「何かありましたか? 悠真くんとの生活で」
「何か、ですか」
これから楽しく言葉を交わすことができそうだと安堵している中、初さんの話し方は元の丁寧な口調へと戻っていった。
「もっと悠真様のお役に立ちたいと思うのですが、人の役に立つというのは想像していたよりも難しいものですね」
北白川の家に多額のお金が送られていることは間違いないだろうけど、その多額の額に見合うだけの働きを私はまだできていない。
「まだ十六なんだから無理しなくていいよなんて、そんな投げやりな言葉は求めていませんよね」
初さんは沈黙を作ることなく言葉を交わしてくれるけど、その言葉の向こう側でいろいろなことを思案されているんだろうなという配慮を感じた。
「年下だからこそ、甘えてもいいと思うんですが……」
初さんの思考を読み取ることなんてできないのに、彼が私のための言葉を探しているような視線や仕草。
やはり私よりも人生を長く生きていて、人生経験が豊富な方が他人のために生きられるのだと痛感させられる。
「そもそも、結葵様は無理をされていませんか」
真っすぐな視線を向けられ、自分が初さんに大きな心配をかけていることが分かる。
「とても良くしていただいているのに、無理なんて……」
「男を立てたいというお気持ちは否定しませんが、そこに遠慮があっては悠真くんが寂しいだけなのではないかと」
今朝、見た夢のことを思い出す。
こんな夢を見たと悠真様に話したいと思っていたけれど、肝心の夢の内容を覚えていない。
残っているのは、悲しい夢を見たという感覚だけ。
だから、悠真様に話すことができなかった。
そんな小さくて些細な出来事を、初さんに聞いてもらった。
「結葵様は、無理に笑うのがお得意そうですね」
心配そうな眼差しから、いつもの安心感を抱くような笑みを浮かべてくれる初さんの配慮。
「悠真くんに嫌われないように必死なのかと」
「そんなことは……」
悠真様は初さんの、この優しさに何度も助けられているのかもしれないと悟る。
「悠真くんは、些細な変化に気づかないほど鈍感な方ではありませんよ」
北白川の外に出たときから、悔しいという気持ちを抱いていた。
私は閉ざされた部屋で人生のほとんどを過ごしてきたのに、外を生きる人たちは私よりも何十倍も何百倍も豊かな経験を積まれてきたということに。
「悠真くんは、結葵様が悲しみを抱いていたことに気づいていたと思います」
北白川の外へと追い出された私は人前に出ることもなくなり、孤独を生きる生活が当たり前になった。
それを言い訳にするなんて格好悪いけど、その、たった独りで生きていく生活は私に新たな経験をもたらすことはなかった。
「夢の話なんて、覚えていなくてもいいじゃないですか」
私が憧れる立派な人生経験を手に入れるには、どれだけの年月がかかるのか分からない。
「悲しい夢を見た。それだけで十分、朝の会話として成立します」
悠真様の婚約者として生きていくための経験が欲しい。
それなのに、私が悠真様から別れを告げられる日の方が早いのではないかという予感が走る。
「なんでも話してください。お二人は、恋仲なのですから」
知識も経験もないくせに、悠真様を幸せにしたい。
そんな感情を抱く自分を愚かだと思うこともあったけれど、幸せにしたいという気持ちが本物なら何があっても歩み寄るべきだと初さんに教えてもらう。
「男は、格好つけたがりですから」
「そうなのですか?」
「はい、悠真くんに恰好をつけさせてあげてください」
一方的に抱いている感情なんて、無意味なもので終わってしまうかもしれない。
でも、政略結婚で結ばれた期間だけでも、その無意味さを取り払って悠真様を幸せにしたいと改めて思った。
(悠真様には、少しでも安心して家に帰ってきてほしい)
もしも悠真様が苦しみを抱えているというのなら、終わらない苦しみはないということを伝えたい。
「ん、少し失礼します」
初さんが携帯している端末の音が鳴り、初さんに用があることを知らせる。
「連絡寄越すの、早すぎませんか」
初さんの発言を通して、電話の相手が先程出て行かれたばかりの悠真様だと悟る。
「面倒すぎると嫌われますよ」
電話越しの悠真様の声は遠すぎて、さすがに会話の内容を盗み聞くことはできない。
でも、初さんは、この場を離れて端末で連絡を取り合うことをしない。
会話の内容は、私に漏れても大丈夫だということ。
(耳を澄ませたところで、悠真様の声は聞こえない……)
悠真様と初さんの会話は、筒路森の婚約者としての務めを果たせと伝えたいわけではないはず。
(私に聞かせたい内容は、紫純琥珀蝶に関する話のはず……)
端末を通しての会話は、すぐに終わった。
初さんは来客用の椅子から立ち上がり、出かける支度を整え始める。
「代わりの護衛を寄越すので、悠真様の帰りを……」
「付いていきたいという願いを叶えてもらうことはできますか」
私を屋敷に置いていく予定だった初さんは少しだけ目を大きく見開いて、ほんの少し考えごとを済ませてから私と視線を交えてくれた。
「その問いに関しては、可能ですとお答えします」
「ありがとうございます」
自分は人々から記憶を奪う蝶と言葉を交わすことができるだけで、それ以外の力は何も持たない無力な人間だとは思う。
