい問題を、いとも簡単に、こなしてしまうのか!
「マジでお前、頑張ってんだな。やっと気づいたかー、隆斗、結局そうなんだよなー」
大雅は、全部お見通しってわけか。
『先生、なんでお空って青いの』
『それはね、お空が青いと、みんなで遊ぶ時間がとっても楽しくなるからだよ』
理由なんて、間違ったっていい。
発想を。
色んな発想を、色んな角度からできることが大事なんだ……!
昌磨が叫ぶ。
「何のことだよー!」
大雅が叫ぶ。
「空のことだよー! 俺たちを高校に連れてってくれよー!! ウェーイ! 絶対受かるぞー! 秋楽園ー! バスケするんだー!」
次に聞こえるのは、野球部の昌磨の声。
「俺も頑張るぞー! 甲子園待ってろー!」
「高校生になってやるー!」
へへ。俊太、こんな時もめんどくさがりなんだな。
「俊太目標ひきーよー!」
「じゃあ、隆斗、お前の目標、言ってみろよ!」
「俺は……」
「内申取って、絶対に秋楽園高校に入るんだー!」
「……なあ、何で隆斗ってさ、音楽の学科目指してんの?」
「それは……冬月さんみたいになりたくて……」
大雅が、にひっと笑う。
「俊太、こいつな、冬月さんのライブでギャン泣きしてたんだぞ」
「なっ……お前」
「そうそう。俺一緒に行ったんだけどな、目をキラッキラに輝かせて、冬月さんのこと、観てたんだよ」
「ばっ、お前、やめろよ」
昌磨も、それに続くようにして話す。
「隆斗、俊太のランニング計測してる時にさ、人の心を動かす音楽を、作って、歌って、届けたい、って、ぼーっとしながら話してたんだよ」
「ちーがーう、あれは……」
大雅がまたニヒッと笑う。
「認めろよ。隆斗。それで、もう一回、叫べ。空に向かって、夢を」
「もー、うるせえなぁ!」
俺は、スーッと息を吸い込んだ。
「秋楽園に絶対受かって、それで、冬月さんみたいな歌い手になって、日本一の歌い手になって、それで、曲もたくさん作って、日本の音楽シーンを一気に盛り上げて、それで、それで、俺の曲が、誰かの心を動かして、それで、俺の曲で、俺の曲で……」
もう一度、息を吸い込んだ。
「誰かの心を、ワクワクさせて、最高の感情にするんだー!!」
ふぅー、スッキリしたー!
「ほら言ったぞ。俊太も夢言えよ」
俊太は、寝そべりながら、スマホを触っている。ここは高校だから校則オッケーなのか。
「高校生になりたいって、言ったろ?」
「違うって、俊太、もっとでっかい夢、あるだろ?」
「ねえよ」
「あるだろ」
「ねえって」
「だって、一年の時、初めて会った時……」
「だからねえって! 隆斗お前さあ、本当に鬱陶しいんだよね」
「え……?」
何で、怒ってるの、俊太……。
「こんな弱小校でバレー3年間しちゃった時点で、もう終わりなんだよ。だから、もう俺は無理なんだよ。スポーツ推薦は来なかったし、もし強い高校に行ったって、どうせベンチだよ。だって、3年間のブランクがあるんだもん。それなのに、音楽の夢を目指すとか言って無理な癖にオール5とか無謀なこと目指してるとさ、本当にイライラしてくるんだよね」
「……でも俊太、一年の頃はさ、高校生のバレーの全国大会、春高バレーを目指してたんじゃなかった……?」
「だからそれに出ることがもうできないから言ってんだよ!」
「……出来るかもしれないじゃん、今から強い高校に入ってさ」
