「結葵は、蝶の鳴き声をずっと耳にしてきたんだな」
はい、と肯定することができなかった。
それは確かな事実なのに、言葉を返すことを躊躇った。
「蝶の肩を持っただけで、怒り狂うような器の小さな男ではないつもりなんだがな」
悠真様は茶化すような柔らかな笑みを浮かべ、静かに私の元へと歩み寄った。
「人の味方をしてくれるのはありがたいが、結葵の気持ちが伴わなければ意味がない」
気持ちが伴わないのなら、私は用なしとなってしまうのか。
尋ねたいことはたくさんあるはずなのに、それらはすべて言葉になってくれない。
「とりあえず、君に信頼してもらえるように努力する」
温かな眼差しに包まれるだけでも十分だったのに、私は悠真様の熱に抱き締められた。
「悠真様は、悪くないです……」
彼の胸に顔を埋めると、心臓の鼓動が伝わってくる。
穏やかな彼の心音を聴きながら心を落ち着け、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「記憶を失った方がいると思うと、私の発言はすべて失言だったのではないかと……」
「思い悩んでいる、か?」
彼の温もりに身を委ね、全身で彼の熱を感じる。
ここで、ようやく肯定の意を示すために首を縦に振った。
「そうやって言葉にしてくれた方がありがたい」
叱られることに、極度に怯えていたのかもしれない。
その震えが、彼に伝わってしまったのかもしれない。
私を抱き締めていた悠真様の右手が、私の頭をそっと撫でる。
「たくさんの蝶が亡くなったと聞いています。ですが、その一方で、記憶を奪われた人間の方もいらっしゃるんですよね……?」
埋めていた顔を上げて、私を抱き締めてくれている悠真様と視線を交える。
次に返ってきた肯定の言葉と共に、私は再び悠真様の右手で頭を撫でられた。
「一般市民だけでなく、狩り人の中にも、記憶を奪われた人間がいる」
「記憶を失ったら、戦う気力すら失ってしまいますよね……?」
「蝶は忌むべき存在という感覚だけでも残っていてくれたら、狩り人としては助かるんだがな」
この空間を漂う空気は優しさを帯びているのに、話の内容には優しさが宿っていないから不思議だった。
「でも、まあ……」
悠真様が、毎日を笑って過ごせるようになる日が来るのか。
そんなことを蝶に尋ねたところで、蝶たちは答えを返してくれない。
それが理解できているからこそ、見えない未来を歯痒く思う。
「蝶にとっては、狩り人が一人減った。狩り人にとっては、蝶に関わらない平和な時間を得ることができた。記憶がなくなることが悪とも限らないだろ」
人間にとっては、どう考えても悪しき存在の紫純琥珀蝶。
それなのに、悠真様は蝶と親しくしてきた私を気遣う。
蝶を悪だと決めつける発言が、彼から出てくることはなかった。
「せっかく来たんだ。街の案内でも……」
「どうして、私を利用しないのですか」
私の発言を受けた蝶たちが、軽やかに天井へと向かって飛び立っていった。
彼らが求める青い空が存在することはないけれど、まるで空へと舞い上がる光景を見ているかのような彼らの美しさに心を奪われてしまった。
「私が四も下の娘だから、心配をかけたくありませんか」
崩すことのない余裕そうな態度と口調が頼もしくて、責め立てているつもりなのに思わず笑みが零れてきてしまいそうになる。
「私から、情報を聞き出してください」
これは懇願なのか、命令なのか。
紡がれる言葉の数々に意味を問いかけるけど、自身の気持ちが迷走していて困惑する。
(筒路森に来てから、ずっとそう……)
初めて抱く感情ばかりで、初めてばかりを経験している私には自分の感情の処理の仕方すら分からない。
「歳の差なんて、気にするな」
私を抱き締めてくれた腕の力が弱まる。
「無理はしなくていい」
私は、悠真様の熱から解放される。
「……そういう言葉の類を、君は望んでいないんだろうな」
彼の人差し指が、唇に触れた。
「飼い殺される人生を与えるところだった」
触れた人差し指は、もう何も言葉を紡ぐなという意味合いのものだと思った。
でも、そうではないような気がした。
「すまない」
撫でられた唇は、悠真様の熱を感じ取る。
熱を失うばかりだった身体に、彼の温かな熱が注がれていく。
「ここにいる蝶は飼い慣らされている。碌な情報を持っているわけがないと思っているんだが……」
「ここにいる蝶はただの蝶ではなく、紫純琥珀蝶ですよ」
紫純琥珀蝶と言葉を交わすことができるという異端な私を見捨てることなく、変わらない優しさで包んでくれる悠真様は本当に格好のいいお方だと思う。
「私は悠真様に利用してもらうために、ここにいます」
悠真様の傍にいられたら、人として生きることができるのではないかという展望が生まれてくる。
人が生きる世界に戻れるのではないか。そんな、淡い希望を抱くことができる。
