主水は椅子に座り、だらしなくスマホをいじっていた。
 ノックの音がした。
「どーぞ」
 主水が言うと、ドアが開いた。まったく、いつまで待たせるんだ。田舎だからってなにからなにまでのんびりするのは大間違いだ。
 大西紗江の顔も覚えていない。この町で高校今日教師だった記憶はすっぱり忘れていた。なかなか熱い手紙を送ってきかた、でてやることにした。ついでに本屋を回って、サインを書いてアピールしてやろうと思っていた。
 だから嫌なんだ、この街は。
 男が入ってきた。悲壮な面持ちで、愛想も、遅れて申し訳ないという態度もなく突っ立っている。
「申し訳ないけど、コーヒーもらえますかね、おかわり」
 主水はからになっている紙コップを顎で示した。
 ろくなドリップではない。
 こういうところも減点だ。
「なにを検索されてるんですか」
 男が訊ねた。
 そんなことよりもさっさとコーヒーをもってこい、と思った。
 俺の覇気にでも気圧されているのか?
 まあいい顔をしておくことは悪いことではない。ちょっと文化人らしい威厳を見せつつ、有名人なのにこんなにフレンドリーなんですよ、とアピールしといてやるか。
「ネットって暇人のもんでしょ、暇人て怖いよお、暇なもんだからさ、あほなこと書くわけよ。『昨日テレビに出てたスピリチュアルハゲ野郎、マジできもすぎ』だってさ。そんなことポストしてるあいだにことわざの一つでも覚えろっての」
「いつも検索されてるんですか」
 男が訊ねた。
「テレビ出たりしてるからさ、いちおう気にはなるよね」
 こいつ、俺のことをわかっちゃいないのか? 近頃は若い奴はテレビを見ないらしい。やはりSNSでのアピールをもう少し強化しておかないといけないかもしれない。
 マーケティング的にも、中高年以上を相手にしていてもどん詰まりだ。若い奴をこましたほうが、長続きする。
 バズっておけば、それが肩書きになる。
 いま雇っているコンサルはいまいち使えない。
「人気者ですね」
 男が無感動に言った。
 おれのことをわかっているのか? やはりこいつ、ただのビビりか。
「別に自分から望んでこうなったわけではないけどね、いうなればあれだ、要請された、みたいな」
 主水はいつものように語った。
 この話をするとキャバクラで盛り上がる、鉄板のやつだ。
「要請」
「そ。君、このへんの人?」
「はい」
「なら知ってるよね、僕のあれ」
 主水が睨みをきかせた。
 最近テレビの人生相談で、締めのとき、きりりと顔を決めてから核心をつくことにしている。
 おっさんの読む週刊誌でも似顔絵が描かれていたので、そろそろ浸透しているはずである。
「あれって」
 男がすっとぼけた。
 なんだこいつ、わかっていないのか。
 まあいい。自分の知名度のほうが、自分の過去よりも上回っているのはいい傾向だ。
「海飛び込んでさ、生死の境さまよってたら、宇宙とつながっちゃったでしょ、僕。あのときさあ、お花畑みたいなとこになぜかいたんだよね。そんでさ、死んだばあちゃんの声とか聞こえてきちゃうの。主水〜、こっちへおいで〜とかって。でもさ、わかるじゃん、声の方向にいったら大霊界じゃねえかって、そんなんたまんねえよって。さっきまで死にたい死にたいいってダイブしたってのに、黄泉の国の手前にきたら今度は生きたい生きたいですよ。そんときにさ、誰か〜! 俺を助けてくれ〜〜! って叫んだら、きたんだよ」
 ペラペラ主水は語った。メディアでも講演でもいつもやっている鉄板ネタなので流暢である。もう口をあけたらすらすらと言えてしまう。
 みんないったいなんだなんだ、と前のめりになってくるやつ。
 ああ、人間てばかだ。
 よし、俺様が教えてやろう、といつもなら調子に乗りだすところだ。
「なにがですか」
「あれ、君僕の本読んでないの?」ぽかんとしつつ、気を取り直して主水は言った。神妙に、「神様だよ」と。
「神様……」
 男がおうむ返しをした。
「声っていうより頭のなかから響いてくる感じだったね。お前はいったいこの世でなにができるんだ? とか聞いてくるわけ、そいつ。だから、わたしはこの体験を生かし、現世に持ち帰って、世の中のわかっていないやつらにあなたの存在を伝えます! って叫んだんだな、そったらさ、わかった、とかなんとかいっちゃって、え、そんだけ? ていうかここからどうすりゃ現世に戻れるわけよ、とかなんとか思ってるうちに眠くなって……、あのさ、駅前の本屋に平積みになってるからさ、続きは買って読んでね。さっきむりやりサインしといたから。サインするとさ、返品できなくなるんだ。取次ってのはバカだよな、サインは汚れ扱いなんだってさ……」
 調子に乗って捲し立て、「ところで、コーヒーまだ」と言ったときだ。
 男は銃を構えていた。