「無理だよ、3年間、誰も練習、付き合ってくれなかったから、練習なんてしてねえんだよ……。3年間もブランクがあったら、強い高校入ったってベンチから眺めるだけだよ。思ったよ、色々考えたよ。でもさ、現実的に考えて、無理なもんは無理なんだよ。そう思い始めてからはさ、バレーのこと考えるだけで、ああ、俺は春高に出られないんだな、って思いが込み上げてくるから、バレーのことは考えないようにしててさ、春高の夢は、俺の中に閉ざしてたのに……」
少し沈黙が流れる。それを、大雅が破る。
「何だよ、続き話せよ」
「……隆斗が、サッカーとか俺にやらせてドキドキの感情とかワクワクの感情を思い出させるから、またバレーがやりたくなっちゃったじゃんか! また、春高に出られない現実を、他の中学だったら、1年からずっとチームメイトに恵まれてガチで練習してたら春高で得られたかもしれない最高の感情を、もう得られないって、隆斗のせいで、隆斗のせいで、春高に出られない現実を、悲しさを、何度も実感させられたんだよ! 俺は!」
そっ……か。
俺が、俊太に。
最高の感情を。
ワクワクを、ドキドキを、思い出させちゃったから。
だから。
俊太は。
春高に出られないって言う現実と照らし合わせて。
『でもさー、りゅーと、なんでだろー、なんか、こんな感情を思い出すたびに、すごく、ものすごく……辛く、悲しくなる……』
『なあ、隆斗。胸が、ズキズキ痛むよ。何なんだろう、この感情。めっちゃ、胸がズキズキ痛むよ。悲しいよ。どうでもよかったはずなのに。夢は無理だったはずなのに。諦めてたはずなのに。なのに。そう、思えば思うほどに、胸が、ズキズキ痛いんだよ!』
悲しく、なっていたのか……。
夢を忘れよう忘れようと頑張っていた俊太に。
夢を。
春高を。
その、ドキドキを。
思い出させてしまったのは、俺……。
俊太は、サッカーとかでドキドキするたびに春高に出られないっていう現実をいつも自分に突きつけて、俺が夢を追いかけるほどに夢が叶わない自分と照らし合わせていたんだな。
俺が、俊太を、無意識のうちに、追い詰めていたのか……。
でも。
夢って、叶わないのかな。
本当に。
『……結構、無謀な挑戦なんだよね、秋楽園高校の音楽科に入ることって。オール5を取らないといけないから』
『うん』
『……それでもさ、無理だって思ってもさ、やってみたら、ワクワクできるかな』
『……出来るさ。この星空みたいに、俺たちには、無限の可能性があるんだよ』
……そうだよ。
可能性が少しでもあるのなら。
無理だって思ったって。
ワクワクできる、はずなんだよ……!
俺は、そう信じてやってきたんだよ……!
俊太は。
現実ばっか見てるけど。
現実ばっかり見てるより、夢見た方が、ワクワクするじゃん……!
そう。
伝えたい。
どれだけ、否定されても。
無理だって言われても。
俊太に。
一緒に夢、見ようぜって……!
目指そうぜ、って!
「なあ、俊太……」
瞬間、俊太は、スマホを地面に叩きつけた!
そのスマホが跳ね返って、俺の手の上に乗る。
俺は、それを、少しの好奇心で、偶然、見てしまった。
「おい、見るな、やめろ、見るなよ、隆斗、おい、やめろよ……」
登録者ほとんどいないけど、歌い手の活動をしてるから、だから俺は知っている。スマホに映っているこの画面は、そのアカウント主しか、見ることができない動画サイトのアナリティクスの画面である。
そこに表示されていたアカウント名は。
冬月
「俊……太、お前……」
「くっそ……そうだよ、俺が冬月だよ」
……え?
冬月、が、俊太……!
俺が、ずっと憧れてた……。
夢描いていた冬月さんが、本当は、こんなに近くの、俺の友達だった、ってこと……?
何、それ……。
これ、現実……?
