「花が咲き誇る季節ですから、いい写真が撮れそうですね」
「時代が進めば、写真に色を残すこともできるんだろうが……そこまで生きられるのか不明なところが残念だ」

 首の後ろを触りながら、悠真(ゆうま)様は悔しそうに唇をぎゅっと結んだ。

「あの、もしかして、この写真を撮影されたのは……」

 一度見たら忘れられなくなるような、心を奪う魅力溢れた写真たち。
 それらを撮影した方が目の前にいらっしゃるなんて、感動で言葉を失ってしまいそうになる。

「とても……とても素敵な写真です」

 もっと、外の世界を知りたくなった。
 北白川(きたしらかわ)での生活しか知らなかった私が、外の世界を歩んでみたいと思えるようになった。
そんな素直な気持ちを、悠真様へと伝えた。

「ありがとう、結葵(ゆき)

 気持ちを隠すことなく伝えることで、私にはもったいないくらいのお礼の言葉を悠真様からいただいてしまった。

「何もかもが片づいたら、世界を巡る旅でもしたいな」
「旅……」
「趣味で続けてきた写真の集大成というところか」

 北白川の中での出来事が人生のすべてだった私にとっては、とても規模の大きな話をされていて想像することも難しいくらい壮大な旅のように思えた。
 それでも唯一想像できることは、毎日が多くの出会いで満ち溢れているんだろうなということくらい。

「結葵に」

 私の知らない世界のお話に対して、頑張って妄想を膨らませる。
 頭の中が希望のようなもので埋め尽くされていく最中に、突然、自分の名が話題に乗せられた。

「年老いてからの趣味に付き合わせるもの悪いとは思うんだが……命が尽きるその日まで、旅を楽しみたいっていう夢を諦めきれない」

 名前を出されたことで、私の意識は妄想から帰還した。
 しっかり現実と向き合いなさいと、自分の意識に叱咤される。

「もちろん旅が終わったら、結葵には自由に生きてほしいと思って……」
「旅の中で、互いの生き方を見つけていきたいですね」

 悠真様との関係は、紫純琥珀蝶(しじゅんこはくちょう)を通して結ばれたもの。
 悠真様との繋がりを、紫純琥珀蝶(しじゅんこはくちょう)が存在しない未来まで繋いではいけない。
 何度も何度も頭をかすめてきた言葉を、改めて心の中で唱える。

「…………あの」

 それでも、今はかりそめの婚約者同士だから。
 悠真様に、愛を注いでもらう日々は本物。

「悠真様の旅が素晴らしいものになるように」

 私は、悠真様に嫌われていないかもしれない。
 かもしれないって思えたことが、私に強さのようなものを与えてくれた。
だから私は、悠真様を幸せにする一番の方法を見つけにいきたいと強く願う。

「お祈り申し上げます」

 悠真様は、世界を巡る旅に出る。
 紫純琥珀蝶(しじゅんこはくちょう)が飛び交わない世界が、どんな世界なのかを知っていくために。
 遠い未来で悠真様はご自身の足を使って、世界を確かめに行くと知っている。
 だから、いつかは私との別れは訪れる。

「……空の色も美しいのでしょうね」
「空は繋がっているはずなのに、どうしてその土地によって違った色を見せるんだろうな」

 悠真様にとっては、ふとした疑問を言葉にしただけのことだったと思う。
 でも……。

「素敵な表現……ですね」

 意味不明なことを言ってしまったかもしれない。
 でも、本当に悠真様の言葉を素敵だと思った。
 心の中に生まれた気持ちを、私は素直に言葉で表現してみた。

「空が繋がっているというところが、です」
「……素敵というより、事実を述べただけだがな」

 私の発言が、悠真様のことを困らせている。
 悠真様の言う通り、世界のどこへ行ったとしても空は繋がっている。
 空が途切れるなんてことが起きるわけでもないのに、私は悠真様がふと口にした言葉を好きだと感じた。

「悠真様と一緒に、美しい空を見上げたいです」
「記憶を喰らわないと保証してくれるなら、蝶も一緒に連れて行きたいな」
「……ありがとうございます、悠真様」

 私が大切に想う紫純琥珀蝶(しじゅんこはくちょう)を、悠真様も大切に想ってくれていることに感謝の気持ちを伝えたつもりだった。でも、肝心の悠真様の心ここにあらずといった雰囲気になっていることに気がつく。

「お疲れですか? でしたら、寝室に……」

 こんな風に、言葉を選ぼうとする悠真様は珍しいと思った。
 私は悠真様の言葉を待つことしかできないから視線を悠真様に向けたままだけど、悠真様の視線はなかなか私に定まってくれない。

「…………」
「…………」

 何を言葉にしたらいいのか分からないのは一目瞭然。
 焦らなくていいよとか、無理に言葉を紡がなくていいよとか、悠真様に向けるべき言葉はいくつか思いつくけど……。

(こんな悠真様が貴重すぎて……)

 言葉を送ることよりも、悠真様のことをずっと見ていたい。
 悠真様の心が落ち着くまで見守っていたい。
 そんな風に思ってしまう。