「どこにいた? どこに美怜は、いるんだ?」
「あなた……」

 悠真様や狩り人のみなさんと過ごす日々から、あまりにも多くの幸福を受け取りすぎた。
 紫純琥珀蝶(しじゅんこはくちょう)と言葉を交わすことができるというのは異様であるということを、すっかり忘れてしまいそうになっていた。

(蝶の言葉を聞けば、二人の役に立てるかも……)

 ここにはいない筒路森悠真様に守ってもらうことなく、両親の怒りを鎮めるために自ら動いた。

「お父様」
「私の娘は美怜だけだ。おまえは育ててやっただけに過ぎない」

 無表情で語る父に恐怖を感じて唇をぎゅっと結んだけれど、このまま言葉を閉じ込めてしまったら私たちの関係は何も変わらない。

「聞いてください」
「そのときの恩を仇で返すつもりか!」

 やけに、頬を叩く鋭い音が響き渡った。

「結葵っ」

 頬に鋭い痛みが走り、視界が揺らいだ。
 音が響くような環境下ではないのに、耳を割くような不快さの音は異様に響き渡る。

「北白川様、それ以上の言葉は慎んでいただけますか」
「言わせてください! この子は、この子は、呪われた子なのです!」

 ふらついた私の体は倒れそうになったけれど、温かくも力強い腕が私を支えてくれた。
 顔を上げると、そこにいたのは病み上がりであるはずの筒路森悠真様の姿が。

「平気です、痛みには慣れていますから……」
「痛みに、慣れるな」

 悠真様に手を引かれ、私は彼の後ろへと身を隠すようなかたちになる。
 自分が出しゃばったせいで父に殴られることになってしまったけれど、私は後悔していないと彼にお伝えしたい。

「私のことよりも、今は安静に……」

 彼の人差し指が、私の唇へと触れる。
 伝えたい言葉あるのに伝えることができない、もどかしさを心にしまい込む。

「北白川様、これ以上は……」
「この子を躾けるのは、筒路森様のためでもあるのですよ!」

 母の顔を窺うと、ああ、私はまだ北白川の娘として認知されているのだと安堵の気持ちが生まれた。でも、母の絶望に満ちた表情に、心が痛む。

「この子が仕向けた以外に考えられないのです」
「北白川様、彼女を侮辱するような言い方はやめてもらいたい」

 私を守るための言葉を強調するために、悠真様はゆっくりと私の両親に語りかける。

「筒路森様だって、気づいておられるでしょう!? この子がいなくなれば、世界は蝶の脅威に怯えることなく生きていけるのです!」

 私が心を痛めている場合ではないと分かっているけれど、両親の悲痛な顔を見ているのは辛い。

「悠真様、私なら平気ですから……」

 悠真様に守られてばかりの自分ではいられないと思い、私を庇うのはやめてほしいと伝えようとしたときのことだった。

「第二令嬢は、自らの意志で逃走を図りました」

 妹を守ることができなかった私が罰を受けるのは当然のことなのに、私は彼の優しさに守られていく。

「ですが、この娘は蝶と話ができるのですぞ!」

 妹が行方不明になって、妹に愛情を注ぎ続けてきた両親が大きな衝撃を受けていることに気づく。

(だったら、私が謝らないと……)

 蝶の言葉を理解する私がいながら、妹を保護することができなかった。
 両親に深く頭を下げる覚悟を決め、両親の元へと歩み寄る。

「申し訳ございませんでした」
「結葵!」

 私が謝罪する必要はない。
 そう言わんばかりに悠真様は私を叱りつける声色で名を呼んでくれるけど、私は両親に向かって深く謝罪の気持ちを示した。

「結葵の両親を頼む」

 私が両親と言葉を交わすのを避けるために、彼は私の手を引いた。
 廊下で控えていた狩り人らしき男性に私の両親のことを託し、私は両親との距離を開くことができるように配慮してくれた。
 こんなにも気遣われているのに、心が冷たくて冷たくて仕方がない。

「っ、悠真様、私が両親の元にいますから……」
「君は玩具か? 両親の操り人形か何かなのか」

 繋がれた手を振り払おうとすると、その手は強く握られた。

「違います……私は、北白川の娘で……」
「だったら、怒りの受け皿になるな」

 私を叱りつけるような言葉を投げかけられるけど、彼の声はいつだって優しさを含んでいる。
 私のことが心配で心配で堪らないという感情が痛いほど伝わってきてしまう。

「…………違います、怒りを受け止めるのは、家族の使命です……から……」

 悠真様に会いたかった。
 悠真様の笑顔は、いつも私に安心感を与えてくれる。
 今日も、今も、そうだって思った。

「両親を救えるのは、私しかいない……」
「その言葉を、どうして俺の目を見て伝えることができない」

 顔を上げられない。
 手を振りほどくこともできない。

「家族を守りたいという気持ちは立派だ。だが、両親の怒りを鎮める方法が間違っていること……本当は結葵も気づいているんだろ」

 声が出ない。
 言葉が、迷う。

「暴力行為は、愛情表現とは違う」
「だって……だって……だって…………」

 だって、なんて言葉遣いは幼稚かもしれない。
 こういうとき、嫌でも彼との年齢差を感じさせられて、大人の世界を生きる彼に追いつくことのできない自分を情けなく思う。

「こういうやり方でしか……両親は私を見てくれないから……」

 真っ先に記憶を失った妹の元に駆けつけなければいけないのに、私の瞳からはとめどなく涙が溢れてきてしまう。

「両親の視界に映るには、暴力を受け続けるしかなくて……」

 瞳に触れる熱に驚いて、思わず顔を上げてしまった。
 廊下を構成する板と睨めっこをしていたはずの私は、彼と視線を交えた。

「平気なわけないだろ」

 悠真様の人差し指が、優しく涙を拭い去ってくれる。

「暴力を受けて、痛みを感じない人間はいない」

 涙を拭ってくれる人が現れるなんて、夢物語のような展開に驚きすぎたのか。
 自分では制御できないほど流れ続けた涙は、泣くのをやめるために落ちる速度を落としていく。