そん……な。
「……は? じゃあ、俺が夢描いてた冬月さんは、お前、ってこと……?」
「そうだよ、俺だよ」
何、それ……。
信じたく、ない……。
信じたくない!
『なあ、隆斗何部入るの?』
『おれは、剣道部だけど……』
『え、じゃあ、高校でインターハイとか出るの!?』
『インターハイ……ってなに?』
『インターハイだよ! 全国のすっげー高校が集まる大会! 隆斗はそれに出るの、って聞いてんの!』
『あ、ああ。出るかも。』
『そっか! 俺、インターハイも、出たいんだけど……』
『うん……』
『俺は、高校に入ったら、春高で全国に行きたい! 春高バレーってあってさ、メッッチャ強い人たちが、全国にテレビで放送されるの! 俺はそこで、最強の俺のスパイクを、全国に見せつけてやるんだ……! だから、中学もバレー部に入って、練習するんだよ!』
『……そっか! いいな!』
『お互い、頑張ろうな!』
『……ああ!』
「……何で、何で歌い手なんてやってるんだよ……。春高に行きたくて、部活漬けになるんじゃなかったのかよ……。大会でベスト8取ったんじゃないのかよ……」
俊太は立ち上がった。俺も、大雅も、昌磨も、立ち上がった。
「何で歌い手やってるか? そんなの決まってるじゃん。現実逃避だよ。俺は、バレーのことを考えると春高にもう出れないんだって悲しくなるから、でも、冬月になっている時はバレーのことを忘れられるから、だから冬月をやってるんだよ。歌い手活動は、現実逃避の道具でしかねえよ。バレーの大会なんて、本当は勝ったことねえよ。だって、誰も練習付き合ってくれねーんだから……。せっかく現実逃避してんのに、お前が無理なことに挑戦しようとするから、それを見るたびに、俺は、春高に行けないんだって、悲しくなるんだよ」
「……は? 俺がずっと描いてた夢が、憧れていた冬月さんが、ただの現実逃避の道具……? そんな、そんなの……酷いよ……」
「……だから言わなかったんだよ……。大体お前さ、何だっけ? 無理なことだったとしても、やってみたらワクワクする、だっけ? だから、音大入って歌い手を目指す、だっけ?」
俊太の眼光がとても鋭い。
「……そうだよ。無理だと思うことだって、現実ばっか見てるより、夢見た方が……」
「俺はさ、物心ついた時から鍵盤握ってたよ。絶対音感だって持ってるし、小学校の頃は週3でピアノ、週2で合唱団。あとの2日は自主練習だよ。それで、ずーっとやって来て、やっと、まともに曲が作れるようになったんだよ。それがさあ、何? 中1からギター触り始めて、楽譜もまともに読めねえのに、作曲始めて、今から歌い手目指して冬月に追いつきます? 無理に決まってるだろ! そうやってバカみたいに夢見てるやつ見るとマジでイラつくんだよ!」
「でも……でも、 現実ばっかり見てるより、夢見た方が、ワクワクするじゃん……!」
「ワクワクするかもしれねーけどよー、悲しいじゃん! 悲しいじゃんかよ! 夢が叶わないって思っちゃうからさ! 悲しいじゃんかよ! なんでわかんねえんだよ、お前……」
『それはね、隆斗くん……』
冬休み初日。制服に袖を通す。普段いつも着ているけれど、今日はなんか新鮮な気持ちになることができた。最近は結構寒いから、マフラーを巻いて、7時、家を出た。
空は、いつもよりも綺麗で、透き通るように青に染まっていた。
自転車のスタンドを上げ、サドルにまたがる。ペダルを漕ぎ始める。
少し風が吹いているのも心地よい。海がキラキラとしている。車が通り過ぎていく。朝日の光も眩しく、手で日差しを抑える。
駅に近づくにつれて、制服姿の高校生が増えてくる。自転車になっている人、歩いている人、走っている人、みんなこれから、高校に行くんだな。
