雪が降る日は、空の色が灰色に染まってしまう。
その、灰色がほんの少し苦手だった。
だから私は、白で染まりゆく世界に視線を向ける。
「紫純琥珀蝶の研究をしているという話をしたな」
「協力してくれと、悠真様はおっしゃられていました」
「その話は本当だが、嘘でもある」
明るい白は、心を高い位置へと運んでくれるような気がしたから。
もっと、もっと、幸せになりたい。
そんな残酷で美しい願いを抱き続けてもいいんだって、白い世界が肯定してくれるような。そんな気がしたから、私は冬の白に惹かれたのかもしれない。
「俺たちは蝶を狩る側でもあり、研究する側でもあり、利用する側でもあるということだ」
初さんに見送られるかたちで、私たちは筒路森の屋敷へと戻ってきた。
別れ際に初さんの顔を確認したくて振り返ると、初さんは何も怖がることはない。
何も心配せずに、いってらっしゃいと穏やかな優しい声をかけてくれた。
「狩る側という意味も理解できます。研究という意味も理解できます。利用というのは……蝶が人の記憶を喰らうという点でしょうか」
「察しがいいな」
私は、北白川の屋敷を出るなと言われていた。
両親が私を外の脅威から守るためだと言い聞かせていたけれど、外の世界に出ても私を守ってくれる人と私は巡り合うことができた。
「政治家や金持ち連中にとって不都合な記憶を、蝶の力で消す」
門を、初めて抜けたとき。
悠真様が、手を繋いでいてくれた。
悠真様が一緒に、白い世界へ足跡をつけることを手助けしてくれた。
「そうやって、筒路森は栄えてきた」
この門に、戻ってくるときも。
悠真様が、筒路森へと迎え入れてくれる。
悠真様が一緒に、白い世界へ足跡をつけることを手助けしてくれる。
「そこまでできるのなら、もう紫純琥珀蝶は管理できているようなものなのでは……」
「いや、できていない。できていないからこそ、多くの人間の記憶が犠牲になった」
もっと、悠真様のためになることがしたい。
こういう欲は、醜いのかもしれない。
もっと相手に尽くしたいと思っても、それは相手にとっての迷惑にも繋がるかもしれない。
(そもそも私の場合は、悠真様に尽くすことすらできていないけれど)
悠真様の力になりたい。
そんな夢や希望を抱いたところで、自分が悠真様のためにできたことなんて何もない気がする。
「この若さで筒路森の当主になったのも……」
「待ってください、その先は言葉にしなくても……」
「両親が蝶の実験に失敗した流れで、だ」
紫純琥珀蝶は、誰を裏切り者と称したのか。
私は蝶のおかげで真実を知ることができたけれど、私が選んだ選択は悠真様を幸せにすることはできなかった。
「蝶を狩る、人々を守ると言っておきながら、裏では人の記憶を奪う手助けをしていたってことだ」
幼い頃、紫純琥珀蝶は外の世界に出ることは怖いことじゃないと教えてくれた。
私は家族の輪に入れてもらうために、北白川の屋敷に閉じ込められたままでいたい。
そう言葉を返したけれど、今なら蝶の言葉を理解できるような気がする。
「そういう意味で、狩り人は民の信頼を裏切っている」
北白川の外は、優しさ溢れる世界だった。
蝶が教えてくれたのは本当のことで、何も怖いことなんてなかった。
北白川の外に、怖いものなんて何も待っていなかった。
(怯えていたのは、私だけではなかったのかもしれない……)
北白川の外に出たら、二度と私を愛してくれる人と出会えなくなるんじゃないか。
私の世界が広がるということは、両親の視界に二度と入ることができなくなるんじゃないか。
そう思っていた。
そう思い込んでいた。
「私も、裏切り者です」
その恐怖は、誰に話すこともなかった。
両親の愛を失ってしまうことが怖かったなんて、蝶にも伝えたことはなかった。
「蝶と過ごした時間を愛していたのに、蝶を筒路森に、悠真様に差し出しました……」
北白川の外に出たら、私は両親から嫌われてしまう。
両親に愛されなかった子に、生きる場所はない。
だから、好かれなきゃいけないと思った。
「蝶も、悠真様も大切なのに、私は紫純琥珀蝶を裏切りました」
好かれるために、良い子でいなければいけないと思った。
だから、自分の心は包み隠さないといけない。
誰に話すこともなく、私の中での秘密として抱えてきた。
「私も悠真様と同じです。だから、私だけ仲間外れにしないで……」
こういうのを、縋ると言うのかもしれない。
今なら、妹が恋い慕う相手に寄り添いたい気持ちが理解できる。
「蝶は、君を守っただろ」
私はいつだって、人から何かを奪うことしかできない。
「君は、蝶に愛されている」
私はいつだって、人から何かを与えてもらうことでしか生きられない。
「結葵は、裏切り者なんかじゃない」
狩り人のみなさんは、穏やかな笑みを浮かべる。
悠真様も、その一人。
無理に笑っているのかもしれないけれど、含みのあるような作り笑顔ではない。
いつだって、私を安心させるための笑顔を向けてくれる。
