「迎えに行くのが遅くなって、本当にすまないと思ってる」
そして、私は彼の腕の中に招き入れられる。
「謝らないでください……悠真様が、謝らないでください……」
彼の謝罪を拒否する。
すると、私はより一層、強い力で抱き締められる。
「数年もの年月、ずっと独りにしてきたこと……謝らせてくれ」
筒路森には、筒路森の事情がある。
二十を超えられたばかりの悠真様が当主になるだけでも大変なことだと察することができるのに、私のことまで気にしていたら彼の身が持たないのは容易に想像できる。
「謝らないでください……謝らないで……」
悠真様の熱に包まれた私は、彼のお顔を拝見することができない。
それでも、彼の腕の中で想うことはひとつ。
私は彼に、こんな辛そうな顔をさせるために生まれたんじゃない。
私は彼が時折、見せてくれる笑顔に心を動かされるからこそ、私は彼が穏やかに生きられるよう努めていきたい。
「遅くなって、悪かった」
私の涙が落ち着きを見せる頃、私は彼の熱から解放された。
悠真様と身体を触れ合わせることはできなくなってしまったけれど、彼は代わりに手を繋いでくれた。
北白川の屋敷で待機している狩り人の前でも手を離さずに、私の手をぎゅっと握ってくれた。
「お怪我の具合は?」
「こんなの痛みのうちに入らない」
悠真様は縁側に馴染みがないらしく、新鮮さを込めた眼差しで庭へと目を向けていた。
薄い木材の感触を感じながら、足を何度も動かしていた。
「結葵は、大丈夫か」
悠真様が与えてくれる優しさと温かさに浸っていたい。
そんな甘えた考えが浮かんでくるけれど、自分の心が整ったのなら次に向かって動かなければいけない。
「蝶の記憶が入り込んできたとしても、私は自我を保っていられるみたいです」
普通の、ごく普通の、蝶が飛び交わない世界での生活を送ってみたい。
そう願う人たちがいることも、話には伺っている。
そんな方々の願いを叶えるために狩り人が存在するのなら、私も自身の異能を差し出す覚悟があるのだと告げる。
「だから、無理はするなと言ってるだろ」
「え?」
悠真様が心配そうな顔で、私のことを見てくる。
向けられる彼の真っすぐな視線から逃げ出したくなって、瞳を逸らしたくなる。
(ここは、大丈夫って返さなければいけない……)
悠真様の負担になる行動は取らない。
彼の迷惑になるような感情を、押しつけてはいけない。
「私は大丈夫なので、残りの仕事も付き添わせてくださ……」
「結葵の心の傷は、と聞いているんだ」
悠真様の右手が、私の額に触れてくる。
「え、あ……」
ただ、それだけ。
ただそれだけのことなのに、熱い。
体が熱くなってきて、徐々に頭の中まで熱に侵されていく。
高熱なんてないのに、まるで熱があるかのように思考がぼんやりとしていく。
「蝶と共鳴できるようになって、心は痛まないか」
蝶の言葉を理解できるだけでなく、私は蝶の記憶を辿ることができるようになった。
蝶と共鳴するための力が次々と備わっていくことへの恐怖を、彼は誰よりもよく理解してくれているのだと伝わってきた。
「蝶と共鳴できる力が最強だからこそ、結葵の負担になっていないか不安なんだ」
きっと、私が独りぼっちのままなら。
きっと、一畳間の部屋の中で、膝を抱えて震えていたかもしれない。
「最強の力だからこそ、結葵一人では抱えきれないんじゃないかと心配している」
でも、今は、深い悲しみを帯びた瞳を見せる彼が、私の傍にいる。
世間から恐れられている筒路森なんて姿かたちもなく、彼の穏やかさが私の不安を和らげてくれる。
「俺の気持ちも、汲んでもらえないか」
額に当てられた筆の右手を、そっと取り払う。
これで彼の熱を感じなくなったはずなのに、私の額には彼の熱が残ったまま。逃げていかない。自分の体温に戻りたいのに、彼の熱の逃がし方が分からない。
