「似合わね〜」
 控え室の戻ると、派手なビキニ一枚の時任三四郎が言った。寝転がってぼろぼろになった少年ジャンプを読んでいた。
「ほっとけよ」
「どうだった、イマニシ?」
 三四郎がにやにやしながら雑誌を放った。
 控え室には隆史と三四郎だけだった。他のボーイたちは客の相手をしているらしい。週末なので、店は混雑している。
「普通だよ」
 部屋に入るとき、誰がいるのかわからない。キモいオジだったとき、不快なそぶりを見せてはいけない。ドアを開けたところで、仕事がスタートするのだ。まず代金をもらう。そして、今日のプレイについて確認する。
 少し雑談をする。相手の緊張を和らげるために。だいたいが相手の話をうんうんと頷くだけだ。興味のない話にも、そうなんですね、と笑顔で答える。じゃあシャワーを浴びましょうか、と立ち上がり、事務所に電話する。「シャワー入ります」と言うと、オッケーです、と返ってくる。ちゃんと連絡するのは、他の客と鉢合わせになってしまうことを避けるためだ。シャワーも二つしかないし、使われているかもしれない。
 リステリンかイソジンを選んでもらう。だいたいの客はイソジンを選ぶ。リステリンは辛いから。口臭を気にするタイプはリステリンを選びがちだ。
 シャワーで身体を流してやる。
 もちろん自分も裸になる。男の客はやたらとへその下をいじりたがった。元気がないねえ、などと、ノンケを選んだくせに、不平を漏らす。むりやりにでも大きくしようときつく引っ張られることもある。
 身体を拭いてやり、再び部屋に戻ると、あかりを暗くして始まる。
 はじめはマッサージだ。三日程研修を受けた。隆史はごりごりと力強く動かす。もっと適当に、さするくらいでいい。そもそもオイルマッサージなんて、べつにほんとうに疲れをとりたいやつなんていない。むしろ、終わってから疲れ果てたいやつらがほとんどだ。
 足から上へと安いオイルを垂らしながらマッサージを施し、ちょうどいいくらいの時間に仰向けになってもらう。
 すべてをやり終え、再びシャワーに向かいオイルを流し、着替えたら、お見送りしておしまい。
 1日に何人もやってくるときもあるし、まったくないときもある。指名が入らなかったら、せまくて不衛生な控え室でただ待っている。
 欲望を抱えたおっさんを。
「珍しいじゃん、イマニシ新人好きなのに」
 三四郎が言った。
「新人全員出払ってるから」
 入りたての頃はやたらと指名が入った。こういう店にくるやつは、素人くさいのが好きだ、と三四郎は言う。素人とできないから、玄人を買いにくる。そもそも、モテているやつはこんな店を利用しない。マッチングアプリや、なんなら二丁目の通りで暇そうに立っているだけで、相手はやってくる。
 隆史はその世界のことをなにも知らない。この世界の先輩である三四郎は、隆史にさまざまなルールを教えた。
 別に知りたくもなかったし、深入りしたくもなかったが、暇だったから。
 そしてそんな情報を得るたびに、自分はなにもわかっていない、と思う。
 こういう世界があることも、なにもかも。
 つい最近入ってきた新人は、初日に即辞めた。せっかく研修を受けたというのに。最初の客がキモすぎたのだろう。
 隆史の最初の客は、そこらへんに歩いていそうなサラリーマンのおじさんだった。
「緊張してる?」と何度も訊ねられた。ちょっと、はい、と答えると、そうだよね、うん、そうに決まっているよ、と頷いた。かといって、最後は労わることもなく、ああしてくれ、こうしてくれと散々指示を出し、すべてを終えて、帰り際に、また指名するよ、でも、あんまり長くここにいちゃいけないよ、と釘を刺した。
 またくると言うくせに、辞めたほうがいいって、本末転倒ではないか、と思った。
 隆史は半年ほど勤めているが、そのおじさんに再び指名されることはなかった。
「つーかイマニシ絶対オプションで制服着せるよな。どんだけDK好きなんだよ」
 三四郎が笑った。
「あの人、元高校教師だったんだろ」
 客はそこまでボーイにプライベートを語らないし、ボーイもそこまで聞きたくもない。イマニシは店の常連で、慣れているせいか自分のことをやたら語り、ボーイたちは控え室で個人情報をネタにして話していた。
「ガチで変態だからな」
 三四郎は下着一枚のままストレッチをしながら、「でもさ、その制服うちらの学校のやつと似てない?」
 と薄笑いを浮かべた。
「そうかな」
 たしかに、そう言われてみればそうかもしれない。黒のブレザーにグレイのパンツ、ネクタイはえんじ、どこにでもありそうな高校の制服だった。
 自分の姿を鏡に映してみた。
 高校生、に見えるだろうか。ぼんやりしているから、みようによってはそう映るかもしれない。
 なんだか、自分が高校生であったのが遠い。二年しかたっていないというのに不思議なことに、遥か昔のことのように思える。
 自分の高校時代のことを考えると、真っ二つに別れる。
 吉村美保がいたときと、消えてしまってからの。
 美保がいないあいだの自分が、どんなことをしていたのか、覚えていない。いつのまにか卒業していた気がする。
「なんかあの頃のこと思い出してモヤモヤする」
 三四郎が隆史の背後に回って言った。
 制服を着ている偽高校生と、猥褻な下着一枚の男。
「お前も相当な変態だな」
 隆史は言った。
「成人式、どうだった?」
 三四郎が言った。
「みんな元気だったよ。稔も昭二もあいかわらずだったし」
 そう言ってから、その名前を出したことを後悔した。
「クソみたいな連中はクソなままか」
 三四郎は苦い顔をした。
「そういうなよ」
 と反射的にかばってしまったが、三四郎からすれば、あいつらのことなんて考えたくもないだろう、なんなら、復讐したいといまだに思っているかもしれない。
 あの仕打ちを受けて、いいふうに思い直すことなんてできないだろう。自分が三四郎だったらどうだろうか? 徹底的に忘れようとするのかもしれない。
 できるだろうか。
 美保のことを忘れられないように。自分が同じ立場だったら、自信がない。
「あいつら、俺のことを人間として扱いもしなかったよ」
 三四郎が背後から隆史を抱きしめた。
 隆史は黙って、そのままにさせてやった。
「あんたもだよな」
 ぽつりと三四郎は隆史の背中に顔を埋めて言った。
「ごめん」
「あの頃の俺、もっさかったからなあ……そりゃいじめられるわ」
 三四郎は顔をぐりぐりと押し付けた。「いじめを見て見ぬ振りしてたやつもいじめたやつと同罪です」
「すまん」
 隆史が謝ると、三四郎は顔を離し、そして耳元で囁いた。
「まさか店でばったり会うとは思わんかったわ。あんたの顔見たとき、爆笑した」
 くすくすと笑い、息が耳にかかった。
「だろうな」
「新人研修で俺が担当するなんて、ウケるでしょ」
 三四郎は隆史の頬を両手で挟み、じっと見つめた。「あんた、耳舐められたら女みてえな声出してやんの」
 たしかに、あのとき再会したときの、バツの悪さ。
 そして、まずは実際に体験したほうがいい、と三四郎は隆史を寝かせ、施術を始めた。
 熱心に、しつこく、異様なくらいに情熱的に。
 そういうやりかたを学んだからだろうか。
 隆史のマッサージが力強いのは、三四郎のせいでもある。