3話
僕は今、過去の自分の発言を猛烈に後悔していた。
フットライトのみの暗い屋内。目の前の巨大なスクリーンには、僕の好きなアニメのキャラクターが映し出され、そして僕の隣には……キャラメルポップコーンを携えたイケメン――武田くんがいた。
そう、僕たちは映画館に来ていた。
今日は待ちに待ったアニメの劇場版の公開日。
そして、もっと詳細を説明すると、僕と武田くんはあろうことかペアシートに座っていた。
写真で見たときはもっと広々しているのかと思ったのに、いざ座ってみると全然そんなことはなくて……。
隣の武田くんと肩や腕が接触してしまうのが気になって、映画に全然集中できない。
あぁもう、どうしてペアシートなんて提案しちゃったんだ。
映画化が決まり、武田くんに誘ってもらったときに、知らない人が近くにいると集中できないからと、ペアシートがいいと言ったのは間違いなく僕自身。
告白される前に決めたことだから仕方がないとはいえ、過去の自分が心底恨めしい。
触れているところばかりに意識が集中してしまう。
映画の内容なんて全然入ってきやしない。
ちらりと武田くんを盗み見るも、彼は真っ直ぐにスクリーンを見つめていた。武田くんの綺麗な顔が、スクリーンの光にちかちかと照らされている。すーっと通った鼻筋は、アルプス山脈ばりに高く聳え立って、実年齢よりも大人びた印象を与えている。
どの角度から見てもかっこいいの、ずるい……。
思わず溜息が零れる。
好きだと告白されてから早一週間。
考えても考えても、僕の思考は堂々巡りを繰り返して答えが出ないままだった。
未だに恋愛感情がどういうものかわからない僕だけど、あの日、バイト中に手を握られたことに嫌悪感は一切なかった。
それだけじゃない。
覚悟してと言われてから今日まで、武田くんはおとぎ話にでも出てくる王子さまになったのかと目を疑うほど、スマートに僕を口説き始めた。
「かわいい」とか「好き」とか、そんな甘い言葉を隙あらば恥ずかしげもなく僕に言うのだから、たまったもんじゃない。その猛アプローチに僕はなす術もなく、やられっぱなしだ。恥ずかしすぎて、なにも言えなくなってしまう。
あまりに耐えられなくて、勘弁してほしいと訴えたけれど、「だって、相良くん、言わなくちゃ伝わらないから」とすげなく却下されてしまった。その通り過ぎて、反論どころかぐうの音もでなかった。
イケメンだから、なにを言ってもやっても様になるのがずるい。
またしても考え込んでいた僕は、膝の辺りをツンツンされて我に返る。
ピントを合わせた現実世界では、爽やかな好青年がこちらを覗き込んでいて、ばっちりと視線が合わさる。一瞬、自分がどういう状況にいるのかわからず、目を瞬かせる。聞き慣れたアニメのテーマソングが耳に流れ込んできて、思い出す。
そうだ、映画……。
またしても考え込んだ挙句、武田くんの顔を凝視してしまっていたことが恥ずかしくて変な汗が滲んだ。
「そんなに見つめられると、恥ずかしいんだけど」
「――っ!」
耳元で、彼が囁いた。
吐息が頬に触れて、体の芯がぞくりと震える。その感覚に、僕はとっさに耳を押さえて体を引くも、反対側の仕切りに頭がぶつかった。
「いた」
「わ、相良くん、大丈夫?」
心配そうな声と一緒に伸びてきた手を、僕は思い切り顔を背けて拒否してしまう。
やってしまった。
そう思ったときには、もう遅くて。
焦って振り向いた先、視界に映ったのは、武田くんの悲しそうな顔。
「あ――」
けれど、その表情はほんの一瞬で笑顔に変わる。
笑顔は笑顔だけど……いつもの笑顔じゃない。お客さんに向ける愛想笑いだ。
「ごめん、映画に集中しないとだね」
そう言って、武田くんは前に向き直る。
映画が終わるまで、武田くんがこちらを向くことは一度もなかった。
*
「お帰りー。映画どうだった? 楽しかった?」
「……」
母親の声もスルーしてとぼとぼと二階の自室へと向かった僕は、ドアを閉めて一人になった瞬間に、その場に膝をついてへたり込んだ。
映画の後、本当はお昼を食べて買い物をする予定だったのだけれど解散となり、帰路についた。
『――やっぱり、俺の告白はなかったことにしてくれるかな』
気まずい雰囲気のまま映画館を出たところで、武田くんが僕に告げる。
『俺から考えてってお願いしたのに……。いろいろ振り回してごめん』
なにか言わなくちゃいけないのに、言葉が出てこなくて……。あたふたしている間に武田くんは踵を返して帰ってしまった。引き留めることもできずに、武田くんの背中を見送った。
