「結葵、しっかりしろ」
「大丈夫です」
人一人通らない夜道を進む。
紫純琥珀蝶が生きる世界では、人々が夜間に出歩くことは滅多にない。
もし外に出ることがあったとしても、その際には狩り人が同行する方が多いと伺っている。
紫純琥珀蝶に、大切な記憶を奪われないためにも。
「戦う力もないのに、同行を許可してくれてありがとうございます」
「力のない人間を守るのが、狩り人の使命だ」
「とても心強いです」
なるべく言葉に強さを込めようと思ってはみるものの、自分の声はなんて弱々しいのだと思う。
村を包み込む夜という色は、人を寂しい気持ちにさせる。
夜の冷たいこの空気も、今は心に突き刺さるかのように私たちを敵視している気さえしてくる。
悠真様と来栖さんに付き添われていたるのに、深い黒が覆う時間帯に出歩くのはあまり好きじゃないということを思う。
「家族が関わっている話だ。酷だと感じたときは、ちゃんと声をかけろ」
「……行きます」
私が紫純琥珀蝶と言葉を交わすことができる唯一なのだとしたら、しっかりしなくてはいけない。
「いい覚悟だ」
「私は将来、筒路森に嫁ぐ予定の者ですから」
私は、不安を抱きながら生きる人々を守るために手助けがしたい。
たとえ血の繋がりのある妹に何かがあったとしても、心が揺らぐようなことはあってはならない。
さっきから、そんなことを何度も何度も繰り返し自分に言い聞かせていた。
「私は蝶と言葉を交わすことができます。この力を、世を生きる人々のために」
初さんからの連絡に、間違いなんてものがあるはずはない。
私たちが北白川の元に駆けつけたところで、妹の記憶は戻らない。
だったら早く現実を受け入れて、蝶と言葉を交わすべきだと思った。
「妹が、勝手に外に出たということですよね」
「彼女が家の中にいたのは、別の狩り人が確認している」
紫純琥珀蝶が飛び始める時間帯になると、蝶が家の中に入ってこないように戸締りをきちんとすることで人々は安心を取り戻していく。
私は蝶と話す時間に安らぎを得ていたため、一畳間の障子戸は開きっぱなしにしていた。
けれど、世間では蝶の侵入を防ぐことが習わしと言ってもいいほど、自衛の大切さは知れ渡っているはず。
「……つまり、妹は屋敷の中で襲われたということになりますね?」
「なんとも言えないが、誰かが蝶を室内に招き入れた可能性は十分にある」
私たちは、少し足を速める。
そうしたところで、視界に入って来る景色に変わりはない。
田舎道は、田畑と舗装された路が続いていくだけで代わり映えしない。
私たちの足音以外の音が聞こえてくるわけでもなく、何も変わらない。
でも、足を速めれば少しは早く妹の元へと辿り着くことができると期待した。
(美怜ちゃんに、なんらかしらの理由があって……それで蝶を招き入れた?)
妹が室内にいたことを狩り人が確認したというのなら、彼女が好き勝手に外出したという可能性はなくなる。
記憶を奪う蝶を忌み嫌い、誰よりも妹を愛してやまない両親が戸締りを怠って、自らを危険にさらすとも考えられない。
屋敷内に蝶さえ入ってさえ来なければ、屋内の安全は確実に守られるのだから。
(でも、そうなると、美怜ちゃんが自らを危険に晒したことに……)
妹の記憶が失われたという知らせを受け、心が焦りで満ちていくのを感じる。
けれど、隣には狩り人の悠真様と来栖さんがいてくれる。
そのおかげで、私はなんとか心の平穏を保つことができている。
(私は美怜ちゃんの姉だから……一刻も早く駆けつけたい)
記憶を奪う蝶のように忌み嫌っていた娘が、北白川に戻ることを両親は許してくれないかもしれない。
(でも、もしかしたら……もしかしたら……)
この事件を解決することができたら、家族の輪に戻してもらえるのではないか。
そんな期待を、どうしても捨て去ることができない。
どんなに酷い仕打ちを受けても、私たちの間には血の繋がりがある。
決して切れぬ絆があるという妄想を、どうしても信じてみたいと思ってしまう。
「まるで、悠真様と出会ったときの再現のようですね」
「先に待つものが、祝言ならいいんだけどな」
「とても……とても素敵な夢だと思います」
会ったところで、現実は変わらない。
美怜ちゃんが記憶を失っている現実に、奇跡が起こることなんてあり得ない。
それでも、妹に会いに行きたいと思う。
「どうして帰ってきたの……」
自分の家に、早く辿り着きたかった。
早く妹に会って、心を落ち着かせようと思っていた。
だけど、いざ自分の家に辿り着いて、いざ自分の母に出迎えてもらうと、そんなことを思っていた自分は、なんて浅はかなんだろうと思った。
久しぶりに実家の扉を通り抜けた瞬間、心が重く沈むのを感じた。
「何しに戻ってきたのと聞いているでしょ!」
「美怜ちゃんの記憶が失われたと聞いて……」
かつての家族との再会は、喜びではなく恐怖と悲しみを呼び起こす。
政略結婚で家を出たあとも、両親の冷たい態度は変わらないということ。
実家には筒路森から送られている多額の財産があるはずなのに、母の態度は昔と何ひとつ変わらないまま。
「結葵、下がってろ」
「でも、悠真様……」
私が言葉を返すと、母の目に涙が浮かんだ。
妹を想って胸の奥から込み上げてくる感情からくる涙だということを察して、私は何も言葉を返すことができなくなってしまった。
