5.

『千隼くんは絵を描くことは好き?』
 帰りのバスの中で、僕は窓にもたれながら彼女の言葉を思い返していた。
(絵、か……)
 僕の答えは決まっている。
 僕は絵を描くことが好きだ。勉強よりも、運動よりも、ゲームをすることよりも、昼寝をすることよりも、他のどんなことを差し置いてでも絵を描くことが好きだし、小説や漫画を読むことも好きな方だけど、やはり読むより描く方が断然好きだった。
 そんな自分の本音なんてわかりきってるのに、今の僕には、それを他人の前で曝け出すだけの勇気がない。
 無我夢中で筆を走らせて、滾るような情熱を噛み締めて、絵を描いたり夢を追いかけている自分のことを、真っ向から否定されるのが怖いからだ。
「……」
 移り行く窓の外の景色をぼんやり眺めながら、僕はポケットから携帯電話を取り出す。
 指先に染みついた慣れた手つきで画面を開け、とあるイラストの投稿サイトを開くと、『未読コメントが312件あります』という赤い文字が視界に飛び込んできてゾッとした。
 二ヶ月ほど前に見た時よりも三十件近く増えている。最後に投稿した時からもう一年以上が経つというのにと、人の悪意とSNSの怖さを痛感しながらも、なぜ僕はこんな赤い文字一つに自分の人生を脅かされなきゃならないんだという半ばヤケクソのような気持ちでそれをタップした。
 すると指先の画面には、僕がかつてこのサイトに投稿した一枚のカラーイラストが映し出された。
 弓を持った傷だらけの少年が、荒れ果てた荒野で、戦に疲れた心を癒すよう静かに月を見上げて佇む絵だ。
 僕が、とある文庫レーベルの有名なイラストコンテスト で入選を果たした、渾身の一作だ。
 そのイラストの脇には、既読コメントに混じって未読のままだった閲覧者からのコメントが312件ずらりと並んでいる。
『塗りが下手すぎ』『園児のぬり絵レベルw』『この程度のレベルでプロ目指してるとか、夢見過ぎだろー』『この選評、早い話、カラーセンスがねえから出直せってことだろ? 調子乗ってエントリーした挙句公開処刑されるとかだっせえなあ』『線画だけでやめとけばよかったのに』『どうせ箔付の受賞だろ。こんなのに賞をやるとかこのイラコンも地に落ちたな』……――。
 目を背けたくなるような罵倒の数々が、一年という時を超えてもなお、容赦なく僕の心を抉ってくる。
「……っ」
 まだ全てのメッセージを読みきれていないというのに、僕はたまらなくなって投稿サイトからログアウトした。
 画面から誹謗中傷の嵐が消えても、僕の心の中に突き刺さった棘は消えない。ずっと針の筵にいる気分だ。
(僕が……)
(僕がいけなかったんだ……)
(イラストだけに留めておけばよかったのに、調子に乗って描けもしない漫画なんかを描いて、それをSNSに投稿しちゃったから)
 ――彼女に告げたとおり、かつては自分にも『イラストレーターになりたい』という夢があった。
 親友の英太の影響で絵を描きはじめ、いつしかそれが無我夢中の趣味になり、大好きな小説の表紙や挿絵を描くイラストレーターになりたいという希望を持つようになって、小学校から中学時代にかけて、僕は一日中ずっとがむしゃらに絵を描いていた。
 川の事故で英太が死んで、行く宛を失っていた僕の心が唯一現実逃避できる場所、それが絵の世界でもあった。
 僕はイラストに向き合い始めてから自分自身でもわかるぐらい日増しに腕を上げ、貯めこんだお小遣いとお年玉で中古のタブレットとペンタブを買った時は心が跳ね上がるくらい嬉しかったし、テンションも上がって、それまで以上に絵と向き合う時間が増えた。
 デジタルで色を塗るのは苦手だったけれど、試行錯誤してなんとか独学でできるようになって、憧れていたイラストレーターの影響で、イラストと曲を使った動画なんかも作ってみたりした。
 それをアップしたイラスト投稿サイトはもちろん、SNSなんかもフォロワーがすごく増えたし、毎日が研鑽と刺激で、英太を失った悲しみを払拭できるぐらい毎日が色濃く充実していた。
 そんな僕の絵描き時代黄金期真っ盛りの中学三年生の時、親に内緒で応募したイラストが、某文庫レーベルが主催する有名なイラストコンテストで佳作を獲った。
 主催編集部から受賞の連絡がきた時、あまりの驚きで頭が真っ白になったし、二度見しようとしたけど手が震えていたせいで携帯を落としかけたりもした。
 詐欺メールかとも思ったが、何度見てもやっぱりそれは『コンテスト入賞のお知らせ』だったし、佳作だから賞金とかは特にないけど、『サイトでの結果発表時にペンネームが載ります。発表時までは入賞の事実を外部には漏らさないでください。また、後日改めて担当者より詳しい選評等をお送りいたします』と厳かに書かれていて、それだけで僕は物凄い秘密を握ってしまった気になって胸が弾んだし、自分の絵が評価されたことに小躍りするぐらい舞い上がっていた。 
 結果発表の後が僕一番の最盛期といって過言ではない。
 コンテスト主催の公式サイトに名前が上がって十分後にはSNSのフォロワーが五十人くらい増えてたし、その勢いに載って投稿サイトのフォロワーも信じられないぐらい爆上がりした。
 きっと『最年少入賞』『圧倒的・天才的技量』『将来に期待』といった身に余る選評が思いもよらないバズりを呼び、無名だったはずの僕は、最終的に投稿サイト、SNSともにインフルエンサー並みのフォロワー数を獲得し、僕は一転して『天才絵師』とまで呼ばれるようになった。
 そうなると僕の絵師生活は面白いぐらいに一変し、新作を一件投稿しただけで好意を示す『いいね』数やお気に入り登録数、応援メッセージが溢れ、僕の創作意欲は湧くに湧いた。
 得意な線画をはじめ、苦手なりに頑張ったカラーイラストや、簡単なイラストと曲による動画など、上げられそうなものはなんでもサイトに公開して、僕を応援してくれる人たちと情熱を共有し、反応を得ては創作意欲に変える。いつか絶対イラストレーターになって仕事として小説の表紙や挿絵を飾るんだと、その意気込みは増すばかりだったし、そんなイラスト生活は楽しくて仕方なかった。
 そうこうしているうちにいつの間にか僕は、くだんのコンテストで大賞や金賞をとった人よりも誇張なしに有名人になっていたと思う。
 だが……。
 そんな絶頂期も長くは続かなかった。僕は当時、絵師としてはおろか人間としてもまだ大いに未熟な年頃だったから、有名になればなるほど、人気になればなるほど嫉妬が生まれてアンチと呼ばれる反発者たちが増えていくことを知らないでいたのだ。