その、灰色がほんの少し苦手だった。
だから私は、白で染まりゆく世界に視線を向ける。
「紫純琥珀蝶の研究をしているという話をしたな」
「協力してくれと、悠真様はおっしゃられていました」
「その話は本当だが、嘘でもある」
明るい白は、心を高い位置へと運んでくれるような気がしたから。
もっと、もっと、幸せになりたい。
そんな残酷で美しい願いを抱き続けてもいいんだって、白い世界が肯定してくれるような。そんな気がしたから、私は冬の白に惹かれたのかもしれない。
「俺たちは蝶を狩る側でもあり、研究する側でもあり、利用する側でもあるということだ」
初さんに見送られるかたちで、私たちは筒路森の屋敷へと戻ってきた。
別れ際に初さんの顔を確認したくて振り返ると、初さんは何も怖がることはない。
何も心配せずに、いってらっしゃいと穏やかな優しい声をかけてくれた。
「狩る側という意味も理解できます。研究という意味も理解できます。利用というのは……蝶が人の記憶を喰らうという点でしょうか」
「察しがいいな」
私は、北白川の屋敷を出るなと言われていた。
両親が私を外の脅威から守るためだと言い聞かせていたけれど、外の世界に出ても私を守ってくれる人と私は巡り合うことができた。
「政治家や金持ち連中にとって不都合な記憶を、蝶の力で消す」
門を、初めて抜けたとき。
悠真様が、手を繋いでいてくれた。
悠真様が一緒に、白い世界へ足跡をつけることを手助けしてくれた。
「そうやって、筒路森は栄えてきた」
この門に、戻ってくるときも。
悠真様が、筒路森へと迎え入れてくれる。
悠真様が一緒に、白い世界へ足跡をつけることを手助けしてくれる。
「そこまでできるのなら、もう紫純琥珀蝶は管理できているようなものなのでは……」
「いや、できていない。できていないからこそ、多くの人間の記憶が犠牲になった」
もっと、悠真様のためになることがしたい。
こういう欲は、醜いのかもしれない。
もっと相手に尽くしたいと思っても、それは相手にとっての迷惑にも繋がるかもしれない。
(そもそも私の場合は、悠真様に尽くすことすらできていないけれど)
悠真様の力になりたい。
そんな夢や希望を抱いたところで、自分が悠真様のためにできたことなんて何もない気がする。
「この若さで筒路森の当主になったのも……」
「待ってください、その先は言葉にしなくても……」
「両親が蝶の実験に失敗した流れで、だ」
紫純琥珀蝶は、誰を裏切り者と称したのか。
私は蝶のおかげで真実を知ることができたけれど、私が選んだ選択は悠真様を幸せにすることはできなかった。
「蝶を狩る、人々を守ると言っておきながら、裏では人の記憶を奪う手助けをしていたってことだ」
幼い頃、紫純琥珀蝶は外の世界に出ることは怖いことじゃないと教えてくれた。
私は家族の輪に入れてもらうために、北白川の屋敷に閉じ込められたままでいたい。
そう言葉を返したけれど、今なら蝶の言葉を理解できるような気がする。
「そういう意味で、狩り人は民の信頼を裏切っている」
北白川の外は、優しさ溢れる世界だった。
蝶が教えてくれたのは本当のことで、何も怖いことなんてなかった。
北白川の外に、怖いものなんて何も待っていなかった。
(怯えていたのは、私だけではなかったのかもしれない……)
北白川の外に出たら、二度と私を愛してくれる人と出会えなくなるんじゃないか。
私の世界が広がるということは、両親の視界に二度と入ることができなくなるんじゃないか。
そう思っていた。
そう思い込んでいた。
「私も、裏切り者です」
その恐怖は、誰に話すこともなかった。
両親の愛を失ってしまうことが怖かったなんて、蝶にも伝えたことはなかった。
「蝶と過ごした時間を愛していたのに、蝶を筒路森に、悠真様に差し出しました……」
北白川の外に出たら、私は両親から嫌われてしまう。
両親に愛されなかった子に、生きる場所はない。
だから、好かれなきゃいけないと思った。
「蝶も、悠真様も大切なのに、私は紫純琥珀蝶を裏切りました」
好かれるために、良い子でいなければいけないと思った。
だから、自分の心は包み隠さないといけない。
誰に話すこともなく、私の中での秘密として抱えてきた。
「私も悠真様と同じです。だから、私だけ仲間外れにしないで……」
こういうのを、縋ると言うのかもしれない。
今なら、妹が恋い慕う相手に寄り添いたい気持ちが理解できる。
「蝶は、君を守っただろ」
私はいつだって、人から何かを奪うことしかできない。
「君は、蝶に愛されている」
私はいつだって、人から何かを与えてもらうことでしか生きられない。
「結葵は、裏切り者なんかじゃない」
狩り人のみなさんは、穏やかな笑みを浮かべる。
悠真様も、その一人。
無理に笑っているのかもしれないけれど、含みのあるような作り笑顔ではない。
いつだって、私を安心させるための笑顔を向けてくれる。