6.
 
『ご都合展開乙』
 きっかけは、創作意欲最盛期の僕が、お試しで描いた二ページ漫画をSNSに上げたことだったと記憶している。いや、もしかしたらそれ以前に、僕の至らない点が僕の意識していないところで露呈していただけなのかもしれないけれど。
 いずれにしても、本当にちょっとだけ、の軽い気持ちで漫画を描いてサイトにアップし、自身の漫画適正力を試そうと思っただけなのだが――。
『ストーリーの構成力ゼロだな』
『調子に乗って描いた漫画がこれか』
『コマ割り微妙。漫画道ナメてね?』
『イラストだけに留めておけばよかったものの』
『え、この人が某有名イラコンの最年少受賞者?』
 僕が描いたお試し漫画は、なりを潜めていたアンチに目敏く足元を掬われ、あることないことを含んだ批判の嵐とともに拡散される形となった。
 一部の良識あるフォロワーは、『イラストも漫画も両方できる才能に嫉妬して、アンチが湧いてるだけだと思うから気にしなくていいよ』とか、『反応すると余計に面白がるから無視で』とか『いざとなったら法的手段で……』などと親身になって励ましてくれたが、正直僕は批判を受けたことがショックでなにも考えられなかったし、これといった対策が取れないうちに、脚色された批判――僕が○○の絵の構図をパクっただの、人気コミックの表紙絵をパクっただのというありもしない捏造の事実だ――から煽られたような形で漫画家志望者たちの顰蹙を買い、結局、大炎上する結果となってしまった。
『SNSのお試し漫画を見て、受賞作が気になったので飛んできました。思ったよりもお粗末で某イラコンの衰退っぷりにがっかりです』
 一点の綻びから、傷口は徐々に大きく広がり始める。
 漫画のストーリーやコマ割りセンスから生まれた批判は、やがて矛先を変えて全く無関係な受賞作にまで向けられるようになった。
『受賞作、塗りが下手すぎwww』
『この程度のレベルでプロ目指してるとか、夢見過ぎだろー』
『この選評、早い話カラーセンスがねえから出直せってことだろ? 調子乗ってエントリーした挙句公開処刑されるとかだっせえなあ』
『絵が上手いだけに色塗りの下手さが際立ってるのよな〜』
『この人、絵は上手いから〝線画だけ〟でやめとけばよかったのにねー』
『入賞たってどうせ箔付の受賞だろ。こんなのに賞をやるとかイラコンも地に落ちたな』
 僕を傷つけるためだけに選りすぐったであろう、より殺傷力の高い言葉が、日々コメント欄を埋め続ける。
 煽りたいだけだと、自分より目立ったり注目されてるのが許せないから蹴落としたいだけなんだとそれはよくわかっていたけれど、相手の心情を理解して受け流してあげられるほど、僕は強くなかった。
(ただ自分の絵で誰かの心を楽しませたい。それだけだったのに……)
 度重なる誹謗中傷に僕の心はポッキリと折れ、僕は結局、筆を折った。
 絵――というよりも、色の塗り方や色の組み合わせへの批判。
 それが一番の致命傷となって、その日を境に、僕は自分の世界から〝色〟を消した。
「……」
 無気力な眼で外を見つめる僕の脳裏に、彼女の声がこだまする。
『実は私も小説を書いてて』
『千隼くんの描いた絵がもっと見たい』
『あんなに綺麗な夕焼けの海を表現できる千隼くんなら、本気でプロを目指せるんじゃないかって、そう思うの』
 彼女の純粋で真剣な眼差しが目に浮かぶ。
(プロ、か……)
 なんとかその言葉を前向きに受け取ろうと、僕は静かに目を閉じるが――。
 正直、僕にはもう、色を塗る自信がない。
 僕自身、できることならもう一度絵と真剣に向き合いたい気持ちはあるが、誰かに否定されるかもしれないと思うと怖くてペンが握れなくなる。
 あのトラウマ以降、僕にできることといえば鉛筆で線画を描く程度が精一杯だった。
(でも……まあ。もう約束しちゃったしな……)
 ひとまずプロ云々や夢の話は脇におくことにして、リハビリ程度に絵を描いて彼女に見せることぐらいなら問題なくできるだろう。小説家を目指しているという彼女になら、絵描きとしての自分の弱さや未熟さをさらけ出せるような気がして――僕はもう一度だけ、できる範囲で絵に向き合ってみようかと、そんな気持ちがほんの少し、ふつりと沸き始める。
(とりあえず、やるだけやってみるか)
 僕は自分自身に『きっとできる』とそう言い聞かせて、自宅最寄りの停留所名が車内に流れると素早く席を立ち、バスを降りた。