1話
「好きなんだよね。相良くんのこと」
武田くんにそう言われたのは、カフェ・フェリーチェでのバイト中のことだった。
あまりに唐突な話題に、僕・相良樹は隣に立っている武田くんの、女性受けする爽やかな横顔を仰ぎ見る。僕よりも十センチ以上背が高い彼は、何食わぬ顔でフロアを見据えていた。
聞き間違いか何かかな?
うん、きっとそうに違いない。
そんな風に思って、僕もフロアへと視線を戻す。
フロアでは、二組の女性客が話に花を咲かせている。注文の品もすでに運び終えており、あとは水のおかわりか会計くらいしか仕事がなく、僕と武田くんはカウンター内で暇を持て余して雑談していたところだ。
確か、その直前の会話では、アプリゲームのガチャでお目当てのキャラが出てこないっていう話をしていたはず。
あ、そっか、僕の持っているアプリゲームのキャラが好きってことを言いたかったのかも?
好きなんだよね、相良くんの<持っているキャラ>のこと、って言おうとして<>内の言葉がすっぽりそのまま抜けてしまったとか?
と、思考を巡らせていると、
「好きっていうのは、恋愛的な意味でだよ」と、斜め上から追い討ちをかけられてしまった。
「えっ」
どうやら聞き間違いでも言い間違いでもなかったようで、僕の頭は一気に慌ただしくなる。
「えっと……」
ということはつまり?
武田くんは、僕のことが、好き?
恋愛的な意味で?
「え、なんで?」
混乱する頭を整理しようと思い事実を並べていくと、ごく当たり前のようにそんな疑問が浮かび、僕の口からポロリと零れ落ちた。
*
「お疲れさまでした」
「お先に失礼します」
夜八時過ぎ、閉店作業を終えた僕と武田くんは一緒にバイト先を出た。
結局、あの後お客さんがぞろぞろとやってきて話は中断。今の今まで業務以外の会話を交わせない程にお店は忙しかった。
なんでこんなときに限ってこんなに混むんだ。
と恨めしく思ったところで、そういえば近くのビルでちょっと大きなセミナーが開かれるから混むかもってオーナーが言ってたのを思いだした。
おかげで、さっきの武田くんの告白について考える余裕もなく僕は店内を駆けまわっていたわけだけど。それでも頭の中では、武田くんの言葉が何度も何度もリフレインしていたんだ。
――好きなんだよね。相良くんのこと。
武田くんは、男だ。
そして、僕も男だ。
武田くんは、男の人が好き、なのかな。
僕は……、と考えてみたものの、よくわからない。それに、こんな短時間で決めていいものでもない、とも思う。
そもそも誰か特定の人に対してそういう感情を持ったことがないかもしれない。
つい最近、クラスの友達と恋バナになったとき、好きな人がいないと言うと「高二にもなって恋愛したことないって変じゃね」と言われたところだった。
「――教えてほしいな」
「あっ……」
さっき考える時間がなかったせいもあり、今になってぐるぐると思考に耽ってしまっていた僕は、あろうことか武田くんの存在を一瞬忘れかけてしまっていた。
つい考え込んでしまうのは僕の悪い癖だ。
「ご、ごめん、なんて?」
焦って振り向いた僕の視界には、穏やかな表情の武田くんが映る。武田くんは、いつでも優しい。同い年だけど、バイト先では僕より数か月先輩の彼にはたくさん迷惑をかけてきたと思う。それでも、一度だって怒られたり、呆れられたり、迷惑がられたりされたことはない。
いつもおっちょこちょいな僕を、優しくさりげなくフォローしてくれる。
本当に優しくて穏やかな人なのだ。
そんな武田くんとのバイト先での時間が、僕は好きだった。同じ高校生だからシフトの時間帯も同じで、週三回は最低でも顔を合わせている。
「相良くんの考えてること、教えてほしいなって言った」
頭の中のことを、武田くんに?
