2話
「うっわ、樹、その目どーした」
朝のHRギリギリに登校してきたクラスメイトの千紘が、僕の顔を見てぎょっとした。
千紘とは、家が近所で小中高ずっと一緒のいわゆる幼なじみというやつ。母親同士も仲がよくて、家族ぐるみで付き合いがある。今はなんの因果か、前後の席でやたらと接点が多い。
「ただの寝不足」
やっぱり目立つよね、と黒ずんだ目の下を指でなぞった。
「ははーん、さては小テストの勉強徹夜したな⁉」
「小テスト……?」嫌な予感が胸を過ぎる。
「一限の英語だよ。昨日やじーが言ってたじゃん」
「――あっ!」
完全に忘れてしまっていた。
どうりで教室がやけに静かだなと思ったら、みんな一様に英単語帳を開いていることに今気づいて僕は頭を抱える。
バイトから帰ったら復習しようと思っていたのに!
「樹がテスト忘れるなんて珍しいな」
「僕も……ちょっとびっくりしてる……」
自分で言うのもなんだけど、宿題やテスト勉強には余念がない。
千紘がなにかを言おうと口を開いたところで担任が入ってきて、話は中断された。
担任の話を流しながら、今から悪あがきしても意味がないだろう、と僕は小テストを諦めた。……というよりも、眠たすぎてもう頭が回らなかった。担任の声が、まるで子守歌のように僕の眠気を増長してくるおかげで大きな大きなあくびをひとつ。
昨日、武田くんに告白されるという衝撃イベントによって、帰宅してからもずっと頭を占領されてほとんど眠れなかったんだ。
一度気になると、ずっと頭の中でぐるぐると考え込んでしまう自分の性格が、昨日ほど恨めしいと思った日はないんじゃないだろうか。
ようやく眠りについたのは、窓の外がほんのりと明るくなった頃で、いつも遅くても十一時には寝る僕にとっては、睡眠時間が足りなくて眠くてたまらなかった。
*
結局、小テストも散々な結果に終わり、授業もほぼほぼ寝てしまった僕は、昼休みにはだいぶ元気を取り戻していた。
「よし、この千紘さまが寝不足の理由を聞いてしんぜよう」
校庭の木陰に腰を据えると、千紘が待ってましたとばかりに胸を張る。
絶対聞いてくると思った。
僕は考える。いや、もうずっと考えていた。
告白されただけでも初めてのことでどう対処したらいいのかよくわからないし、そこにプラスして同性というレア要素が加わっている。
正直に言うと、ものすごーく千紘に話を聞いてほしかった。
こんなこと、家族にも恥ずかしくて言えないし……相談できる友だちといったら千紘の顔くらいしか浮かばなかった。
だけど僕は思いとどまる。
千紘と武田くんは面識があるのだ。僕がフェリーチェでバイトを始めて少しした頃、千紘が一度だけ様子を見にお店に来てくれたことがあって、そのときに武田くんを千紘に紹介している。
だから、千紘に話すということは、武田くんのセンシティブなところを教えることになってしまう。第三者の僕が。
それは、ちょっと……というか、かなりよくないことだと思う。
「……聞いてほしいのはやまやまだけど、ちょっとむり」
俯いた僕に、千紘の「そっか」というちょっと残念そうな声が届く。
「あっ、……いや、待って。千紘に聞いても参考にならないんじゃ……?」
一つだけ、誰かに聞きたいことがあったのを思い出したものの、その相手が千紘という点に一抹の不安が残る。
「おいおい樹さん、珍しく心の声が口から零れてますよ」
千紘を無視して、僕はうーんと唸った。
というのも、千紘は恋愛において非常にだらしがなくて、来るもの拒まず去るもの追わずの典型的なクズ男だ。見てくれがいいばかりに、泣きを見る女子が後を絶たたない。
そんな千紘にこれを聞いたところで果たして正しい答えが得られるかどうか……。
「まぁ、なんでも聞いてみろって」と千紘は不敵な笑みを顔に浮かべる。無駄に整ったその顔は、爽やかな武田くんとはまた違ったちょっと影のあるタイプのイケメンだ。
アンニュイな雰囲気が魅力的、とクラスの女子が口をそろえて言っていたけれど、僕には千紘のどこに惹かれる要素があるのかさっぱりわからない。
まぁ、聞くのはタダだし……、と僕は頭を切り替えて訊ねてみた。
「……友だちの好きと、恋愛の好きってどう違うの」
千紘は僕の問いに目を見開いたかと思うとそのままフリーズした。
「は……? え、待って、樹くん。もしかしてもしかしなくても、今悩んでるのって恋愛絡みですか⁉」
ぐいっと顔を近づけてくる千紘から顔を逸らせば、それを肯定と受け取ったのか、今度は大仰にのけぞった。
「マジかー!」
はー!とかへー!とか言葉にならない声を連発する千紘。予想通りのリアクションだったけれども、やっぱり恥ずかしい。
色恋沙汰に事欠かない千紘とは対照的に、僕はこれまで恋愛とは無縁の生活を送ってきた。だから千紘からすると、僕が恋愛で悩んでいるなんてつゆとも思わなかったに違いない。
当事者の僕ですら、こんなことになるなんて夢にも思わなかったんだから。
「いやー、そっかぁ……あの樹がねぇ……へー」
「ねぇ、質問に答える気ある?」
「ありますあります! えーと、好きの違いだっけ……。あー、そうだなぁ……好きな人には――」
どんな解答がもらえるのか、僕は固唾をのんで待った。
「うっわ、樹、その目どーした」
朝のHRギリギリに登校してきたクラスメイトの千紘が、僕の顔を見てぎょっとした。
千紘とは、家が近所で小中高ずっと一緒のいわゆる幼なじみというやつ。母親同士も仲がよくて、家族ぐるみで付き合いがある。今はなんの因果か、前後の席でやたらと接点が多い。
「ただの寝不足」
やっぱり目立つよね、と黒ずんだ目の下を指でなぞった。
「ははーん、さては小テストの勉強徹夜したな⁉」
「小テスト……?」嫌な予感が胸を過ぎる。
「一限の英語だよ。昨日やじーが言ってたじゃん」
「――あっ!」
完全に忘れてしまっていた。
どうりで教室がやけに静かだなと思ったら、みんな一様に英単語帳を開いていることに今気づいて僕は頭を抱える。
バイトから帰ったら復習しようと思っていたのに!
