「こんなにも蝶に囲まれていながら、悠真(ゆうま)様がご無事で何よりです」
「心配してくれるのはありがたいが、心配のし過ぎで婚約者が体調を崩すのは本意ではないな」
「悠真様のお顔を拝見できて、ようやく心が落ち着きました」

　懐の深さを持つ、どこまでも格好のいい出会ったばかりの婚約者様。
　私は、いつまで経っても悠真様のような器は持つことができないような気がする。

「確かに……ここにいる蝶たちは、悠真様を襲うつもりがありませんね」
「興味深い話だな」
「むしろ好いているように思えます」

　人の記憶を奪うと呼ばれている紫純琥珀蝶(しじゅんこはくちょう)から、敵意むき出しの感情を感じたことはない。
　人の記憶を奪うために産まれてきたわけではないという蝶たちの言葉を信じて疑わなかった。
　私が今までの人生で紫純琥珀蝶(しじゅんこはくちょう)を有害な存在だと思わなかったのは、それが理由でもある。

「この研究室にいる蝶たちは、自然界を飛び交う紫純琥珀蝶(しじゅんこはくちょう)よりも落ち着いていますね」

　蝶の感情が穏やかであることを感じ取ったため、それを包み隠すことなく悠真様に伝える。

「君と同じで、閉じられた環境で育てた蝶々たちだ」
「……育てた？」
「蝶を狩るというのは本当の話だ。だが、蝶を捕まえて研究にも使っている」
「…………」

　私と同じで、閉じられた空間を生きてきた紫純琥珀蝶(しじゅんこはくちょう)。
　天井を見上げたところで、蝶たちは閉じられた環境で育ててもらったことを不満に思っていない。

「野生の蝶……ですよね？」
「孵化はしないらしい。野生の蝶を捕まえて、飼い慣らすことしかできない」

　外の世界を知っているはずの蝶々。
　外の世界で自由に飛び回る幸福を知っているはずなのに、紫純琥珀蝶(しじゅんこはくちょう)は狩り人(かりびと)である悠真様に懐いているように感じる。

「ここにいれば、人に殺されることはないから……ですね」
「そう言っているのか？」
「いえ、蝶はそこまでお喋りではありませんよ」

　でも、察することはできる。
　そんな言葉を付け加えると、悠真様の瞳は更に蝶への興味深さが増したように見えた。

「蝶たちは、人に反撃する手段を持たないからな」
「一方的に殺されるだけ……」
「ああ、そうだな」

　私は屋敷の外を飛び交う蝶との会話しか知らないけれど、その際に蝶は言っていた。
　また、多くの仲間たちが殺されたと。

「蝶が人の記憶を奪うから、俺たちは蝶を殺す」

　残酷な現実が悠真様の口から紡がれるけれど、その言葉を発した悠真様の瞳が曇りを帯びていないことを確認する。

「蝶が記憶を奪うのは、人に抗うためなのでしょうか」

　蝶に、人間のような豊かな表情は見られない。
　それでも、この部屋で生きる蝶々たちは生きていてもいいと許可をもらえたことに笑みを浮かべているような気がした。

「……新しい視点だ」
「記憶を奪えば、人側の戦力を削ぎ落すことができますから」

　まるで紫純琥珀蝶(しじゅんこはくちょう)の思考が、自身の脳に反映されているかのように言葉がすらすらと出てくる。
　そんな不気味な子を放っておくことも、北白川(きたしらかわ)のように人前に出さないこともできるのに、悠真様はどちらの手段も選ばない。
　この環境下を生きる蝶と同じく、私にも自由を与えてくれる。

「なるほどな。この場では人が荒ぶることはないと研究室の蝶が理解しているから、記憶を失う人間が出ない。そう考えると、結葵の話の信ぴょう性が高まる」

　蝶と言葉を交わす唯一を自由にするということは、悠真様にも大きな負担を背負わせているのだという自覚が生まれる。
　身が引き締まる想いに駆られると、悠真様と視線が交わった。
　彼が蝶ではなく、私に視線を向けていたことに気づく。