「筒路森の庭園以上に、立派な庭園があるのなら拝んでみたいものだな」
「くすっ」
思い出せない過去の記憶を気にかけるよりも、自信満々に筒路森の屋敷の豪華絢爛さを語る彼に笑みを深めることを私の心は優先した。
「昔、どこかで会ったような気がするというのは、案外、本当なのかもしれませんね」
筒路森が所有する車の中で、私は高熱に侵された。
記憶が途絶える前に、悠真様がくれた言葉を思い返す。
「なんだか俺が冗談を言ってるような流れになってるが、結葵に運命を感じたのは事実だ」
「ふふっ」
「なんで、一世一代の告白を笑われなきゃいけないんだ……」
人の表情は照れたからといって、そんな簡単に赤みを帯びるものではない。
でも、彼の頬に赤みが広がったような気がして、その気がしたって感覚に胸が高鳴った。
「仕方ないだろ、こっちは一部の記憶が欠落しているんだ」
いつも冷静な彼は照れたように俯いてしまったが、私は彼がくれた言葉に引っかかりを感じた。
「もしかして、紫純琥珀蝶……」
「否定はできないな。蝶は、人間の記憶すべてを喪失させるほどの力を持つのだからな」
ぶっきらぼうな言い回しをして、彼は軽く肩をすくめた。
「だからこそ、蝶が蔓延る歪さを正したい」
さきほどまで照れた表情を浮かべていた悠真様は存在せず、彼はしっかりと顔を上げた。
「蝶のない世に変えること。それが、俺に与えられた役割だと思っている」
二人で、屋根から滴り落ちる雨の滴を見つめた。
雨模様を見るだけで寒さを感じるはずなのに、視界に映る世界には温かさがあった。世界が綺麗な輝きをまとっているように見えた。
狩り人のおかげで、世界の平和が保たれているのだと強く自覚する。
「その夢を、私にも支えさせてください」
彼が、その夢を叶えるために努力している姿を支えたい。
そう思って、彼の励みになるような笑みを向けようと心がけた刹那。
「悠真っ!」
不意に部屋の扉が、ばたんという大きな音を立てながら開かれた。
驚いた私たちは同時に視線を向けると、私が見知らぬ女性の姿があった。
「なんで勝手に部屋に入ってくるんだ」
「答えは簡単。あなたに会いたかったからよ」
首に沿って長く立ち上がった襟には繊細なレースが施されており、腰のくびれをきゅっと絞ったジャケット。
ふんわりと広がる長めのスカートといった、モダンな洋装に身を包んだ女性が現れた。
「初は、何をやっているんだ……」
「私が、あなたに会いたかったと言っているでしょう?」
「理由になってないだろ……」
彼女の声には透き通るような響きがあり、その場の空気が一段と明るくなったような気がした。
おとなしい性格の私とは正反対で、場に活気をもたらすことができる女性なのだと思った。
「悠真様、来客を優先されてください。私は部屋に戻ります」
悠真様が、こんなにも堂々と浮気をされるような方とは思えない。
恐らく紫純琥珀蝶関連の女性だと察し、ある意味では部外者の私は二人に一礼をして部屋を去った。
(なんで、こんなに二人の関係を気にしてしまうのか)
あの場に居残ったところで、私は二人のやり取りを遠くから見つめることしかできない。
部屋を出るのが最善と決断した割に、胸の奥に小さな痛みが広がる。客人の笑顔を思い出すだけで、その痛みは少しずつ大きくなっていくのを感じる。
(あの二人には何もない……私は、悠真様の婚約者……)
客人が彼に近づいたときの、距離感に驚かされた。
二人の間には何もないと理解していても、近すぎる距離に視線を逸らさずにはいられなかった。
(でも、妾の女性というのは存在するのかもしれない)
雨の音が心のざわめきを隠してくれるかと期待したけれど、それでも胸の中の感情は抑えきれない。
(庭の花を見れば……)
嫉妬という感情が、自分の中で静かに芽生え始めているのを感じた。
私は庭先の花に目を向けることで、この芽生え始めている感情をなかったことにしよう。
そう思って、私は使用人の方に傘をお借りして、筒路森の庭園へと足を運んだ。
「私はどれだけの時間、悠真様の傍にいられますか……」