それからどうやって帰ってきたのかも記憶がない。
それくらい、ショックを受けていた。
「どうしよう……」
武田くんのことを傷つけてしまった……。
武田くんの悲しそうな顔が目に焼き付いて消えてくれない。
嫌われたかもしれない。
あんなにあからさまな態度を取られたら、誰だって傷つくし嫌な気持ちになるに決まってる。
さっきのは、武田くんのことが嫌いだからとか嫌だからとか、そういうんじゃないんだって伝えればよかった……。
だけど、じゃぁなんなの、と聞かれても説明できる自信がなくて、言えなかったんだ。
ああでもないこうでもないと頭の中でぐるぐる押し問答していることしかできない自分に辟易してしまう。
「ちゃんと……、ちゃんと話さないと……」
つぎに会ったらちゃんと誤解を解こう。
そう決めて、緊張しながら向かったバイト先で、僕はまたしても衝撃を受けることになった。
「え、シフト変更ですか?」
「そうなんだよ、なんでも武田くん、急な用事ができたとかで今月は手塚さんとシフトを変わってもらったんだよ。今日は手塚さんあと一時間後にくることになってるから、それまで一人だけどよろしくね」
着替えを済ませてホールに出ると、店長からそう聞かされた。
しかも今日だけではないらしく、残り1週間となった今月のシフトも全て変更。見事に僕のシフトと被らないようになっていて、僕は愕然とする。
そんなに、会いたくないってこと……?
避けられてしまったというこの状況を、受け止めきれない。
さっきまでの不安とは比べ物にならないほどの不安が押し寄せてきて、足元が揺らいだ。
「相良くん……? どうかした?」
「あ、いえ……なんでもないです。急だったんで、ちょっと驚いて」
「そうだよね、今までこんなことなかったから僕もちょっとびっくりしたけど、まぁ、用事なら仕方ないし。手塚さんもシフトが増えて喜んでたから助かったよ」
それだけ言って、店長はキッチンに戻っていき、ホールに一人取り残される。ティータイムが過ぎたこの時間は、お客さんも少なくて一人で任されることが多い。僕はどうにか気を取り直して、目の前の仕事に集中した。
僕は今、過去の自分の発言を猛烈に後悔していた。
フットライトのみの暗い屋内。目の前の巨大なスクリーンには、僕の好きなアニメのキャラクターが映し出され、そして僕の隣には……キャラメルポップコーンを携えたイケメン――武田くんがいた。
そう、僕たちは映画館に来ていた。
今日は待ちに待ったアニメの劇場版の公開日。
そして、もっと詳細を説明すると、僕と武田くんはあろうことかペアシートに座っていた。
写真で見たときはもっと広々しているのかと思ったのに、いざ座ってみると全然そんなことはなくて……。
隣の武田くんと肩や腕が接触してしまうのが気になって、映画に全然集中できない。
あぁもう、どうしてペアシートなんて提案しちゃったんだ。
映画化が決まり、武田くんに誘ってもらったときに、知らない人が近くにいると集中できないからと、ペアシートがいいと言ったのは間違いなく僕自身。
告白される前に決めたことだから仕方がないとはいえ、過去の自分が心底恨めしい。
触れているところばかりに意識が集中してしまう。
映画の内容なんて全然入ってきやしない。
ちらりと武田くんを盗み見るも、彼は真っ直ぐにスクリーンを見つめていた。武田くんの綺麗な顔が、スクリーンの光にちかちかと照らされている。すーっと通った鼻筋は、アルプス山脈ばりに高く聳え立って、実年齢よりも大人びた印象を与えている。
どの角度から見てもかっこいいの、ずるい……。
思わず溜息が零れる。
好きだと告白されてから早一週間。
考えても考えても、僕の思考は堂々巡りを繰り返して答えが出ないままだった。
未だに恋愛感情がどういうものかわからない僕だけど、あの日、バイト中に手を握られたことに嫌悪感は一切なかった。
それだけじゃない。
覚悟してと言われてから今日まで、武田くんはおとぎ話にでも出てくる王子さまになったのかと目を疑うほど、スマートに僕を口説き始めた。
「かわいい」とか「好き」とか、そんな甘い言葉を隙あらば恥ずかしげもなく僕に言うのだから、たまったもんじゃない。その猛アプローチに僕はなす術もなく、やられっぱなしだ。恥ずかしすぎて、なにも言えなくなってしまう。