「この力を……必要としてください」
まだ、私の声は弱々しい。
「この力を、嫌わないでください……」
こんなにも弱い声の私が、ちゃんと異能を使いこなせるのかと不安になる。
だからこそ、ちゃんと彼に届くように。
不安で不安で仕方がないという正直な気持ちを、彼に伝わるように声を上げる。
「結葵」
自分の手に、そっと彼の手が重なった。
「その不安を、共に乗り越えよう」
正直な心情を吐露することは、自分が嫌われる要因にしかならないものだと思っていた。
でも、正直に伝えることで、その不安を分かち合おうとしてくれる人がいることの幸福を身体が覚えていく。
「俺は、結葵を必要としている」
彼の声は、私を安心させるだけでなかった。
「俺が、結葵を選んだ」
私を、未来に進ませる力も持っていた。
「悠真様」
「結葵?」
「名前を呼ぶことができる幸福を、ありがとうございます」
私が恋仲である男性の名を呼ぶと、彼は私を見てくれた。
私を視界に入れてくれた。
これが、いつもの日常。
そう言葉にしなくても、彼の瞳が、そう言ってくれているみたいで安堵の気持ちが生まれる。
「初さんを、探しにいきましょう」
いつもの日常が、繰り返される。
そう思っていた。
どんなに紫純琥珀蝶が飛び交う世界だとしても、私たちの日常は変わらないまま過ぎていくと思っていた。
「ここから先は、結葵の力が必要だ」
だけど、変わらないことはないのだと思い知らされる。
同じ毎日は繰り返されない。
同じ日々は、二度と訪れないということを教えられた。
「力を貸してくれるか」
「もちろんです」
私たちの間には、多くの言葉は存在しないかもしれない。
でも、その静かな時間ですら、私にとっては意味あるもの。
紫純琥珀蝶を利用する人間と対峙する覚悟を、彼との時間の中で養っていく。
そして、私は彼の腕の中に招き入れられる。
「謝らないでください……悠真様が、謝らないでください……」
彼の謝罪を拒否する。
すると、私はより一層、強い力で抱き締められる。
「数年もの年月、ずっと独りにしてきたこと……謝らせてくれ」
筒路森には、筒路森の事情がある。
二十を超えられたばかりの悠真様が当主になるだけでも大変なことだと察することができるのに、私のことまで気にしていたら彼の身が持たないのは容易に想像できる。
「謝らないでください……謝らないで……」
悠真様の熱に包まれた私は、彼のお顔を拝見することができない。
それでも、彼の腕の中で想うことはひとつ。
私は彼に、こんな辛そうな顔をさせるために生まれたんじゃない。
私は彼が時折、見せてくれる笑顔に心を動かされるからこそ、私は彼が穏やかに生きられるよう努めていきたい。
「遅くなって、悪かった」
私の涙が落ち着きを見せる頃、私は彼の熱から解放された。
悠真様と身体を触れ合わせることはできなくなってしまったけれど、彼は代わりに手を繋いでくれた。
北白川の屋敷で待機している狩り人の前でも手を離さずに、私の手をぎゅっと握ってくれた。
「お怪我の具合は?」
「こんなの痛みのうちに入らない」
悠真様は縁側に馴染みがないらしく、新鮮さを込めた眼差しで庭へと目を向けていた。
薄い木材の感触を感じながら、足を何度も動かしていた。
「結葵は、大丈夫か」
悠真様が与えてくれる優しさと温かさに浸っていたい。
そんな甘えた考えが浮かんでくるけれど、自分の心が整ったのなら次に向かって動かなければいけない。
「蝶の記憶が入り込んできたとしても、私は自我を保っていられるみたいです」
普通の、ごく普通の、蝶が飛び交わない世界での生活を送ってみたい。
そう願う人たちがいることも、話には伺っている。
