4.

 病院を抜け出し、市内の遊園地にはじめて足を踏み入れた僕と紬。
 横目でもわかるぐらい、紬は嬉しそうだった。
 ちょっと大人っぽいシャツワンピースに身を包み、足元にはショートブーツ。いつものポシェットを斜めにかけ、まるで病人とは思えない軽やかな足取りで遊園地入り口のゲートを潜る。
 一方で僕は、迷彩柄の大きめパーカーに、カーゴパンツとスニーカーといったラフなスタイル。彼女に合わせてもうちょっと大人っぽい服装でくればよかったと少し後悔したが、今さら何を思っても後の祭りだし、今はそれを悔やんでいる場合でもない。
 実は、来月誕生日を迎えるらしい彼女のためにちょっとしたサプライズを用意してきているのだが、あまり準備時間がとれなかったため、〝プレゼント〟の万全なチェックが終わっていなかった。 
 そのため、携帯電話をカチカチ弄りながら無言でゲートを潜っていると、
「ねえ見て、千隼くん!」
 彼女は入ってすぐのところにあるショップ前で足を止め、僕を呼んだ。
 顔をあげ、首を傾げる。彼女は店先に並んだ商品を指差すなり、パタパタとそこへ駆け寄っていくので、慌てて僕も携帯電話をしまって彼女の後を追う。
「これ、可愛い……」
 紬が手に取り、うっとりしたような眼差しで見つめているのは、もふもふの耳がついたお揃いのカチューシャだ。
「……」
 以前、バスの中で仲睦まじくこれをつけているカップルを見たことがある。ここの遊園地のオリジナルキャラクターを模したものだろう。これをつけると、一層遊園地にやってきた感、あるいは連帯感が出るのはわかる。
 それはわかるんだけども……いやしかし。
「僕のキャラじゃない」
 まさにその一言に尽きるのである。
 そもそもどう考えてもこの遊園地の定番アイテムは、陽気なキャラに許された特権みたいなものだ。
 おそらく僕よりも英太の方が絶対的に似合う。僕は元々、無愛想なうえどちらかというと標準よりやや高い方なので、これをつけたら異様に目立ってしまう。
 例えばそうだな、『ねえみて、あの男子高校生めちゃくちゃスカした顔してるくせに実はすっごい浮かれてない?』みたいな。
 まあ実際、内心では浮かれているんだけれども、せめて彼女の前でだけは常にクールな僕だと思わせておきたいので、極力余計な悪目立ちはしたくないというのが本音なのである。
「……だよね」
 紬は僕の返答を予期していたように、しょんぼりと項垂れた。
 かわいそうだが仕方がない。時折ちらりと視線が飛んでくるが、モフモフと体裁を天秤にかけ、結果、僕は鋼の意志で無視を決め込むことにした。

 *

 結局その場では何も買わずに店を離れ、園内パンフレットを見ながら、手頃なティーカップ乗り場へ向かう。
「あっちだ。ちょっと歩くけど平気?」
「うん、大丈夫」
 僕は念入りに、彼女の顔色をチェックする。別にご機嫌を窺っているわけではない。病人である彼女の体調の変化をしっかり見極めるためだ。
 その道すがら、何度か男女のカップルとすれ違った。
 皆、事情もちの僕たちとは違って、なんの苦労や憂いごともなく健康な体で、健全なこの時間を楽しむためだけにここに存在しているかのように思えた。
 そんなどうしようもない境遇の差を羨ましく思う僕とは反対に、紬は、なおも羨ましそうな顔でカップルがつけていた先ほどのカチューシャを見つめていた。
「……」
 どうやら彼女は、本気であれが欲しかったようだ。
 そんな気配を察しているうちにティーカップ乗り場が見えてくる。そこには程よい列ができていて、順番待ちのカップルたちで賑わっていた。
「まあまあ混んでるね」
「うん。まだナイト入園始まったばっかりの時間帯だしね。一日フリーパスで昼からいる人達とナイト入園で今入ったばっかりの人達が混ざってるんだと思う」
 差し障りのない会話を交わしながら札を見ると、列の最後尾のあたりは『約十五分待ち』となっている。今の時期はどこの学校も春休み中だろうし、多少の混雑はやむを得ないだろう。
「ちょっとトイレ行ってきていい?」
 最後尾につくと、僕は出しぬけにそう申し出た。
「あ、うん。並んで待ってるね」
「紬は行かなくて平気?」
「私は大丈夫。気にせず行ってきていいよ」
 快諾してくれた彼女の言葉に甘えて、僕は早々に列を外れる。
 ここへくる道中に目視していたので、トイレの場所は把握していた。
 先ほどのショップのすぐそばだ。僕は先ほどのショップまで戻り、あれこれと用を済ませてからいそいそと紬の待つティーカップの列に戻る。
「ごめんお待たせ」
「おかえり、早かったね」
 列は先ほどよりだいぶ進んでいて、一番近くにある立て札を見ると『ここから五分待ち』となっていた。
 僕は周囲の人に会釈をして列に加わりながら、腕に抱えていたショップ袋の中から一本を取りだし、紬に差し出した。
「え」
「はいこれ」
「うそ。待って。どうして」
「落ちてたから拾った」
 照れ隠しにどうでもいい嘘をつきながら、僕は購入してきたばかりのもふもふカチューシャを無言で頭に装着する。
 鏡を見なくてもわかる。絶対似合ってない。それが証拠に、紬がめちゃくちゃ吹き出しそうな顔をしていた。
「つけないの?」
 そこはあえてスルーすることにして、彼女をこちら側の沼へ引きずりこむことにする。
 すぐさま紬はもふもふカチューシャを装着し、嬉しそうに満面の笑みを浮かべてみせた。
「ふふ。おそろい」
「……」
 その笑顔、最高かよ。
 言わずもがな彼女は僕の何倍もカチューシャが似合っていたし、僕のしょうもないプライドよりも彼女の希望を尊重して良かったと心底思った。