「樹がテスト忘れるなんて珍しいな」
「僕も……ちょっとびっくりしてる……」
自分で言うのもなんだけど、宿題やテスト勉強には余念がない。
千紘がなにかを言おうと口を開いたところで担任が入ってきて、話は中断された。
担任の話を流しながら、今から悪あがきしても意味がないだろう、と僕は小テストを諦めた。……というよりも、眠たすぎてもう頭が回らなかった。担任の声が、まるで子守歌のように僕の眠気を増長してくるおかげで大きな大きなあくびをひとつ。
昨日、武田くんに告白されるという衝撃イベントによって、帰宅してからもずっと頭を占領されてほとんど眠れなかったんだ。
一度気になると、ずっと頭の中でぐるぐると考え込んでしまう自分の性格が、昨日ほど恨めしいと思った日はないんじゃないだろうか。
ようやく眠りについたのは、窓の外がほんのりと明るくなった頃で、いつも遅くても十一時には寝る僕にとっては、睡眠時間が足りなくて眠くてたまらなかった。
*
結局、小テストも散々な結果に終わり、授業もほぼほぼ寝てしまった僕は、昼休みにはだいぶ元気を取り戻していた。
「よし、この千紘さまが寝不足の理由を聞いてしんぜよう」
校庭の木陰に腰を据えると、千紘が待ってましたとばかりに胸を張る。
絶対聞いてくると思った。
僕は考える。いや、もうずっと考えていた。
告白されただけでも初めてのことでどう対処したらいいのかよくわからないし、そこにプラスして同性というレア要素が加わっている。
正直に言うと、ものすごーく千紘に話を聞いてほしかった。
こんなこと、家族にも恥ずかしくて言えないし……相談できる友だちといったら千紘の顔くらいしか浮かばなかった。
だけど僕は思いとどまる。
千紘と武田くんは面識があるのだ。僕がフェリーチェでバイトを始めて少しした頃、千紘が一度だけ様子を見にお店に来てくれたことがあって、そのときに武田くんを千紘に紹介している。
だから、千紘に話すということは、武田くんのセンシティブなところを教えることになってしまう。第三者の僕が。
それは、ちょっと……というか、かなりよくないことだと思う。
「……聞いてほしいのはやまやまだけど、ちょっとむり」
俯いた僕に、千紘の「そっか」というちょっと残念そうな声が届く。
「あっ、……いや、待って。千紘に聞いても参考にならないんじゃ……?」
一つだけ、誰かに聞きたいことがあったのを思い出したものの、その相手が千紘という点に一抹の不安が残る。
「おいおい樹さん、珍しく心の声が口から零れてますよ」
千紘を無視して、僕はうーんと唸った。
というのも、千紘は恋愛において非常にだらしがなくて、来るもの拒まず去るもの追わずの典型的なクズ男だ。見てくれがいいばかりに、泣きを見る女子が後を絶たたない。
そんな千紘にこれを聞いたところで果たして正しい答えが得られるかどうか……。
「まぁ、なんでも聞いてみろって」と千紘は不敵な笑みを顔に浮かべる。無駄に整ったその顔は、爽やかな武田くんとはまた違ったちょっと影のあるタイプのイケメンだ。
アンニュイな雰囲気が魅力的、とクラスの女子が口をそろえて言っていたけれど、僕には千紘のどこに惹かれる要素があるのかさっぱりわからない。
まぁ、聞くのはタダだし……、と僕は頭を切り替えて訊ねてみた。
「……友だちの好きと、恋愛の好きってどう違うの」
千紘は僕の問いに目を見開いたかと思うとそのままフリーズした。
「は……? え、待って、樹くん。もしかしてもしかしなくても、今悩んでるのって恋愛絡みですか⁉」
ぐいっと顔を近づけてくる千紘から顔を逸らせば、それを肯定と受け取ったのか、今度は大仰にのけぞった。
「マジかー!」
はー!とかへー!とか言葉にならない声を連発する千紘。予想通りのリアクションだったけれども、やっぱり恥ずかしい。
色恋沙汰に事欠かない千紘とは対照的に、僕はこれまで恋愛とは無縁の生活を送ってきた。だから千紘からすると、僕が恋愛で悩んでいるなんてつゆとも思わなかったに違いない。
当事者の僕ですら、こんなことになるなんて夢にも思わなかったんだから。
「いやー、そっかぁ……あの樹がねぇ……へー」
「ねぇ、質問に答える気ある?」
「ありますあります! えーと、好きの違いだっけ……。あー、そうだなぁ……好きな人には――」
どんな解答がもらえるのか、僕は固唾をのんで待った。