俺も今から、高校に行く。
秋楽園高校の体験入学。大雅と俺が行きたいって言ったら、昌磨と俊太がついてきてくれることになった。
7時15分。駅に着き、急いでみんながいるところに行った。ちょうど今から点呼を取るところだったらしい。危なかった。
高校に着き、門をくぐると、一番大きな校舎を見ながら、昌磨がぼーっと感嘆の声を漏らした。
「すげー……」
綺麗な広場に、大きな花壇がある。人工芝で埋め尽くされた運動場に、大きなステンドグラスのある教会。研究所のような見た目の棟、少し古びた棟があり、その奥には、5階建てだろうか、大きなビルが建っていた。
ところどころにヒノキがそびえ、緑豊かでもあり、都市のようでもある。
自動ドアをくぐり、奥へと進んだ。すると、エレベーターが目に入った。学校にエレベーター……。夢を見ているみたいだ。
5階まで上がったところで、一緒に探索することを約束し、昌磨と俊太と別れた。
おれは太雅と、3年F組の教室に入った。
ホワイトボード、白い机、青い絨毯の床。椅子はキャスター式になっている。左前には32インチほどの大きなテレビが天井からアームで繋がっている。
大雅が俺の方を向く。
「ガリレオの問題さ、電車の中で、こっそりスマホで、物体をそのまま落とした時の速さの公式を調べた。その式は、v=gt。vが速度、gが重力加速度、tが時間。高校で習う、速さを求める公式だった。だから、めっちゃ難しい問題だったんだよ、あれは」
「そうだったんだ……」
「解けた? 隆斗」
「一応」
「すご」
「それでは席に座ってくださーい」
テレビで校内放送が流れ、学校の歴史や部活動の話などを聞いた。そのあとは、自由行動の学校見学に移った。
大雅、昌磨、俊太と4人で合流した。
「どこ行く?」
ぽけっと聞いた昌磨に、太雅が即答する。
「とりあえず飯でも食おうぜ!」
そう言って歩き出して止まらない太雅に、おれたちも着いていった。
奥に、階段がある。
小さな、細い階段だ。
エレベーターでは、最上階が5階だった。
しかし、もう1階あるのだろうか。
「ちょっと、あの階段行ってみようぜ。」
興味津々の俊太は、太雅を抜かしてずんずん先へと進んだ。
「あ、待って俊太」
おれ達はドキドキしながら俊太に着いていった。
階段を上がると、そこは狭いホールになっていた。視聴覚室、生物研究室、第3音楽室など、あまり入ることのないであろう教室がいくらか並んでいて、廊下の電気もついておらず、薄暗く、掃除もあまりされていないのだろうか。ほこりが多い。
その先には窓付きの小さなドアがあり、ドアの窓にはそれと同じくらいの大きな紙が貼られている。が、隙間から光が漏れている。
「あそこってさ、入ってもいいところなのかな……」
おれの問いかけに、昌磨は淡泊な返事をした。
「わからん」
「行こうぜ!」
太雅がそういって、先陣を切り、ドアノブに手をかけ、開いた。
少し優しい風を受けた。
そこには、見渡す限り雲一つない綺麗な青空が広がっていた。
人工芝で整えられた広めの空間を、高さ2メートルくらいのフェンスが囲む。
「すげー!」
俊太がフェンスまで走っていく。
「まってー!」
昌磨が走ってついていく。太雅も、俺も、2人についていった。
「「「「すげー!」」」」
ビル群や都市の景色、奥には、キラキラした海が広がっていた。
下に目を向けると、おれ達が下りた駅から電車が出発するのが分かる。
飛行機が空港から飛び立つ。
美しい景色と言われるすべてが、おれたちを迎えてくれている。
空が青い。
途轍もなく、青く、透き通っている。
「そうか、俺らは、これから、高校生になるのか」
「マジでそれな!」
俺のつぶやきに、太雅が反応してくれた。
