ひらひら舞う。
 蝶が、桜が。

「今日は、どこに行くの……?」

 闇夜に溶けていく、薄い紫色と儚い桃色。
 それだけを眺めていられたら、どんなに幸せなことだろうか。

「今日も、人の記憶を食べに行くの……?」

 漆黒に映える蝶と花の美しさに勝るものなんて、この世には存在しない。
 そう思えるほど、この世界は美しい。

結葵(ゆき)っ!」

 紫純琥珀蝶(しじゅんこはくちょう)という名の蝶と、桜が舞う。

「誰と喋っていたの」

 世界が花びらで覆われるのではないかと勘違いしそうなくらいの美しさに溺れていると、和造りの部屋を支配する母の冷たい声に背筋が凍る。

「……申し訳ございませんでした」
「謝るなって言ってるでしょ!」
「……申し訳ございません」
「あなたが謝ったってね、何も解決しないのよっ!」

 私は、幼い頃から母の目を見ることができない。
 いつも視線を下げて、私は母の凍てつく視線から逃げ出す。

「気持ち悪い、気持ち悪い、気持ちが悪い……」
「……申し訳ございません」

 蝶が舞うのは、夜の時間。
 蝶が踊るのは、暗闇の中。
 蝶が力を使うのは、良い子が眠りに就いた時刻。
 蝶が世界を飛び回る頃、母は私を叱りつけにやって来る。

「いい加減にして……」
「……申し訳ございません」
「蝶と話ができるなんて気味が悪い……」

 蝶が、私に語りかける。
 だから、私は言葉を返した。
 それが、すべての始まりだった。

「おまえみたいな子、生まれてこなければっ!」
「……申し訳ございません」

 蝶と言葉を交わすことができる私を、家族は気味悪がった。
 おまえは人の子ではないと言われた。
 おまえには、人として生きていく価値がないと言われた。

「あなたがいるから、北白川は没落したの……」
「……申し訳ございません」

 私は家族の輪から、外の世界へと追いやられた。
 いっそのこと殺してくれた方が楽になれたのかもしれないけど、北白川家から遺体が見つかることの方が問題だと父は言った。
 だから、私は生かされることになった。

「どうして私の子なのに、こんなにも不出来な娘が産まれたの……?」
「…………」

 生きているけど、生きていない。
 食べ物も寝る場所も与えてはもらえるけど、ただそれだけ。
 ただそれだけの毎日は、繰り返された。

「私がいけないの……? いいえ、私は悪くない……。この子が悪いの……。この子が悪い……」
「お母様、大丈……」
「触らないで! 私が穢れてしまうでしょ!」

 母を心配することも、母に触れることも、私には許されない。
 私は、家族ではないと烙印を押された子。
 これから先も、北白川家の娘として生きていくことは許されないということ。

「……申し訳ございません」

 蝶が唄う。
 漆黒の世界で、記憶を奪うために唄う。
 蝶が唄う。
 漆黒の世界で、人々の記憶を喰んで生きる。