はい、と肯定することができなかった。
それは確かな事実なのに、言葉を返すことを躊躇った。
「蝶の肩を持っただけで、怒り狂うような器の小さな男ではないつもりなんだがな」
悠真様は茶化すような柔らかな笑みを浮かべ、静かに私の元へと歩み寄った。
「人の味方をしてくれるのはありがたいが、結葵の気持ちが伴わなければ意味がない」
気持ちが伴わないのなら、私は用なしとなってしまうのか。
尋ねたいことはたくさんあるはずなのに、それらはすべて言葉になってくれない。
「とりあえず、君に信頼してもらえるように努力する」
温かな眼差しに包まれるだけでも十分だったのに、私は悠真様の熱に抱き締められた。
「悠真様は、悪くないです……」
彼の胸に顔を埋めると、心臓の鼓動が伝わってくる。
穏やかな彼の心音を聴きながら心を落ち着け、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「記憶を失った方がいると思うと、私の発言はすべて失言だったのではないかと……」
「思い悩んでいる、か?」
彼の温もりに身を委ね、全身で彼の熱を感じる。
ここで、ようやく肯定の意を示すために首を縦に振った。
「そうやって言葉にしてくれた方がありがたい」
叱られることに、極度に怯えていたのかもしれない。
その震えが、彼に伝わってしまったのかもしれない。
私を抱き締めていた悠真様の右手が、私の頭をそっと撫でる。
「たくさんの蝶が亡くなったと聞いています。ですが、その一方で、記憶を奪われた人間の方もいらっしゃるんですよね……?」
埋めていた顔を上げて、私を抱き締めてくれている悠真様と視線を交える。
次に返ってきた肯定の言葉と共に、私は再び悠真様の右手で頭を撫でられた。
「一般市民だけでなく、狩り人の中にも、記憶を奪われた人間がいる」
「記憶を失ったら、戦う気力すら失ってしまいますよね……?」
「蝶は忌むべき存在という感覚だけでも残っていてくれたら、狩り人としては助かるんだがな」
この空間を漂う空気は優しさを帯びているのに、話の内容には優しさが宿っていないから不思議だった。
「でも、まあ……」
悠真様が、毎日を笑って過ごせるようになる日が来るのか。
そんなことを蝶に尋ねたところで、蝶たちは答えを返してくれない。
それが理解できているからこそ、見えない未来を歯痒く思う。
「蝶にとっては、狩り人が一人減った。狩り人にとっては、蝶に関わらない平和な時間を得ることができた。記憶がなくなることが悪とも限らないだろ」
人間にとっては、どう考えても悪しき存在の紫純琥珀蝶。
それなのに、悠真様は蝶と親しくしてきた私を気遣う。
蝶を悪だと決めつける発言が、彼から出てくることはなかった。
「せっかく来たんだ。街の案内でも……」
「どうして、私を利用しないのですか」
私の発言を受けた蝶たちが、軽やかに天井へと向かって飛び立っていった。
彼らが求める青い空が存在することはないけれど、まるで空へと舞い上がる光景を見ているかのような彼らの美しさに心を奪われてしまった。
「私が四も下の娘だから、心配をかけたくありませんか」
崩すことのない余裕そうな態度と口調が頼もしくて、責め立てているつもりなのに思わず笑みが零れてきてしまいそうになる。
「私から、情報を聞き出してください」
これは懇願なのか、命令なのか。
紡がれる言葉の数々に意味を問いかけるけど、自身の気持ちが迷走していて困惑する。
(筒路森に来てから、ずっとそう……)
初めて抱く感情ばかりで、初めてばかりを経験している私には自分の感情の処理の仕方すら分からない。
「歳の差なんて、気にするな」
私を抱き締めてくれた腕の力が弱まる。
「無理はしなくていい」
私は、悠真様の熱から解放される。
「……そういう言葉の類を、君は望んでいないんだろうな」
彼の人差し指が、唇に触れた。
「飼い殺される人生を与えるところだった」
触れた人差し指は、もう何も言葉を紡ぐなという意味合いのものだと思った。
でも、そうではないような気がした。
「すまない」
撫でられた唇は、悠真様の熱を感じ取る。
熱を失うばかりだった身体に、彼の温かな熱が注がれていく。
「ここにいる蝶は飼い慣らされている。碌な情報を持っているわけがないと思っているんだが……」
「ここにいる蝶はただの蝶ではなく、紫純琥珀蝶ですよ」
紫純琥珀蝶と言葉を交わすことができるという異端な私を見捨てることなく、変わらない優しさで包んでくれる悠真様は本当に格好のいいお方だと思う。
「私は悠真様に利用してもらうために、ここにいます」
悠真様の傍にいられたら、人として生きることができるのではないかという展望が生まれてくる。
人が生きる世界に戻れるのではないか。そんな、淡い希望を抱くことができる。