『なぜ』
なぜ、空は青いんだろうか。
俺たちは、輪を囲んで座り、弁当を出した。
「これが高校の屋上か……」
昌磨が弁当を食べながらそう話した。
それを聞くと、太雅がククッと笑う。
「なんか、アニメみたいだな。こういうシーン」
確かに、ずっと、憧れてた気がする。高校の屋上で、友達と弁当食べるとか。
「そうか、俺たちは、これから高校生になるのか」
弁当に入ってるタコウインナーも、おんなじこと考えてるのかな。
俊太は、空を見上げ、呟いた。
「なあ、めっちゃ青いな、空。今日」
それを聞き、昌磨は、寝そべりながら言った。
「高校に入ったらどんな生活が待っているんだろう」
「全然、想像つかんわ」
大雅がそう言って、寝そべった。
俺も寝そべると、俊太も寝そべった。
上から見たら、四葉のクローバーみたいになってるのかな。
なんか、幸せな気分になってる。
高校生になったみたいで。
でも。
こいつらと過ごせる高校生活は今日が最後だって。
ちょっと悲しいけど、楽しい。
今日は快晴。
「なあ、なんで空って、青いんだろう」
そう、呟いた。
なんで、こんなに青いんだろう。
すると、大雅から返ってきた答えは、意外にも、真面目に考えているものだった。
「太陽って、白いよな。いろんな光を混ぜると白くなるって聞いたことがあるんだよね。だから、太陽からくるいろんな色の光の中で、ほかの色の光が消えて、青だけ残ったのかも」
太陽の白い光は、本当はたくさんの光が合わさって、でもいろんな色が消えて、青だけ残った……。
「じゃあ、なんで消えるんだろう」
なぜ、消える。
「うーん、眠たい」
さすがの大雅でも、わからないよな、そんなこと。
なぜ、空が青いかなんて。
俊太が、口を開いた。
「……でも、俺ー、青じゃなきゃ、嫌かもしれないなー。なんでなのかはわからないけど、夕方の紅い色って、なんか、寂しい感じするから……」
……そう。
……確かにそうだ。
青じゃなきゃ、嫌だ。
青だから、こんなに、別れが悲しくて、最初で最後の4人どの高校生活が、こんなにも、楽しい。
「……それで!?」
俺の問いかけに、俊太は答える。
「青色で、透き通ってて、高くて。俺達を、未来に、連れてってくれるような、そんな感じがしてさー」
そうだ。
青色だから、屋上に行くのにワクワクする。
青色だから、教室でうとうとしたい。
「でも、俺、お前たちとすごす高校生活って、今日が最初で、最後だから」
青色だから、いま、みんなで弁当を食べて、寝そべって、こんなに楽しい。
「今日だけは、日常なんて忘れて、最高の高校生活を送れって、俺たちに言ってるみたいで……」
そうだ。
そうだよ!
青色だから、高校生になりたい……!
「確かに」
大雅が、呟く。おれも、それに続ける。
「本当に、そうだな〜!だから、空ってあんなに青い……」
青が科学の力で、理論で出来ているのなら、今日はめっちゃ青いとか、無いはずだ。快晴の日は、同じくらい、青い。でも、確かに思う。今日の空は、今までで見たこともないくらい、透き通っていて、青色だ。
空は、青色じゃなきゃダメだ。青色だから、高校生になりたい。そんなこと、俺がどれだけ図鑑を調べたって、イギリスの名門大学の図書館に行って本を探したって、そんな記述は見当たらないだろう。
空が、『なぜ』青いのか。
発想の転換。
物体は質量に関係なく一緒に落ちるものであり、一定の速度ではなく一定の加速度で落ちるという考え方に転換しなければならない。
ひし形を、4つの三角形って考える。
空が青い理由は、白の光からたくさんの色が消えたからなのか。
いや。
もっと、別の理由がある。
太陽の光なんて、関係ない。
俺達が……
俺達が、高校生になりたいから……!
