「幽閉されていた人間に、登山ができるわけないだろ……」
「屋敷の外に出たことがないだけで、部屋の外には出たことがあります……」
外灯の明かりが必要なほど夜が深まった頃。
月明かりが作り出す木々の影が生き物のように揺れ動き、見る者の心に不安を呼び起こす。
吹き抜ける風は昼間よりも冷たさを増し、木の葉がざわめく音が耳を塞ぎたくなってしまう。
「山登りは、相当な体力を必要とする。結葵には、まだ早い」
「私は、蝶と言葉を交わせる唯一です」
「君は、とことん自分の立場を利用するな」
「悠真様に教わったことです」
遠くで鳥らしき鳴き声が響き渡り、静寂が破られるたびに心臓が跳ね上がりそうになる。
それでも紫純琥珀蝶と言葉を交わせる力を利用して、私は悠真様との距離が遠ざからないように図々しく迫る。
「遭難者を出さないためだ」
「帰り道が分からなくなったら、蝶に尋ねます」
「嘘を教えられる可能性はないのか、嘘を」
「そのときは、蝶に騙された女だと哀れんでください」
高い木々がそびえ立つように視界を覆い尽くし、立ち込め始めた霧は視界を遮ろうとしてくる。
前方が見えなくなると、その不安は更に広がっていく。
でも、その不安を悟られないようにしないと、私は狩り人の中に混ぜてはもらえない。
「無理はするな」
「はい」
世界を救う人というのは、力がある人というのは、こんな風に優しい人ばかりなのか。
誰かを救う、誰かを守る、そんな想いを抱えながら戦うことができる。
それはやはり、心から尊敬すべきところなのだと改めて思う。
「これは君を見くびっているとか、そういう意味の言葉ではないからな」
「承知しております」
研究室と呼ばれている場所で飼い慣らされている紫純琥珀蝶たちから、私が生まれ育った朱色村を狙っているという話を聞いた。
「っていうか、なんで俺が結葵と行動できないんだ」
「身内で何かあったら、混乱するでしょ」
もちろん罠という可能性もあると伝えた上で、悠真様は私の話を信じてくれた。
そして狩り人のみなさんは今夜、朱色村の警戒を特に重点的に行うことになった。
「悠真くんが心配しなくても、俺がちゃんと結葵様を守りますから」
悠真様の婚約者になって間もないばかりの私を信頼してくれる周囲を見て、それだけ悠真様の地位の高さを感じ取ることができた。
「初、略奪……?」
略奪という言葉を呟いたのは、初めてお会いする狩り人の来栖和奏さん。
人を外見で決めつけるのは良くないと言われていても、私よりもだいぶ年下に見える女の子が紫純琥珀蝶との戦いに臨んでいることに驚かされた。
「和奏、悠真くんを怒らせるようなこと言わないで……」
来栖さんは西洋人形のような長くて美しい金色の髪色をしていて、どんなに西洋人形を持ち寄ったとしても来栖さんの美しさを表現することはできない。
それだけ珍しい金色の髪は、私のことを魅了していく。
「浮気が心配なら、私が初と代わってもいい」
「そうしてくれ」
「えー、俺、そんなに都合のいい人間ではないんですけど」
狩り人のみなさんは二人一組で行動するらしいけど、私の護衛に就いてくれるのは来栖さん一人ということに話がまとまったらしい。
「来栖さん、よろしくお願いいたします」
「狩り人が一人足りないけど、心配しないで」
「頼りにしています」
人は外見で決めつけることができないという言葉の通り、来栖さんは狩り人としてとてもたくましく見えた。
「朱色村の地形を把握したかったから、結葵様との行動の方が自由で快適」
「地形ですか?」
悠真様と初さんが、私たちとは反対側の方角へと向かって行くのを見送る。
そうして私と来栖さんは、朱色村にそびえ立つ山へと歩を進めていく。
「初めての土地ではないけど、こう……木ばっかりが覆い茂っている場所での戦闘は自分を不利な状況に追い込むだけだから」
「なるほど……」
「自分がどこを歩いているかもわからなくなったら、おしまい」
「勉強になります」
辺りは、すっかり深い闇色に包まれる時刻となっていた。
闇色に包まれるなんて言い方をしたけれど、私たちにとってはおぞましい時間帯でしかない。
世界から陽が失われる時刻になってから、記憶を奪う紫純琥珀蝶は活動を始めていく。
「土地勘を自分で養うということなんですね」
「そんな感じ」
筒路森家に嫁ぐ人間ではなくなった瞬間から、私は北白川の屋敷の外へと出ることを禁じられた。
人前に晒すことのできない私には知らないことが多すぎて、来栖さんに教えてもらうことひとつひとつが勉強になる。
「悠真くんは許してくれないかもしれないけど」
私は山奥に独り取り残されたところで、一人で下山するだけの知識も経験もない。
どこを見ても同じ景色と感じる私とは違って、来栖さんは何かしらの特徴があることを感じ取っていく。
「結葵様も、紫純琥珀蝶と戦う道を選んでもいい」
女性は守られるべき存在という教えが根強く残っている時代で、来栖さんは自身の考えを堂々と述べてきた。
来栖和奏という日本らしい名を背負いながらも、日本という国に囚われない強い心を来栖さんはお持ちだった。