「大丈夫です」
人一人通らない夜道を進む。
紫純琥珀蝶が生きる世界では、人々が夜間に出歩くことは滅多にない。
もし外に出ることがあったとしても、その際には狩り人が同行する方が多いと伺っている。
紫純琥珀蝶に、大切な記憶を奪われないためにも。
「戦う力もないのに、同行を許可してくれてありがとうございます」
「力のない人間を守るのが、狩り人の使命だ」
「とても心強いです」
なるべく言葉に強さを込めようと思ってはみるものの、自分の声はなんて弱々しいのだと思う。
村を包み込む夜という色は、人を寂しい気持ちにさせる。
夜の冷たいこの空気も、今は心に突き刺さるかのように私たちを敵視している気さえしてくる。
悠真様と来栖さんに付き添われていたるのに、深い黒が覆う時間帯に出歩くのはあまり好きじゃないということを思う。
「家族が関わっている話だ。酷だと感じたときは、ちゃんと声をかけろ」
「……行きます」
私が紫純琥珀蝶と言葉を交わすことができる唯一なのだとしたら、しっかりしなくてはいけない。
「いい覚悟だ」
「私は将来、筒路森に嫁ぐ予定の者ですから」
私は、不安を抱きながら生きる人々を守るために手助けがしたい。
たとえ血の繋がりのある妹に何かがあったとしても、心が揺らぐようなことはあってはならない。
さっきから、そんなことを何度も何度も繰り返し自分に言い聞かせていた。
「私は蝶と言葉を交わすことができます。この力を、世を生きる人々のために」
初さんからの連絡に、間違いなんてものがあるはずはない。
私たちが北白川の元に駆けつけたところで、妹の記憶は戻らない。
だったら早く現実を受け入れて、蝶と言葉を交わすべきだと思った。
「妹が、勝手に外に出たということですよね」
「彼女が家の中にいたのは、別の狩り人が確認している」
紫純琥珀蝶が飛び始める時間帯になると、蝶が家の中に入ってこないように戸締りをきちんとすることで人々は安心を取り戻していく。
私は蝶と話す時間に安らぎを得ていたため、一畳間の障子戸は開きっぱなしにしていた。
けれど、世間では蝶の侵入を防ぐことが習わしと言ってもいいほど、自衛の大切さは知れ渡っているはず。
「……つまり、妹は屋敷の中で襲われたということになりますね?」
「なんとも言えないが、誰かが蝶を室内に招き入れた可能性は十分にある」
私たちは、少し足を速める。
そうしたところで、視界に入って来る景色に変わりはない。
田舎道は、田畑と舗装された路が続いていくだけで代わり映えしない。
私たちの足音以外の音が聞こえてくるわけでもなく、何も変わらない。
でも、足を速めれば少しは早く妹の元へと辿り着くことができると期待した。
(美怜ちゃんに、なんらかしらの理由があって……それで蝶を招き入れた?)
妹が室内にいたことを狩り人が確認したというのなら、彼女が好き勝手に外出したという可能性はなくなる。
記憶を奪う蝶を忌み嫌い、誰よりも妹を愛してやまない両親が戸締りを怠って、自らを危険にさらすとも考えられない。
屋敷内に蝶さえ入ってさえ来なければ、屋内の安全は確実に守られるのだから。
(でも、そうなると、美怜ちゃんが自らを危険に晒したことに……)
妹の記憶が失われたという知らせを受け、心が焦りで満ちていくのを感じる。
けれど、隣には狩り人の悠真様と来栖さんがいてくれる。
そのおかげで、私はなんとか心の平穏を保つことができている。
(私は美怜ちゃんの姉だから……一刻も早く駆けつけたい)
記憶を奪う蝶のように忌み嫌っていた娘が、北白川に戻ることを両親は許してくれないかもしれない。
(でも、もしかしたら……もしかしたら……)
この事件を解決することができたら、家族の輪に戻してもらえるのではないか。
そんな期待を、どうしても捨て去ることができない。
どんなに酷い仕打ちを受けても、私たちの間には血の繋がりがある。
決して切れぬ絆があるという妄想を、どうしても信じてみたいと思ってしまう。
「まるで、悠真様と出会ったときの再現のようですね」
「先に待つものが、祝言ならいいんだけどな」
「とても……とても素敵な夢だと思います」
会ったところで、現実は変わらない。
美怜ちゃんが記憶を失っている現実に、奇跡が起こることなんてあり得ない。
それでも、妹に会いに行きたいと思う。
「どうして帰ってきたの……」
自分の家に、早く辿り着きたかった。
早く妹に会って、心を落ち着かせようと思っていた。
だけど、いざ自分の家に辿り着いて、いざ自分の母に出迎えてもらうと、そんなことを思っていた自分は、なんて浅はかなんだろうと思った。
久しぶりに実家の扉を通り抜けた瞬間、心が重く沈むのを感じた。
「何しに戻ってきたのと聞いているでしょ!」
「美怜ちゃんの記憶が失われたと聞いて……」
かつての家族との再会は、喜びではなく恐怖と悲しみを呼び起こす。
政略結婚で家を出たあとも、両親の冷たい態度は変わらないということ。
実家には筒路森から送られている多額の財産があるはずなのに、母の態度は昔と何ひとつ変わらないまま。
「結葵、下がってろ」
「でも、悠真様……」
私が言葉を返すと、母の目に涙が浮かんだ。
妹を想って胸の奥から込み上げてくる感情からくる涙だということを察して、私は何も言葉を返すことができなくなってしまった。