それは……どうなんだろうか……。こんなまとまらないことを武田くんに伝えても、困ってしまうだけのような気がするけど……。でも、武田くんなら上手く分析してくれるかもしれないとも思う。
いつも僕のとりとめのない話を真剣に聞いてくれるし、ちゃんと僕が伝えたいことを理解してくれるから。
「なんで、って言ってたよね?」
また考え込んでいた僕を引き戻すように、武田くんの声が届く。
「あっ、そうだ!」
言われて思い出した。告白されて一番に思ったこと。バイトの慌ただしさのせいで忘れていた。
「質問、してもいい?」と聞くと、「もちろん」と快諾してくれた。
「その……なんで僕なのかな、って」
だって、武田くんは背も高くて、顔も整っていて、どこからどう見てもかっこいいイケメンだ。バイト先のカフェにだって、武田くん目当てで来るお客さんもいる。
この前は、武田くんと同じ高校の女子生徒が来てずっと熱視線を送っていたし。
優しくて穏やかでかっこいい人が、どうして冴えない僕なんかを好きになるのかって疑問に思うのは当然な流れだ。
「そういうところ、かな」
「え? そういうところってどういうところ⁉」
「そうやって、ちゃんと考えて向き合ってくれるところ」
「僕、なにも特別なことはしてないと思うけど……」
それに、考えるのはもともとの癖でもある。
首をかしげていると、武田くんはくすりと笑う。
「普通はね、相良くん。いきなり同性に告白されたら、大体のひとは『無理です、ごめんなさい』って断って終わりだと思うんだ」
普通……はそういうものなのか。
恋愛を一度もしたことがなければ、告白したこともない僕には、普通がわからなかった。
「でも、相良くんは今、たくさん俺のこと考えてくれてるよね。今だけじゃないよ、バイトでも俺とかほかのスタッフさんを気遣って入ってくれたり、お客さんのことちゃんと見て動いたり。そうやって、相手のことを思いやることが当たり前にできちゃう相良くんだから好きになったんだ」
うわぁ、また告白されちゃった……!
さらっと「好き」と告げられて、僕の胸がどくどくとうるさくなる。
誰かに「好き」なんて言われたのは、記憶にある限り武田くんが初めてだ。恋愛耐性ゼロの僕は、その言葉をどう受け止めればいいのか、どう言葉を返すべきなのかがわからなくて「あ、ありがとう……」と当たり障りのない感謝の言葉を返すことしかできない。
まさか、武田くんが僕のことをそんな風に見てくれていたなんて驚きだった。
人に褒めてもらうことは嬉しいけど、慣れていない僕にとっては同じくらい恥ずかしい。
返事に困っていると、武田くんが足を止めた。
僕も止まって視線を上げると、もう駅前の広場だった。八時過ぎの駅前は、仕事終わりのビジネスパーソンたちや学生でにぎわっていて少し耳にうるさい。
ここから僕は電車に乗って、武田くんは歩いて家に帰る。
さよならの時間だ。
「えっと、その……」
まだ、話し足りないのに。
ちゃんと話したいと思うも、引き留める勇気はなくて、僕はおずおずと武田くんを見上げる。駅前の明るすぎる照明の下で見る武田くんは、なんだかいつより眩しかった。
もじもじする僕に武田くんは、すごく、すごく慈愛に満ちた眼差しを向ける。
なんだか、僕が言うのはとてもおこがましくて気が引けるのだけれど……、武田くんの目は、僕のことが「すごく好き」って言っているように見えて顔が沸騰した。
やっぱり、信じられないよ。
こんなにかっこいいひとが、僕なんかのことを好きだなんて。
信じられないけど、武田くんは嘘をつくようなひとじゃないってわかってる。わかってるから、僕はどうしたらいいかわからない。
「困らせてごめんね。……けど、俺のこと少しでもいいから考えてくれたら嬉しい」
顔が熱くて、なんだか喉が苦しくて言葉が出ない。
うん、と頷くのが精いっぱいだった。
「ありがとう! じゃぁ、また明日フェリーチェでね」
「う、うん、また明日」
赤くなって情けない顔を、これ以上武田くんに見られるのが恥ずかしくて、僕はくるりと踵を返して歩き出した。
火照った頬を風が撫でる。
それなのにちっとも熱は冷めてくれなかった。
どくどくと逸る血流にせかされるように駆け下りたホームには、僕が乗る方面の電車がすでに到着していた。そのまま乗り込んでドアの隅に陣取って気持ちを落ち着ける。
息を深く吸って、吐いて。
周りから怪しまれない程度に静かに呼吸を繰り返す。
武田くんが、僕のことを、好き。
改めて頭の中で言葉にしてみても、なんだかしっくりこなくて上手く飲み込めない。でも、これは事実なのだ。そう思えば思うほど、僕の心臓がどくどくと鼓動を打つ。
落ち着くどころか、僕の心の中は余計にざわざわしてしまう。
武田くんは、考えてほしいと言った。
僕も、ちゃんと考えるべきだと思っている。だって、武田くんは大事な友だちでもあるから。
僕は、気付けば武田くんと出会ったときのことを思い出していた。
「好きなんだよね。相良くんのこと」
武田くんにそう言われたのは、カフェ・フェリーチェでのバイト中のことだった。
あまりに唐突な話題に、僕・相良樹は隣に立っている武田くんの、女性受けする爽やかな横顔を仰ぎ見る。僕よりも十センチ以上背が高い彼は、何食わぬ顔でフロアを見据えていた。
聞き間違いか何かかな?