考え方が、世界中心から、俺達中心に、根本的に、発想が転換されて……。
「コペルニクス的、転回!それ、コペルニクス的転回だよ!」
「コペ……?」
「前やったじゃん国語で!天動説から地動説みたいな全然根っこから違うように考える考え方!」
そうか! そういうことか!
発想なんて、変えてもいいんだよ! 正解なんて、どこにあるかわかんねえんだよ!
「そうじゃん! そんなに難しく考える必要ねえじゃん! それだよ! それが、思考・判断・表現だよ! なぜの考え方の、真髄だよ! だから、お前は! 俊太は!」
発想の転換がこんなに簡単にできるから、難しい問題を、いとも簡単に、こなしてしまうのか!
「マジでお前、頑張ってんだな。やっと気づいたかー、隆斗、結局そうなんだよなー」
大雅は、全部お見通しってわけか。
『先生、なんでお空って青いの』
『それはね、お空が青いと、みんなで遊ぶ時間がとっても楽しくなるからだよ』
理由なんて、間違ったっていい。
発想を。
色んな発想を、色んな角度からできることが大事なんだ……!
昌磨が叫ぶ。
「何のことだよー!」
大雅が叫ぶ。
「空のことだよー! 俺たちを高校に連れてってくれよー!! ウェーイ! 絶対受かるぞー! 秋楽園ー! バスケするんだー!」
次に聞こえるのは、野球部の昌磨の声。
「俺も頑張るぞー! 甲子園待ってろー!」
「高校生になってやるー!」
へへ。俊太、こんな時もめんどくさがりなんだな。
「俊太目標ひきーよー!」
「じゃあ、隆斗、お前の目標、言ってみろよ!」
「俺は……」
「内申取って、絶対に秋楽園高校に入るんだー!」
「……なあ、何で隆斗ってさ、音楽の学科目指してんの?」
「それは……冬月さんみたいになりたくて……」
大雅が、にひっと笑う。
「俊太、こいつな、冬月さんのライブでギャン泣きしてたんだぞ」
「なっ……お前」
「そうそう。俺一緒に行ったんだけどな、目をキラッキラに輝かせて、冬月さんのこと、観てたんだよ」
「ばっ、お前、やめろよ」
昌磨も、それに続くようにして話す。
「隆斗、俊太のランニング計測してる時にさ、人の心を動かす音楽を、作って、歌って、届けたい、って、ぼーっとしながら話してたんだよ」
「ちーがーう、あれは……」
大雅がまたニヒッと笑う。
「認めろよ。隆斗。それで、もう一回、叫べ。空に向かって、夢を」
「もー、うるせえなぁ!」
俺は、スーッと息を吸い込んだ。
「秋楽園に絶対受かって、それで、冬月さんみたいな歌い手になって、日本一の歌い手になって、それで、曲もたくさん作って、日本の音楽シーンを一気に盛り上げて、それで、それで、俺の曲が、誰かの心を動かして、それで、俺の曲で、俺の曲で……」
もう一度、息を吸い込んだ。
「誰かの心を、ワクワクさせて、最高の感情にするんだー!!」
ふぅー、スッキリしたー!
