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「あら紬ちゃん、今日は早いわね。って……あらやだ、そっちは彼氏??」
 受付のおばちゃんは、紬と僕の顔を見るなり嬉々としてそんなことを言い出した。
 ちょうど一息ついてペットボトルのお茶を飲もうとしていた僕は、ゴホッゴホッと盛大に咽せる。
「ちょっ、はっ、原田さんっ。変なこと言わないでください。がっ、学校の友達ですっ」
 紬は紬で妙に慌てた感じで訂正していたが、原田さんは全く信じていないような声色で「そお? 美男美女でなかなかいいカップルなのにねえ」と、意地悪く口元を歪めて冷やかしてくる。
 美女はわかるが美男ではない。そう突っ込みたかったけど、単なる社交辞令と思われる言葉にマジツッコミするのもモテない男を露呈するかのようで居た堪れないため、やめておいた。
「も、もうっ。千隼くんに失礼ですってば。とっ、とにかく、これ、返却分です。今日もお邪魔します」
 結局、口が挟めないまま紬が一人でわたわたする羽目になっていて、薄情ものでごめんと心底申し訳なく思っておいた。

 そうして僕らがやってきたのは、馴染みある文庫や単行本がずらりと並んだ『日本文学コーナー』だ。
 棚を見た瞬間、それまでやや気落ち気味だった彼女の瞳が潤いを帯びたように輝き始める。
「ここ……ちょっといいかな?」
「うん、もちろん」
 気になる本があるようで、丁寧に断りを入れてくる彼女。僕が相槌を打つと、紬は黙々と興味深そうに文庫や単行本に手を伸ばし始めた。
 せっかくなので僕も同じように棚を眺めたり、気になる絵柄の本を手に取ったり、面白そうな小説のあらすじを読んでみたりする。
 紬もなかなかだけど僕も負けないぐらいの本好きだと思う。漫画も小説もどちらも好きだけれど、漫画コーナーは離れていてここには小説しかないので、二人して無言で黙々と小説選びの時間を共有する。
 普段は創作論についてああでもないこうでもないと議論しあう僕たちだが、不思議なことに長らく無言時間が続いていても全く苦じゃなかった。
 むしろ気を使わなくて心地よいとすら思う。
 ――ふと。
 そんなことを考えていると、彼女が高い位置にある単行本を取ろうと一生懸命背伸びしている姿が目に入った。
 言ってくれればいいのに。僕は読んでいた本を閉じるとそれを脇の棚に置いてから、彼女の目的であろう本を代わりに取ってあげることにする。
「……っ」
「これだよね?」
「う、うんっ。ごめん、ありがとう」
「言ってくれれば取るのに」
「その、読書中邪魔しちゃ悪いかなって思って」
「なんのために二人でここにいると思ってんの」
「そっ、それはそうだけど」
 そう言って彼女は、どこか照れたようにソワソワしている。
「……?」
「あ、いや、その」
「なんか変?」
「違っ。そ、その、千隼くんって何気に背、高いんだなって」
「へ?」
「ほら。いつも私たちって大体病室で座ったままか、移動するにしたって最終的にはどこかに座って作業することが多いでしょ? だからその、改めて立って並んでみると、千隼くんってやっぱり背が高かったんだなって、なんかそんなどうでもいいことを思っちゃって……」
「……? まあ、確かに背比べするような機会は今までになかったよね。って言っても、僕は標準男子よりちょっと高いぐらいだし、紬がちっちゃいだけだと思うけど」
「うそ⁉︎ 私、これでも百六十センチはあるのに⁉︎」
「百六十? へえ。もっと小さく見えた」
「頑張って食べてるのに……」
「コンテスト落選で落ち込みすぎて縮んだんじゃない?」
「そっ、そんなわけは!」
「冗談だよ。そんなムキにならなくても」
 真剣にくらいついてくる彼女がなんだか面白くて、僕は思わず笑っていた。
 いつぶりだろう。こうして自分にでもわかるぐらい自然な笑顔になれたのは。
 英太を川の事故で失い、その後、心の拠り所にしていたイラストを否定され、色を失ってからというもの、無気力の中にいた僕は表情筋を動かすことすら放棄していたように思える。
「もう、揶揄わないでよ」
「ごめんって。華奢だから小さく見えただけだと思う」
 紬は最初むすっとしていたけれど、やがて口元を緩ませながらも「笑いすぎ」と、腕で肘鉄を喰らわしてきた。
 ごめんごめんと謝って、その場はおさめておいたけれど。
 僕に触れたその細っこい腕は、風が吹いたら飛んじゃいそうなぐらい弱々しくて、間違いなく彼女は病人なんだよなって、なぜだかそんなことを妙に実感してしまって、ちくりと胸が痛んだことは、当然のことながら黙っておいた。