うん、きっとそうに違いない。
そんな風に思って、僕もフロアへと視線を戻す。
フロアでは、二組の女性客が話に花を咲かせている。注文の品もすでに運び終えており、あとは水のおかわりか会計くらいしか仕事がなく、僕と武田くんはカウンター内で暇を持て余して雑談していたところだ。
確か、その直前の会話では、アプリゲームのガチャでお目当てのキャラが出てこないっていう話をしていたはず。
あ、そっか、僕の持っているアプリゲームのキャラが好きってことを言いたかったのかも?
好きなんだよね、相良くんの<持っているキャラ>のこと、って言おうとして<>内の言葉がすっぽりそのまま抜けてしまったとか?
と、思考を巡らせていると、
「好きっていうのは、恋愛的な意味でだよ」と、斜め上から追い討ちをかけられてしまった。
「えっ」
どうやら聞き間違いでも言い間違いでもなかったようで、僕の頭は一気に慌ただしくなる。
「えっと……」
ということはつまり?
武田くんは、僕のことが、好き?
恋愛的な意味で?
「え、なんで?」
混乱する頭を整理しようと思い事実を並べていくと、ごく当たり前のようにそんな疑問が浮かび、僕の口からポロリと零れ落ちた。
*
「お疲れさまでした」
「お先に失礼します」
夜八時過ぎ、閉店作業を終えた僕と武田くんは一緒にバイト先を出た。
結局、あの後お客さんがぞろぞろとやってきて話は中断。今の今まで業務以外の会話を交わせない程にお店は忙しかった。
なんでこんなときに限ってこんなに混むんだ。
と恨めしく思ったところで、そういえば近くのビルでちょっと大きなセミナーが開かれるから混むかもってオーナーが言ってたのを思いだした。
おかげで、さっきの武田くんの告白について考える余裕もなく僕は店内を駆けまわっていたわけだけど。それでも頭の中では、武田くんの言葉が何度も何度もリフレインしていたんだ。
――好きなんだよね。相良くんのこと。
武田くんは、男だ。
そして、僕も男だ。
武田くんは、男の人が好き、なのかな。
僕は……、と考えてみたものの、よくわからない。それに、こんな短時間で決めていいものでもない、とも思う。
そもそも誰か特定の人に対してそういう感情を持ったことがないかもしれない。
つい最近、クラスの友達と恋バナになったとき、好きな人がいないと言うと「高二にもなって恋愛したことないって変じゃね」と言われたところだった。
「――教えてほしいな」
「あっ……」
さっき考える時間がなかったせいもあり、今になってぐるぐると思考に耽ってしまっていた僕は、あろうことか武田くんの存在を一瞬忘れかけてしまっていた。
つい考え込んでしまうのは僕の悪い癖だ。
「ご、ごめん、なんて?」
焦って振り向いた僕の視界には、穏やかな表情の武田くんが映る。武田くんは、いつでも優しい。同い年だけど、バイト先では僕より数か月先輩の彼にはたくさん迷惑をかけてきたと思う。それでも、一度だって怒られたり、呆れられたり、迷惑がられたりされたことはない。
いつもおっちょこちょいな僕を、優しくさりげなくフォローしてくれる。
本当に優しくて穏やかな人なのだ。
そんな武田くんとのバイト先での時間が、僕は好きだった。同じ高校生だからシフトの時間帯も同じで、週三回は最低でも顔を合わせている。
「相良くんの考えてること、教えてほしいなって言った」
頭の中のことを、武田くんに?