世界を彩る花たちは、一年中花を咲かせるわけではない。
花を咲かせる季節を終えると、その花は世界から仲間外れにされているように感じてしまう。
でも、仲間外れと感じているのは私だけで、桜の木は凛と佇んで今日も立派に生きている。
「その問いへの答えを、私は持っていません」
あまりにも威厳ある桜の木だったため、木の陰に誰かが潜んでいたことに私はまったく気づかなかった。
「こうして二人きりでお話しするのは初めてですね。字見初。狩り人です」
木の陰から、ひょっこりと顔を出す青年。
常に悠真様の隣に控えている方だという認識があったため、庭先で顔を合わせることになった彼に驚きの眼差しを向けた。
「悠真くんが客人の相手をしている間、結葵様の護衛を任されました」
月明かりのような儚さを持つ悠真様とは真逆の、まるで太陽のような明るい空気に包み込まれた青年が丁寧に挨拶をしてくれた。
「悠真くんとは同じ狩り人仲間なんですけど、両親が行方不明になった俺を拾ってくれたのが悠真くんで……彼の方が偉いって感じです」
異国の情緒や雰囲気を感じられる装いをしていて、彼の着込んでいる深緑のベストには繊細な刺繍が施されていた。
「普段は、主従関係というものを意識していないんですけどね」
字見さんの澄んだ瞳は、一瞬で見る者の心を和ませてしまうほど美しい。
日本では見慣れない金の髪が風に揺れ、彼の顔立ちを一層引き立てた。
「これから、長い付き合いになるといいんですけどね」
人との距離を縮めるのが上手い方らしく、字見さんはおおらかな態度と柔らかな笑みで私の緊張を解きほぐそうとしてくれる。
「いつも悠真くんの傍にいるわけではないので、これから何かがあったら気軽に声をかけてください」
ほんの少し前かがみになって、私の瞳を覗き込んできたときに見せた字見さんの笑顔。
「本来なら、同性の方が話しやすいとは思うのですが……」
「いえ、字見さんとお話できて……」
「初で構いませんよ」
私を落ち着かせるために見せてくれた笑みだと分かって、私は真っすぐ字見さんの瞳を見つめた。
「くすっ」
思い出せない過去の記憶を気にかけるよりも、自信満々に筒路森の屋敷の豪華絢爛さを語る彼に笑みを深めることを私の心は優先した。
「昔、どこかで会ったような気がするというのは、案外、本当なのかもしれませんね」
筒路森が所有する車の中で、私は高熱に侵された。
記憶が途絶える前に、悠真様がくれた言葉を思い返す。
「なんだか俺が冗談を言ってるような流れになってるが、結葵に運命を感じたのは事実だ」
「ふふっ」
「なんで、一世一代の告白を笑われなきゃいけないんだ……」
人の表情は照れたからといって、そんな簡単に赤みを帯びるものではない。
でも、彼の頬に赤みが広がったような気がして、その気がしたって感覚に胸が高鳴った。
「仕方ないだろ、こっちは一部の記憶が欠落しているんだ」
いつも冷静な彼は照れたように俯いてしまったが、私は彼がくれた言葉に引っかかりを感じた。
「もしかして、紫純琥珀蝶……」
「否定はできないな。蝶は、人間の記憶すべてを喪失させるほどの力を持つのだからな」
ぶっきらぼうな言い回しをして、彼は軽く肩をすくめた。
「だからこそ、蝶が蔓延る歪さを正したい」
さきほどまで照れた表情を浮かべていた悠真様は存在せず、彼はしっかりと顔を上げた。
「蝶のない世に変えること。それが、俺に与えられた役割だと思っている」
二人で、屋根から滴り落ちる雨の滴を見つめた。
雨模様を見るだけで寒さを感じるはずなのに、視界に映る世界には温かさがあった。世界が綺麗な輝きをまとっているように見えた。
狩り人のおかげで、世界の平和が保たれているのだと強く自覚する。
「その夢を、私にも支えさせてください」
彼が、その夢を叶えるために努力している姿を支えたい。
そう思って、彼の励みになるような笑みを向けようと心がけた刹那。
「悠真っ!」
不意に部屋の扉が、ばたんという大きな音を立てながら開かれた。
驚いた私たちは同時に視線を向けると、私が見知らぬ女性の姿があった。
