(紫純琥珀蝶のお墓を建てる際に、恐らく多くの反対があった……)
その反対を押し切った方とは思えないほど、悠真様は優しすぎる。
それ以上の優しさを、私に与えないでほしい。
「いつか……」
自惚れてしまいそうになるから。
自分にも役立てることがあるんじゃないか。
世界を救うための力になれるんじゃないかという自信にすり替えてしまいそうになるから。
「いつか紫純琥珀蝶が飛ばなくなる日が来たら……昔の男のことなんて、さっさと忘れて自由になってくれ」
交わし合う言葉の中にも、自分の無力さを感じる瞬間があるのだと気づいた。
契約で結ばれた関係のはずなのに、自由になってくれ。
矛盾した言葉の掛け合いに、どうしようもない優しさを感じる。
それなのに、私は悠真様の優しさに応えるための言葉を持たない。
「蝶が飛ばない日が来るよう、尽力させていただきます」
「相変わらず、だな」
「ふふっ」
蝶と言葉を交わすことしかできない私に、なんて言葉をかけるのだろう。
「私は……」
心が揺らぐ。
悠真様を知るための時間を、もっともっと欲してしまう。
「忘れなくてもいいですか」
叶わない願いごと。
もっとという言葉を付け加えたところで、私には自分の中に生まれた願いを叶えることができない。
「私は悠真様に助けてもらったことを、忘れたくありません」
私は、幸せになってはいけない。
幸せになっていいのは、私の手を取ってくださった悠真様だけ。
幸せになる権利を持っているのは、国を良くするために生きている悠真様だけ。
だから、私は欲することをやめなければいけない。
「君の性格は、欠点だらけだな」
「頑固なところでしょうか」
「自覚があるところが面白い」
「ありがとうございます」
日本語のやりとりとしては、不正解なのかもしれない。
でも、私も悠真様も、楽しい食事時間を過ごすことができた。
もちろん悠真様が心の底から楽しかったかどうかなんて分からないけれど、悠真様が無理にでも私に笑顔を向けることを選んでくれたのなら大丈夫だと思いたい。信じてみたいと思った。
「蝶が飛ぶ時間に、迎えに来る」
「いってらっしゃいませ」
筒路森に勤める侍女の方々は、必要最低限のことしかしない。
そう悠真様に命じられていることもあって、私は必要以上に婚約者としての顔を向けなくてもいいようになっている。
(これも、悠真様の気遣い……?)
悠真様を見送ったあと、私は庭先に佇む一本の大きな桜の木へと足を運んだ。
季節外れの桜の木は、なんとも寂しい空気をまとっているかのように視界に映る。
「私はどれだけの時間、悠真様の傍にいられますか……」
世界を彩る花たちは、一年中花を咲かせるわけではない。
花を咲かせる季節を終えると、その花は世界から仲間外れにされているように感じてしまう。
でも、仲間外れと感じているのは私だけで、桜の木は凛と佇んで今日も立派に生きている。
「その問いへの答えを、私は持っていません」
「え」
あまりにも威厳ある桜の木だったため、木の陰に誰かが潜んでいたことに私はまったく気づかなかった。
「こうして二人きりでお話しするのは初めてですね。字見初。狩り人です」
木の陰から、ひょっこりと顔を出す青年。
常に悠真様の隣に控えていた方だったため、私はてっきり悠真様に仕えて一緒に出て行ったものだと思っていた。
「悠真くんがお出かけしている間、結葵様の護衛を任されました」
悠真様とは対照的な明るく爽やかな笑み。
紫純琥珀蝶のための墓でお会いしたときとは、蝶の墓を前にして心の中に広がる感情を必死に抑えていたように見えた。でも、他人を安心させるためなのか、柔らかな笑みを浮かべているのが印象的だった。
「いつも悠真くんの傍にいるわけではないので、これから何かがあったら気軽に声をかけてください」
寒空の下、初めましての出会いを長々と語らうわけにもいかない。
私たちは屋敷に戻って、改めてゆっくりとした時間の中で言葉を交わし合った。
「本来なら、同性の方が話しやすいとは思うのですが……」
「いえ、字見さんとお話できて……」
「初で構いませんよ」
ほんの少し前かがみになって、私の瞳を覗き込んできたときに見せた字見さんの笑顔。
私を落ち着かせるために見せてくれた笑みだと分かって、私は真っすぐ字見さんの瞳を見つめた。
「……初さんとお話することができて、とても嬉しいです」
「お気遣いありがとうございます」
時折笑みを浮かべてくれる悠真様とは違って、初さんは基本的に笑みを絶やすことがない人だということを知る。
私が素直に喜びを表現すると、初さんはより一層美しい笑みを浮かべてくれた。
「何かあったら遠慮なく話しかけてほしいのですが……」
「ありがとうございます、初さ……」
「あまり頼りにされてなくて、舐められることも大変多いんだよね」
「…………」
丁寧な口調で喋っていた初さんの口調が変わる。
年上の男性であることに変わりはないだろうけど、初さんの不服そうな顔を見ることができて思わず口角を上げてしまった。