それは……どうなんだろうか……。こんなまとまらないことを武田くんに伝えても、困ってしまうだけのような気がするけど……。でも、武田くんなら上手く分析してくれるかもしれないとも思う。
いつも僕のとりとめのない話を真剣に聞いてくれるし、ちゃんと僕が伝えたいことを理解してくれるから。
「なんで、って言ってたよね?」
また考え込んでいた僕を引き戻すように、武田くんの声が届く。
「あっ、そうだ!」
言われて思い出した。告白されて一番に思ったこと。バイトの慌ただしさのせいで忘れていた。
「質問、してもいい?」と聞くと、「もちろん」と快諾してくれた。
「その……なんで僕なのかな、って」
だって、武田くんは背も高くて、顔も整っていて、どこからどう見てもかっこいいイケメンだ。バイト先のカフェにだって、武田くん目当てで来るお客さんもいる。
この前は、武田くんと同じ高校の女子生徒が来てずっと熱視線を送っていたし。
優しくて穏やかでかっこいい人が、どうして冴えない僕なんかを好きになるのかって疑問に思うのは当然な流れだ。
「そういうところ、かな」
「え? そういうところってどういうところ⁉」
「そうやって、ちゃんと考えて向き合ってくれるところ」
「僕、なにも特別なことはしてないと思うけど……」
それに、考えるのはもともとの癖でもある。
首をかしげていると、武田くんはくすりと笑う。
「普通はね、相良くん。いきなり同性に告白されたら、大体のひとは『無理です、ごめんなさい』って断って終わりだと思うんだ」
普通……はそういうものなのか。
恋愛を一度もしたことがなければ、告白したこともない僕には、普通がわからなかった。
「でも、相良くんは今、たくさん俺のこと考えてくれてるよね。今だけじゃないよ、バイトでも俺とかほかのスタッフさんを気遣って入ってくれたり、お客さんのことちゃんと見て動いたり。そうやって、相手のことを思いやることが当たり前にできちゃう相良くんだから好きになったんだ」
うわぁ、また告白されちゃった……!
さらっと「好き」と告げられて、僕の胸がどくどくとうるさくなる。
誰かに「好き」なんて言われたのは、記憶にある限り武田くんが初めてだ。恋愛耐性ゼロの僕は、その言葉をどう受け止めればいいのか、どう言葉を返すべきなのかがわからなくて「あ、ありがとう……」と当たり障りのない感謝の言葉を返すことしかできない。
まさか、武田くんが僕のことをそんな風に見てくれていたなんて驚きだった。
人に褒めてもらうことは嬉しいけど、慣れていない僕にとっては同じくらい恥ずかしい。
返事に困っていると、武田くんが足を止めた。
僕も止まって視線を上げると、もう駅前の広場だった。八時過ぎの駅前は、仕事終わりのビジネスパーソンたちや学生でにぎわっていて少し耳にうるさい。
ここから僕は電車に乗って、武田くんは歩いて家に帰る。
さよならの時間だ。
「えっと、その……」
まだ、話し足りないのに。
ちゃんと話したいと思うも、引き留める勇気はなくて、僕はおずおずと武田くんを見上げる。駅前の明るすぎる照明の下で見る武田くんは、なんだかいつより眩しかった。
もじもじする僕に武田くんは、すごく、すごく慈愛に満ちた眼差しを向ける。
なんだか、僕が言うのはとてもおこがましくて気が引けるのだけれど……、武田くんの目は、僕のことが「すごく好き」って言っているように見えて顔が沸騰した。
やっぱり、信じられないよ。
こんなにかっこいいひとが、僕なんかのことを好きだなんて。
信じられないけど、武田くんは嘘をつくようなひとじゃないってわかってる。わかってるから、僕はどうしたらいいかわからない。
「困らせてごめんね。……けど、俺のこと少しでもいいから考えてくれたら嬉しい」
顔が熱くて、なんだか喉が苦しくて言葉が出ない。
うん、と頷くのが精いっぱいだった。
「ありがとう! じゃぁ、また明日フェリーチェでね」
「う、うん、また明日」
赤くなって情けない顔を、これ以上武田くんに見られるのが恥ずかしくて、僕はくるりと踵を返して歩き出した。
火照った頬を風が撫でる。
それなのにちっとも熱は冷めてくれなかった。
どくどくと逸る血流にせかされるように駆け下りたホームには、僕が乗る方面の電車がすでに到着していた。そのまま乗り込んでドアの隅に陣取って気持ちを落ち着ける。
息を深く吸って、吐いて。
周りから怪しまれない程度に静かに呼吸を繰り返す。
武田くんが、僕のことを、好き。
改めて頭の中で言葉にしてみても、なんだかしっくりこなくて上手く飲み込めない。でも、これは事実なのだ。そう思えば思うほど、僕の心臓がどくどくと鼓動を打つ。
落ち着くどころか、僕の心の中は余計にざわざわしてしまう。
武田くんは、考えてほしいと言った。
僕も、ちゃんと考えるべきだと思っている。だって、武田くんは大事な友だちでもあるから。
僕は、気付けば武田くんと出会ったときのことを思い出していた。