「屋敷の外に出たことがないだけで、部屋の外には出たことがあります……」
外灯の明かりが必要なほど夜が深まった頃。
月明かりが作り出す木々の影が生き物のように揺れ動き、見る者の心に不安を呼び起こす。
吹き抜ける風は昼間よりも冷たさを増し、木の葉がざわめく音が耳を塞ぎたくなってしまう。
「山登りは、相当な体力を必要とする。結葵には、まだ早い」
「私は、蝶と言葉を交わせる唯一です」
「君は、とことん自分の立場を利用するな」
「悠真様に教わったことです」
遠くで鳥らしき鳴き声が響き渡り、静寂が破られるたびに心臓が跳ね上がりそうになる。
それでも紫純琥珀蝶と言葉を交わせる力を利用して、私は悠真様との距離が遠ざからないように図々しく迫る。
「遭難者を出さないためだ」
「帰り道が分からなくなったら、蝶に尋ねます」
「嘘を教えられる可能性はないのか、嘘を」
「そのときは、蝶に騙された女だと哀れんでください」
高い木々がそびえ立つように視界を覆い尽くし、立ち込め始めた霧は視界を遮ろうとしてくる。
前方が見えなくなると、その不安は更に広がっていく。
でも、その不安を悟られないようにしないと、私は狩り人の中に混ぜてはもらえない。
「無理はするな」
「はい」
世界を救う人というのは、力がある人というのは、こんな風に優しい人ばかりなのか。
誰かを救う、誰かを守る、そんな想いを抱えながら戦うことができる。
それはやはり、心から尊敬すべきところなのだと改めて思う。
「これは君を見くびっているとか、そういう意味の言葉ではないからな」
「承知しております」
研究室と呼ばれている場所で飼い慣らされている紫純琥珀蝶たちから、私が生まれ育った朱色村を狙っているという話を聞いた。
「っていうか、なんで俺が結葵と行動できないんだ」
「身内で何かあったら、混乱するでしょ」
もちろん罠という可能性もあると伝えた上で、悠真様は私の話を信じてくれた。
そして狩り人のみなさんは今夜、朱色村の警戒を特に重点的に行うことになった。
「悠真くんが心配しなくても、俺がちゃんと結葵様を守りますから」
悠真様の婚約者になって間もないばかりの私を信頼してくれる周囲を見て、それだけ悠真様の地位の高さを感じ取ることができた。
「初、略奪……?」
略奪という言葉を呟いたのは、初めてお会いする狩り人の来栖和奏さん。
人を外見で決めつけるのは良くないと言われていても、私よりもだいぶ年下に見える女の子が紫純琥珀蝶との戦いに臨んでいることに驚かされた。
「和奏、悠真くんを怒らせるようなこと言わないで……」
来栖さんは西洋人形のような長くて美しい金色の髪色をしていて、どんなに西洋人形を持ち寄ったとしても来栖さんの美しさを表現することはできない。
それだけ珍しい金色の髪は、私のことを魅了していく。
「浮気が心配なら、私が初と代わってもいい」
「そうしてくれ」
「えー、俺、そんなに都合のいい人間ではないんですけど」
狩り人のみなさんは二人一組で行動するらしいけど、私の護衛に就いてくれるのは来栖さん一人ということに話がまとまったらしい。
「来栖さん、よろしくお願いいたします」
「狩り人が一人足りないけど、心配しないで」
「頼りにしています」
人は外見で決めつけることができないという言葉の通り、来栖さんは狩り人としてとてもたくましく見えた。
「朱色村の地形を把握したかったから、結葵様との行動の方が自由で快適」
「地形ですか?」
悠真様と初さんが、私たちとは反対側の方角へと向かって行くのを見送る。
そうして私と来栖さんは、朱色村にそびえ立つ山へと歩を進めていく。
「初めての土地ではないけど、こう……木ばっかりが覆い茂っている場所での戦闘は自分を不利な状況に追い込むだけだから」
「なるほど……」
「自分がどこを歩いているかもわからなくなったら、おしまい」
「勉強になります」
辺りは、すっかり深い闇色に包まれる時刻となっていた。
闇色に包まれるなんて言い方をしたけれど、私たちにとってはおぞましい時間帯でしかない。
世界から陽が失われる時刻になってから、記憶を奪う紫純琥珀蝶は活動を始めていく。
「土地勘を自分で養うということなんですね」
「そんな感じ」
筒路森家に嫁ぐ人間ではなくなった瞬間から、私は北白川の屋敷の外へと出ることを禁じられた。
人前に晒すことのできない私には知らないことが多すぎて、来栖さんに教えてもらうことひとつひとつが勉強になる。
「悠真くんは許してくれないかもしれないけど」
私は山奥に独り取り残されたところで、一人で下山するだけの知識も経験もない。
どこを見ても同じ景色と感じる私とは違って、来栖さんは何かしらの特徴があることを感じ取っていく。
「結葵様も、紫純琥珀蝶と戦う道を選んでもいい」
女性は守られるべき存在という教えが根強く残っている時代で、来栖さんは自身の考えを堂々と述べてきた。
来栖和奏という日本らしい名を背負いながらも、日本という国に囚われない強い心を来栖さんはお持ちだった。