そんな方々の願いを叶えるために狩り人が存在するのなら、私も自身の異能を差し出す覚悟があるのだと告げる。
「だから、無理はするなと言ってるだろ」
「え?」
悠真様が心配そうな顔で、私のことを見てくる。
向けられる彼の真っすぐな視線から逃げ出したくなって、瞳を逸らしたくなる。
(ここは、大丈夫って返さなければいけない……)
悠真様の負担になる行動は取らない。
彼の迷惑になるような感情を、押しつけてはいけない。
「私は大丈夫なので、残りの仕事も付き添わせてくださ……」
「結葵の心の傷は、と聞いているんだ」
悠真様の右手が、私の額に触れてくる。
「え、あ……」
ただ、それだけ。
ただそれだけのことなのに、熱い。
体が熱くなってきて、徐々に頭の中まで熱に侵されていく。
高熱なんてないのに、まるで熱があるかのように思考がぼんやりとしていく。
「蝶と共鳴できるようになって、心は痛まないか」
蝶の言葉を理解できるだけでなく、私は蝶の記憶を辿ることができるようになった。
蝶と共鳴するための力が次々と備わっていくことへの恐怖を、彼は誰よりもよく理解してくれているのだと伝わってきた。
「蝶と共鳴できる力が最強だからこそ、結葵の負担になっていないか不安なんだ」
きっと、私が独りぼっちのままなら。
きっと、一畳間の部屋の中で、膝を抱えて震えていたかもしれない。
「最強の力だからこそ、結葵一人では抱えきれないんじゃないかと心配している」
でも、今は、深い悲しみを帯びた瞳を見せる彼が、私の傍にいる。
世間から恐れられている筒路森なんて姿かたちもなく、彼の穏やかさが私の不安を和らげてくれる。
「俺の気持ちも、汲んでもらえないか」
額に当てられた筆の右手を、そっと取り払う。
これで彼の熱を感じなくなったはずなのに、私の額には彼の熱が残ったまま。逃げていかない。自分の体温に戻りたいのに、彼の熱の逃がし方が分からない。
「この力を……必要としてください」
まだ、私の声は弱々しい。
「この力を、嫌わないでください……」
こんなにも弱い声の私が、ちゃんと異能を使いこなせるのかと不安になる。
だからこそ、ちゃんと彼に届くように。
不安で不安で仕方がないという正直な気持ちを、彼に伝わるように声を上げる。
「結葵」
自分の手に、そっと彼の手が重なった。
「その不安を、共に乗り越えよう」
正直な心情を吐露することは、自分が嫌われる要因にしかならないものだと思っていた。
でも、正直に伝えることで、その不安を分かち合おうとしてくれる人がいることの幸福を身体が覚えていく。
「俺は、結葵を必要としている」
彼の声は、私を安心させるだけでなかった。
「俺が、結葵を選んだ」
私を、未来に進ませる力も持っていた。
「悠真様」
「結葵?」
「名前を呼ぶことができる幸福を、ありがとうございます」
私が恋仲である男性の名を呼ぶと、彼は私を見てくれた。
私を視界に入れてくれた。
これが、いつもの日常。
そう言葉にしなくても、彼の瞳が、そう言ってくれているみたいで安堵の気持ちが生まれる。
「初さんを、探しにいきましょう」
いつもの日常が、繰り返される。
そう思っていた。
どんなに紫純琥珀蝶が飛び交う世界だとしても、私たちの日常は変わらないまま過ぎていくと思っていた。
「ここから先は、結葵の力が必要だ」
だけど、変わらないことはないのだと思い知らされる。
同じ毎日は繰り返されない。
同じ日々は、二度と訪れないということを教えられた。
「力を貸してくれるか」
「もちろんです」
私たちの間には、多くの言葉は存在しないかもしれない。
でも、その静かな時間ですら、私にとっては意味あるもの。
紫純琥珀蝶を利用する人間と対峙する覚悟を、彼との時間の中で養っていく。