「何か、ですか」
これから楽しく言葉を交わすことができそうだと安堵している中、初さんの話し方は元の丁寧な口調へと戻っていった。
「もっと悠真様のお役に立ちたいと思うのですが、人の役に立つというのは想像していたよりも難しいものですね」
北白川の家に多額のお金が送られていることは間違いないだろうけど、その多額の額に見合うだけの働きを私はまだできていない。
「まだ十六なんだから無理しなくていいよなんて、そんな投げやりな言葉は求めていませんよね」
初さんは沈黙を作ることなく言葉を交わしてくれるけど、その言葉の向こう側でいろいろなことを思案されているんだろうなという配慮を感じた。
「年下だからこそ、甘えてもいいと思うんですが……」
初さんの思考を読み取ることなんてできないのに、彼が私のための言葉を探しているような視線や仕草。
やはり私よりも人生を長く生きていて、人生経験が豊富な方が他人のために生きられるのだと痛感させられる。
「そもそも、結葵様は無理をされていませんか」
真っすぐな視線を向けられ、自分が初さんに大きな心配をかけていることが分かる。
「とても良くしていただいているのに、無理なんて……」
「男を立てたいというお気持ちは否定しませんが、そこに遠慮があっては悠真くんが寂しいだけなのではないかと」
今朝、見た夢のことを思い出す。
こんな夢を見たと悠真様に話したいと思っていたけれど、肝心の夢の内容を覚えていない。
残っているのは、悲しい夢を見たという感覚だけ。
だから、悠真様に話すことができなかった。
そんな小さくて些細な出来事を、初さんに聞いてもらった。
「結葵様は、無理に笑うのがお得意そうですね」
心配そうな眼差しから、いつもの安心感を抱くような笑みを浮かべてくれる初さんの配慮。
「悠真くんに嫌われないように必死なのかと」
「そんなことは……」
悠真様は初さんの、この優しさに何度も助けられているのかもしれないと悟る。
「悠真くんは、些細な変化に気づかないほど鈍感な方ではありませんよ」
北白川の外に出たときから、悔しいという気持ちを抱いていた。
私は閉ざされた部屋で人生のほとんどを過ごしてきたのに、外を生きる人たちは私よりも何十倍も何百倍も豊かな経験を積まれてきたということに。
「悠真くんは、結葵様が悲しみを抱いていたことに気づいていたと思います」
北白川の外へと追い出された私は人前に出ることもなくなり、孤独を生きる生活が当たり前になった。
それを言い訳にするなんて格好悪いけど、その、たった独りで生きていく生活は私に新たな経験をもたらすことはなかった。
「夢の話なんて、覚えていなくてもいいじゃないですか」
私が憧れる立派な人生経験を手に入れるには、どれだけの年月がかかるのか分からない。
「悲しい夢を見た。それだけで十分、朝の会話として成立します」
悠真様の婚約者として生きていくための経験が欲しい。
それなのに、私が悠真様から別れを告げられる日の方が早いのではないかという予感が走る。
「なんでも話してください。お二人は、恋仲なのですから」
知識も経験もないくせに、悠真様を幸せにしたい。
そんな感情を抱く自分を愚かだと思うこともあったけれど、幸せにしたいという気持ちが本物なら何があっても歩み寄るべきだと初さんに教えてもらう。
「男は、格好つけたがりですから」
「そうなのですか?」
「はい、悠真くんに恰好をつけさせてあげてください」
一方的に抱いている感情なんて、無意味なもので終わってしまうかもしれない。
でも、政略結婚で結ばれた期間だけでも、その無意味さを取り払って悠真様を幸せにしたいと改めて思った。
(悠真様には、少しでも安心して家に帰ってきてほしい)
もしも悠真様が苦しみを抱えているというのなら、終わらない苦しみはないということを伝えたい。
「ん、少し失礼します」
初さんが携帯している端末の音が鳴り、初さんに用があることを知らせる。
「連絡寄越すの、早すぎませんか」
初さんの発言を通して、電話の相手が先程出て行かれたばかりの悠真様だと悟る。
「面倒すぎると嫌われますよ」
電話越しの悠真様の声は遠すぎて、さすがに会話の内容を盗み聞くことはできない。
でも、初さんは、この場を離れて端末で連絡を取り合うことをしない。
会話の内容は、私に漏れても大丈夫だということ。
(耳を澄ませたところで、悠真様の声は聞こえない……)
悠真様と初さんの会話は、筒路森の婚約者としての務めを果たせと伝えたいわけではないはず。
(私に聞かせたい内容は、紫純琥珀蝶に関する話のはず……)
端末を通しての会話は、すぐに終わった。
初さんは来客用の椅子から立ち上がり、出かける支度を整え始める。
「代わりの護衛を寄越すので、悠真様の帰りを……」
「付いていきたいという願いを叶えてもらうことはできますか」
私を屋敷に置いていく予定だった初さんは少しだけ目を大きく見開いて、ほんの少し考えごとを済ませてから私と視線を交えてくれた。
「その問いに関しては、可能ですとお答えします」
「ありがとうございます」
自分は人々から記憶を奪う蝶と言葉を交わすことができるだけで、それ以外の力は何も持たない無力な人間だとは思う。