「なんで勝手に部屋に入ってくるんだ」
「答えは簡単。あなたに会いたかったからよ」
首に沿って長く立ち上がった襟には繊細なレースが施されており、腰のくびれをきゅっと絞ったジャケット。
ふんわりと広がる長めのスカートといった、モダンな洋装に身を包んだ女性が現れた。
「初は、何をやっているんだ……」
「私が、あなたに会いたかったと言っているでしょう?」
「理由になってないだろ……」
彼女の声には透き通るような響きがあり、その場の空気が一段と明るくなったような気がした。
おとなしい性格の私とは正反対で、場に活気をもたらすことができる女性なのだと思った。
「悠真様、来客を優先されてください。私は部屋に戻ります」
悠真様が、こんなにも堂々と浮気をされるような方とは思えない。
恐らく紫純琥珀蝶関連の女性だと察し、ある意味では部外者の私は二人に一礼をして部屋を去った。
(なんで、こんなに二人の関係を気にしてしまうのか)
あの場に居残ったところで、私は二人のやり取りを遠くから見つめることしかできない。
部屋を出るのが最善と決断した割に、胸の奥に小さな痛みが広がる。客人の笑顔を思い出すだけで、その痛みは少しずつ大きくなっていくのを感じる。
(あの二人には何もない……私は、悠真様の婚約者……)
客人が彼に近づいたときの、距離感に驚かされた。
二人の間には何もないと理解していても、近すぎる距離に視線を逸らさずにはいられなかった。
(でも、妾の女性というのは存在するのかもしれない)
雨の音が心のざわめきを隠してくれるかと期待したけれど、それでも胸の中の感情は抑えきれない。
(庭の花を見れば……)
嫉妬という感情が、自分の中で静かに芽生え始めているのを感じた。
私は庭先の花に目を向けることで、この芽生え始めている感情をなかったことにしよう。
そう思って、私は使用人の方に傘をお借りして、筒路森の庭園へと足を運んだ。
「私はどれだけの時間、悠真様の傍にいられますか……」
世界を彩る花たちは、一年中花を咲かせるわけではない。
花を咲かせる季節を終えると、その花は世界から仲間外れにされているように感じてしまう。
でも、仲間外れと感じているのは私だけで、桜の木は凛と佇んで今日も立派に生きている。
「その問いへの答えを、私は持っていません」
あまりにも威厳ある桜の木だったため、木の陰に誰かが潜んでいたことに私はまったく気づかなかった。
「こうして二人きりでお話しするのは初めてですね。字見初。狩り人です」
木の陰から、ひょっこりと顔を出す青年。
常に悠真様の隣に控えている方だという認識があったため、庭先で顔を合わせることになった彼に驚きの眼差しを向けた。
「悠真くんが客人の相手をしている間、結葵様の護衛を任されました」
月明かりのような儚さを持つ悠真様とは真逆の、まるで太陽のような明るい空気に包み込まれた青年が丁寧に挨拶をしてくれた。
「悠真くんとは同じ狩り人仲間なんですけど、両親が行方不明になった俺を拾ってくれたのが悠真くんで……彼の方が偉いって感じです」
異国の情緒や雰囲気を感じられる装いをしていて、彼の着込んでいる深緑のベストには繊細な刺繍が施されていた。
「普段は、主従関係というものを意識していないんですけどね」
字見さんの澄んだ瞳は、一瞬で見る者の心を和ませてしまうほど美しい。
日本では見慣れない金の髪が風に揺れ、彼の顔立ちを一層引き立てた。
「これから、長い付き合いになるといいんですけどね」
人との距離を縮めるのが上手い方らしく、字見さんはおおらかな態度と柔らかな笑みで私の緊張を解きほぐそうとしてくれる。
「いつも悠真くんの傍にいるわけではないので、これから何かがあったら気軽に声をかけてください」
ほんの少し前かがみになって、私の瞳を覗き込んできたときに見せた字見さんの笑顔。
「本来なら、同性の方が話しやすいとは思うのですが……」
「いえ、字見さんとお話できて……」
「初で構いませんよ」
私を落ち着かせるために見せてくれた笑みだと分かって、私は真っすぐ字見さんの瞳を見つめた。