「ほら言ったぞ。俊太も夢言えよ」
俊太は、寝そべりながら、スマホを触っている。ここは高校だから校則オッケーなのか。
「高校生になりたいって、言ったろ?」
「違うって、俊太、もっとでっかい夢、あるだろ?」
「ねえよ」
「あるだろ」
「ねえって」
「だって、一年の時、初めて会った時……」
「だからねえって! 隆斗お前さあ、本当に鬱陶しいんだよね」
「え……?」
何で、怒ってるの、俊太……。
「こんな弱小校でバレー3年間しちゃった時点で、もう終わりなんだよ。だから、もう俺は無理なんだよ。スポーツ推薦は来なかったし、もし強い高校に行ったって、どうせベンチだよ。だって、3年間のブランクがあるんだもん。それなのに、音楽の夢を目指すとか言って無理な癖にオール5とか無謀なこと目指してるとさ、本当にイライラしてくるんだよね」
「……でも俊太、一年の頃はさ、高校生のバレーの全国大会、春高バレーを目指してたんじゃなかった……?」
「だからそれに出ることがもうできないから言ってんだよ!」
「……出来るかもしれないじゃん、今から強い高校に入ってさ」
「無理だよ、3年間、誰も練習、付き合ってくれなかったから、練習なんてしてねえんだよ……。3年間もブランクがあったら、強い高校入ったってベンチから眺めるだけだよ。思ったよ、色々考えたよ。でもさ、現実的に考えて、無理なもんは無理なんだよ。そう思い始めてからはさ、バレーのこと考えるだけで、ああ、俺は春高に出られないんだな、って思いが込み上げてくるから、バレーのことは考えないようにしててさ、春高の夢は、俺の中に閉ざしてたのに……」
少し沈黙が流れる。それを、大雅が破る。
「何だよ、続き話せよ」
「……隆斗が、サッカーとか俺にやらせてドキドキの感情とかワクワクの感情を思い出させるから、またバレーがやりたくなっちゃったじゃんか! また、春高に出られない現実を、他の中学だったら、1年からずっとチームメイトに恵まれてガチで練習してたら春高で得られたかもしれない最高の感情を、もう得られないって、隆斗のせいで、隆斗のせいで、春高に出られない現実を、悲しさを、何度も実感させられたんだよ! 俺は!」
そっ……か。
俺が、俊太に。
最高の感情を。
ワクワクを、ドキドキを、思い出させちゃったから。
だから。
俊太は。
春高に出られないって言う現実と照らし合わせて。
『でもさー、りゅーと、なんでだろー、なんか、こんな感情を思い出すたびに、すごく、ものすごく……辛く、悲しくなる……』
『なあ、隆斗。胸が、ズキズキ痛むよ。何なんだろう、この感情。めっちゃ、胸がズキズキ痛むよ。悲しいよ。どうでもよかったはずなのに。夢は無理だったはずなのに。諦めてたはずなのに。なのに。そう、思えば思うほどに、胸が、ズキズキ痛いんだよ!』
悲しく、なっていたのか……。
夢を忘れよう忘れようと頑張っていた俊太に。
夢を。
春高を。
その、ドキドキを。
思い出させてしまったのは、俺……。
俊太は、サッカーとかでドキドキするたびに春高に出られないっていう現実をいつも自分に突きつけて、俺が夢を追いかけるほどに夢が叶わない自分と照らし合わせていたんだな。
俺が、俊太を、無意識のうちに、追い詰めていたのか……。
でも。
夢って、叶わないのかな。
本当に。
『……結構、無謀な挑戦なんだよね、秋楽園高校の音楽科に入ることって。オール5を取らないといけないから』
『うん』
『……それでもさ、無理だって思ってもさ、やってみたら、ワクワクできるかな』
『……出来るさ。この星空みたいに、俺たちには、無限の可能性があるんだよ』
……そうだよ。
可能性が少しでもあるのなら。
無理だって思ったって。
ワクワクできる、はずなんだよ……!
俺は、そう信じてやってきたんだよ……!
俊太は。
現実ばっか見てるけど。
現実ばっかり見てるより、夢見た方が、ワクワクするじゃん……!
そう。
伝えたい。
どれだけ、否定されても。
無理だって言われても。
俊太に。
一緒に夢、見ようぜって……!
目指そうぜ、って!
「なあ、俊太……」
瞬間、俊太は、スマホを地面に叩きつけた!