その反対を押し切った方とは思えないほど、悠真様は優しすぎる。
それ以上の優しさを、私に与えないでほしい。
「いつか……」
自惚れてしまいそうになるから。
自分にも役立てることがあるんじゃないか。
世界を救うための力になれるんじゃないかという自信にすり替えてしまいそうになるから。
「いつか紫純琥珀蝶が飛ばなくなる日が来たら……昔の男のことなんて、さっさと忘れて自由になってくれ」
交わし合う言葉の中にも、自分の無力さを感じる瞬間があるのだと気づいた。
契約で結ばれた関係のはずなのに、自由になってくれ。
矛盾した言葉の掛け合いに、どうしようもない優しさを感じる。
それなのに、私は悠真様の優しさに応えるための言葉を持たない。
「蝶が飛ばない日が来るよう、尽力させていただきます」
「相変わらず、だな」
「ふふっ」
蝶と言葉を交わすことしかできない私に、なんて言葉をかけるのだろう。
「私は……」
心が揺らぐ。
悠真様を知るための時間を、もっともっと欲してしまう。
「忘れなくてもいいですか」
叶わない願いごと。
もっとという言葉を付け加えたところで、私には自分の中に生まれた願いを叶えることができない。
「私は悠真様に助けてもらったことを、忘れたくありません」
私は、幸せになってはいけない。
幸せになっていいのは、私の手を取ってくださった悠真様だけ。
幸せになる権利を持っているのは、国を良くするために生きている悠真様だけ。
だから、私は欲することをやめなければいけない。
「君の性格は、欠点だらけだな」
「頑固なところでしょうか」
「自覚があるところが面白い」
「ありがとうございます」
日本語のやりとりとしては、不正解なのかもしれない。
でも、私も悠真様も、楽しい食事時間を過ごすことができた。
もちろん悠真様が心の底から楽しかったかどうかなんて分からないけれど、悠真様が無理にでも私に笑顔を向けることを選んでくれたのなら大丈夫だと思いたい。信じてみたいと思った。
「蝶が飛ぶ時間に、迎えに来る」
「いってらっしゃいませ」
筒路森に勤める侍女の方々は、必要最低限のことしかしない。
そう悠真様に命じられていることもあって、私は必要以上に婚約者としての顔を向けなくてもいいようになっている。
(これも、悠真様の気遣い……?)
悠真様を見送ったあと、私は庭先に佇む一本の大きな桜の木へと足を運んだ。
季節外れの桜の木は、なんとも寂しい空気をまとっているかのように視界に映る。
「私はどれだけの時間、悠真様の傍にいられますか……」
世界を彩る花たちは、一年中花を咲かせるわけではない。
花を咲かせる季節を終えると、その花は世界から仲間外れにされているように感じてしまう。
でも、仲間外れと感じているのは私だけで、桜の木は凛と佇んで今日も立派に生きている。
「その問いへの答えを、私は持っていません」
「え」
あまりにも威厳ある桜の木だったため、木の陰に誰かが潜んでいたことに私はまったく気づかなかった。
「こうして二人きりでお話しするのは初めてですね。字見初。狩り人です」
木の陰から、ひょっこりと顔を出す青年。
常に悠真様の隣に控えていた方だったため、私はてっきり悠真様に仕えて一緒に出て行ったものだと思っていた。
「悠真くんがお出かけしている間、結葵様の護衛を任されました」
悠真様とは対照的な明るく爽やかな笑み。
紫純琥珀蝶のための墓でお会いしたときとは、蝶の墓を前にして心の中に広がる感情を必死に抑えていたように見えた。でも、他人を安心させるためなのか、柔らかな笑みを浮かべているのが印象的だった。
「いつも悠真くんの傍にいるわけではないので、これから何かがあったら気軽に声をかけてください」
寒空の下、初めましての出会いを長々と語らうわけにもいかない。
私たちは屋敷に戻って、改めてゆっくりとした時間の中で言葉を交わし合った。
「本来なら、同性の方が話しやすいとは思うのですが……」
「いえ、字見さんとお話できて……」
「初で構いませんよ」
ほんの少し前かがみになって、私の瞳を覗き込んできたときに見せた字見さんの笑顔。
私を落ち着かせるために見せてくれた笑みだと分かって、私は真っすぐ字見さんの瞳を見つめた。
「……初さんとお話することができて、とても嬉しいです」
「お気遣いありがとうございます」
時折笑みを浮かべてくれる悠真様とは違って、初さんは基本的に笑みを絶やすことがない人だということを知る。
私が素直に喜びを表現すると、初さんはより一層美しい笑みを浮かべてくれた。
「何かあったら遠慮なく話しかけてほしいのですが……」
「ありがとうございます、初さ……」
「あまり頼りにされてなくて、舐められることも大変多いんだよね」
「…………」
丁寧な口調で喋っていた初さんの口調が変わる。
年上の男性であることに変わりはないだろうけど、初さんの不服そうな顔を見ることができて思わず口角を上げてしまった。