あまりに耐えられなくて、勘弁してほしいと訴えたけれど、「だって、相良くん、言わなくちゃ伝わらないから」とすげなく却下されてしまった。その通り過ぎて、反論どころかぐうの音もでなかった。
イケメンだから、なにを言ってもやっても様になるのがずるい。
またしても考え込んでいた僕は、膝の辺りをツンツンされて我に返る。
ピントを合わせた現実世界では、爽やかな好青年がこちらを覗き込んでいて、ばっちりと視線が合わさる。一瞬、自分がどういう状況にいるのかわからず、目を瞬かせる。聞き慣れたアニメのテーマソングが耳に流れ込んできて、思い出す。
そうだ、映画……。
またしても考え込んだ挙句、武田くんの顔を凝視してしまっていたことが恥ずかしくて変な汗が滲んだ。
「そんなに見つめられると、恥ずかしいんだけど」
「――っ!」
耳元で、彼が囁いた。
吐息が頬に触れて、体の芯がぞくりと震える。その感覚に、僕はとっさに耳を押さえて体を引くも、反対側の仕切りに頭がぶつかった。
「いた」
「わ、相良くん、大丈夫?」
心配そうな声と一緒に伸びてきた手を、僕は思い切り顔を背けて拒否してしまう。
やってしまった。
そう思ったときには、もう遅くて。
焦って振り向いた先、視界に映ったのは、武田くんの悲しそうな顔。
「あ――」
けれど、その表情はほんの一瞬で笑顔に変わる。
笑顔は笑顔だけど……いつもの笑顔じゃない。お客さんに向ける愛想笑いだ。
「ごめん、映画に集中しないとだね」
そう言って、武田くんは前に向き直る。
映画が終わるまで、武田くんがこちらを向くことは一度もなかった。
*
「お帰りー。映画どうだった? 楽しかった?」
「……」
母親の声もスルーしてとぼとぼと二階の自室へと向かった僕は、ドアを閉めて一人になった瞬間に、その場に膝をついてへたり込んだ。
映画の後、本当はお昼を食べて買い物をする予定だったのだけれど解散となり、帰路についた。
『――やっぱり、俺の告白はなかったことにしてくれるかな』
気まずい雰囲気のまま映画館を出たところで、武田くんが僕に告げる。
『俺から考えてってお願いしたのに……。いろいろ振り回してごめん』
なにか言わなくちゃいけないのに、言葉が出てこなくて……。あたふたしている間に武田くんは踵を返して帰ってしまった。引き留めることもできずに、武田くんの背中を見送った。
それからどうやって帰ってきたのかも記憶がない。
それくらい、ショックを受けていた。
「どうしよう……」
武田くんのことを傷つけてしまった……。
武田くんの悲しそうな顔が目に焼き付いて消えてくれない。
嫌われたかもしれない。
あんなにあからさまな態度を取られたら、誰だって傷つくし嫌な気持ちになるに決まってる。
さっきのは、武田くんのことが嫌いだからとか嫌だからとか、そういうんじゃないんだって伝えればよかった……。
だけど、じゃぁなんなの、と聞かれても説明できる自信がなくて、言えなかったんだ。
ああでもないこうでもないと頭の中でぐるぐる押し問答していることしかできない自分に辟易してしまう。
「ちゃんと……、ちゃんと話さないと……」
つぎに会ったらちゃんと誤解を解こう。
そう決めて、緊張しながら向かったバイト先で、僕はまたしても衝撃を受けることになった。
「え、シフト変更ですか?」
「そうなんだよ、なんでも武田くん、急な用事ができたとかで今月は手塚さんとシフトを変わってもらったんだよ。今日は手塚さんあと一時間後にくることになってるから、それまで一人だけどよろしくね」
着替えを済ませてホールに出ると、店長からそう聞かされた。
しかも今日だけではないらしく、残り1週間となった今月のシフトも全て変更。見事に僕のシフトと被らないようになっていて、僕は愕然とする。
そんなに、会いたくないってこと……?
避けられてしまったというこの状況を、受け止めきれない。
さっきまでの不安とは比べ物にならないほどの不安が押し寄せてきて、足元が揺らいだ。
「相良くん……? どうかした?」
「あ、いえ……なんでもないです。急だったんで、ちょっと驚いて」
「そうだよね、今までこんなことなかったから僕もちょっとびっくりしたけど、まぁ、用事なら仕方ないし。手塚さんもシフトが増えて喜んでたから助かったよ」
それだけ言って、店長はキッチンに戻っていき、ホールに一人取り残される。ティータイムが過ぎたこの時間は、お客さんも少なくて一人で任されることが多い。僕はどうにか気を取り直して、目の前の仕事に集中した。