そのスマホが跳ね返って、俺の手の上に乗る。
俺は、それを、少しの好奇心で、偶然、見てしまった。
「おい、見るな、やめろ、見るなよ、隆斗、おい、やめろよ……」
登録者ほとんどいないけど、歌い手の活動をしてるから、だから俺は知っている。スマホに映っているこの画面は、そのアカウント主しか、見ることができない動画サイトのアナリティクスの画面である。
そこに表示されていたアカウント名は。
冬月
「俊……太、お前……」
「くっそ……そうだよ、俺が冬月だよ」
……え?
冬月、が、俊太……!
俺が、ずっと憧れてた……。
夢描いていた冬月さんが、本当は、こんなに近くの、俺の友達だった、ってこと……?
何、それ……。
これ、現実……?
そん……な。
「……は? じゃあ、俺が夢描いてた冬月さんは、お前、ってこと……?」
「そうだよ、俺だよ」
何、それ……。
信じたく、ない……。
信じたくない!
『なあ、隆斗何部入るの?』
『おれは、剣道部だけど……』
『え、じゃあ、高校でインターハイとか出るの!?』
『インターハイ……ってなに?』
『インターハイだよ! 全国のすっげー高校が集まる大会! 隆斗はそれに出るの、って聞いてんの!』
『あ、ああ。出るかも。』
『そっか! 俺、インターハイも、出たいんだけど……』
『うん……』
『俺は、高校に入ったら、春高で全国に行きたい! 春高バレーってあってさ、メッッチャ強い人たちが、全国にテレビで放送されるの! 俺はそこで、最強の俺のスパイクを、全国に見せつけてやるんだ……! だから、中学もバレー部に入って、練習するんだよ!』
『……そっか! いいな!』
『お互い、頑張ろうな!』
『……ああ!』
「……何で、何で歌い手なんてやってるんだよ……。春高に行きたくて、部活漬けになるんじゃなかったのかよ……。大会でベスト8取ったんじゃないのかよ……」
俊太は立ち上がった。俺も、大雅も、昌磨も、立ち上がった。
「何で歌い手やってるか? そんなの決まってるじゃん。現実逃避だよ。俺は、バレーのことを考えると春高にもう出れないんだって悲しくなるから、でも、冬月になっている時はバレーのことを忘れられるから、だから冬月をやってるんだよ。歌い手活動は、現実逃避の道具でしかねえよ。バレーの大会なんて、本当は勝ったことねえよ。だって、誰も練習付き合ってくれねーんだから……。せっかく現実逃避してんのに、お前が無理なことに挑戦しようとするから、それを見るたびに、俺は、春高に行けないんだって、悲しくなるんだよ」
「……は? 俺がずっと描いてた夢が、憧れていた冬月さんが、ただの現実逃避の道具……? そんな、そんなの……酷いよ……」
「……だから言わなかったんだよ……。大体お前さ、何だっけ? 無理なことだったとしても、やってみたらワクワクする、だっけ? だから、音大入って歌い手を目指す、だっけ?」
俊太の眼光がとても鋭い。
「……そうだよ。無理だと思うことだって、現実ばっか見てるより、夢見た方が……」
「俺はさ、物心ついた時から鍵盤握ってたよ。絶対音感だって持ってるし、小学校の頃は週3でピアノ、週2で合唱団。あとの2日は自主練習だよ。それで、ずーっとやって来て、やっと、まともに曲が作れるようになったんだよ。それがさあ、何? 中1からギター触り始めて、楽譜もまともに読めねえのに、作曲始めて、今から歌い手目指して冬月に追いつきます? 無理に決まってるだろ! そうやってバカみたいに夢見てるやつ見るとマジでイラつくんだよ!」
「でも……でも、 現実ばっかり見てるより、夢見た方が、ワクワクするじゃん……!」
「ワクワクするかもしれねーけどよー、悲しいじゃん! 悲しいじゃんかよ! 夢が叶わないって思っちゃうからさ! 悲しいじゃんかよ! なんでわかんねえんだよ、お前……」