1.

「……でね、主人公の男の子はこの村に住むちょっと弱虫な男の子で、なんとなく頼りないんだけどすっごく優しい子なの」
 夜の遊園地デートから二週間と少し。紬と出会って六十日目の四月上旬――。
 まだ春休みの最中である僕たちは、いつものように彼女の病室で落ち合い、創作話に花を咲かせていた。
「そっか。結構固まったね。ずっと悩んでたプロット、できたの?」
「うん。だいたいは」
「見せて?」
「頭の中だよ」
「雪谷先生、それはできたとは言わないです」
「デスヨネ……」
「頼みますよ先生〜。締切までもうあまり時間ないっすよ〜」
 まるで原稿を急かす締切前の編集者のように渋い顔でそう言って、再び彼女が書いたプロットメモに視線を落とす僕。紬はベッドの上でわかりやすく項垂れて見せながらも、チラ見した僕と目が合うと、パソコンの陰に隠れて小さくくすくすと笑っていた。
 ――あの遊園地デートの日を境に、彼女は担当医や両親の助言を受け入れ、治療最優先で投薬の量を増やしている。
 増薬によって日増しに顕著となる様々な副作用に頭を悩ませながらも、彼女は持ち前の頑固さで創作活動は諦めず、できる範囲で小説と向き合い続けていた。
 彼女いわく、僕がプレゼントした動画が生命力と創作魂に火をつけたらしい。
 体調が悪い時は素直に体を休め、症状が落ち着くのをじっと待つ。ぼんやり妄想ができるくらいにまで体力が回復してくれば、再び手帳を手にして物語の構想のメモを始める。体調の良い日はそこから起き上がってノートパソコンを開き、できそうであればコツコツと小説を書く。もちろん、必要に応じて僕もそれを手伝った。
 日によって一文字も書けない日もあれば、一行だけ書けた、いや今日は十行も書けたと嬉しそうに報告することもある。
 牛歩の毎日。しかしそれは、彼女が確かに前を向いて生きている証でもあった。
 いつか必ず報われると信じて、僕たちの創作活動はこの日も続く。
「あ、そうだ、千隼くん」
 以前よりも歪んだ文字で書かれた彼女の構想メモに目を通していると、ふと投げられた声。
「うん?」
「こないだ言ってた一時退院の日、決まったよ」
 僕は読んでいた付箋のメモから顔を上げ、目を見張る。
「え、いつ?」
「今度の日曜。様子を見ながらなら学校へも行っていいって」
「本当に?」
「うん。もちろん諸々の調整は必要になるけど、今、薬のおかげでだいぶ体調も安定してるし、うまくいけば千隼くんが話していた『新入生歓迎会イベント』の日にも間に合うかも」
「まじか……」
 彼女の言葉に、僕は密かに胸を弾ませた。
 ――というのも。
 登校……それは、前々から彼女が強く切望していたことで、今回はそれがようやく念願叶った形になる。
 もちろん無理のないよう制限付きの登校許可ではあるようだが、同じ学校に通う生徒であることを知って以来、いつかこの目で彼女の制服姿が見てみたい、そしてあわよくば一緒に学校の敷地内を歩いてみたいと思っていた僕にとって、この病院側の判断には自然と胸が熱くなった。
「そっか……それはよかった」
「あれ。もっと喜んでくれるかと思ったのに」
「喜んでるよ、これでも」
「そうは見えないけどなあ」
「そう? 紬の制服姿、だいぶ期待してるんだけど」
「そこは期待しないでいいの」
 浮かれてると思われないよう至極真面目な顔で返したところ、紬は苦言を呈しながらも吹き出して笑っていた。
(紬と一緒に学校生活か……)
 思わぬ形で訪れた夢のようなビッグイベント。
(紬の制服姿、きっと可愛いんだろうな)
 想像に胸が膨らみ、込み上げてくる顔の緩みを必死に堪える。
 僕は彼女の一時退院を純粋に喜んでいた。
 それが、思い出づくりとして用意された最期の限られた時間であることなど思い及ばずに。