2.

 病院の裏道で待っていると、ほどなくして彼女がやってきた。
 温かそうなベージュ系のロングニットワンピースを纏い、足元には歩きやすそうな白いスニーカー。長い髪の毛は緩めに編んで一本にまとめている。
 いつも思うが、隣に並ぶのを躊躇ってしまうほど目を引く可愛さだ。
 彼女は弾む息を抑えると、少し恥ずかしそうにローゲージニットのタートル部分に顔を半分埋め、斜めがけのショルダーバッグを萌え袖で押さえながら言った。
「お待たせ」 
 おそらく無意識なのだろうけれど、僕は今、彼女に悩殺されているとしか思えない。
 油断すると意識しすぎて変なことを口走りそうだったので、煩悩を捨て、何食わぬ顔で答える。
「そこまで待ってない」
 今か今かとソワソワしながら待っていた奴が言う台詞ではない気がしたが、気を使わせるのも悪いので、まあ無難な返事だろうと思うことにする。
 本当はもうちょっとこう、『気にしないでいいよ。じゃ、行こっか』とか、気の利いた台詞がナチュラルに言えていればよかったんだけど……女子の扱いに慣れていない僕には、これが関の山だった。
「……」
「……」
「いこっか」
「うん」
 僕達は最小限の会話を交わすと、目的地に向かい、横に並んで歩き出す。
 こないだも気にしていたし、ワンピース似合ってるよって褒めたほうがいいかな、いやでも恥ずかしくて口に出せる気がしないな、とか。余計なことを考えて黙々と歩く僕と同じく、彼女もただ静かに僕の隣を歩いた。
 春の木漏れ日を嬉しそうに摂取して、丁寧に編み込んだ髪の毛を楽しそうに揺らしながら、彼女はこのささやかすぎる小さな外出イベントを堪能している。
「あれ」
 ふと、彼女が何かに気づいたように呟きを漏らした。
 あれから何度か図書館に通ったこともあり、すでにお馴染みとなっていた裏道。
 しかし今日は、図書館への直行ルートではなく、僕は目の前にある横断歩道を渡った。
「……?」
 隣を歩く彼女が『図書館いかないの?』といったような顔で僕を見上げている。
 僕はなんだか悪いことをしているようで、ちょっと楽しくなった。
「図書館と同程度の距離なら、まあ大丈夫かなって」
「え?」
「あそこ、ずっと気になってたんだよね」
 そう言って、僕は目の前にある『あそこ』を指す。
 図書館の目の前にある、公営の水族館だ。
 彼女が驚いたように目を見開く。
「僕の足、もうだいぶよくなってきたから。万が一、紬の体調に何かあったら僕が担いで病院連れて行くから。それなら問題ないでしょ?」
「千隼くん……」
「スランプ気味だっていってたし、たまにはいい気分転換になるかなって」
 体力には自信がないが、彼女ぐらい華奢な子なら担げる気がしている。
 いや本当に、そんな気がするだけだけど。
 真面目な紬のことだし、もしかしたら拒否られるかもと一瞬だけ思ったけど、それは杞憂だった。
「嬉しい……! 実はあの水族館、ずっと気になってたの」
 花やぐように笑う彼女の表情は、僕の心を浄化する。
 つられたように自分の口元が綻ぶのを感じながら、
「そっか。じゃ、看護師さんに見つからないうちに行こう」
「うん!」
 僕らは顔を見合わせて頷きを交わしてから、足早に水族館に向かう。
 二人で共有する秘密を心から楽しむように、目を輝かせて館内に足を踏み入れる紬は、まるで未知なる冒険に出かける希望まみれの少女のようで、それを見つめる僕も、心を絆されるように水族館の受付をくぐった。