隆史が店を辞めた。
就活をしっかりやりたい、というのが理由だったが、そんなの嘘だ。三四郎はわかっていた。
隆史はこの手のバイトのなかではまともなほうだ。仕事のクレームはあまりない。面倒な客にも適切に対応した。
汗っかきなところが魅力だった。全裸になってオイルマッサージをするのだが、集中していると、ぽたぽたと汗をたらす。それがエロい、なんて客からの感想にもあった。
それは確かに、と三四郎は思う。
三四郎ははじめにマッサージの手解きをしたとき、念入りに仕込んだ。最初に実際こういうふうにするんだと寝かせたときも、力強く、自分自身の欲望をぶつけるように、した。
ずっと隆史のことが気になっていた。
高校のときに稔たちに受けたひどいいじめ。一緒につるんでいたのに、隆史は加担しなかった。止めることもなかったが。
蹴られているとき、ふと遠くにいる隆史を見たとき、激しく欲情した。自分の一部分が固くなっているのを隠すようにして、稔の攻撃を受けた。爆発してしまったときだってあった。
あの快感は、これまでの快感のなかで、一番だった。
あの目。
なにを見ているのかわからなかった。
自分のことを見ているのに、見ていない。
あいつが一番冷酷なのではないか、と思った。
自分の存在を、みんなが見て見ぬふりをしていたが、それはきちんと「見えている」からだった。隆史は、違った。
見えていないのだ。
存在を否定されたのではなく、存在に気づかれもしないのだ。
その、見えていない目に見られると、自分がすっと軽くなったような気がした。自分が求めていた「無」になれた気がした。死ななくても、自分はもう大丈夫だ、と思った。自分はおかしいのかもしれない。
自分が持っている能力や、カルマみたいなものよりもずっとおぞましい欲望を、自分は抱えている。
「どうすんの」
三四郎が言った。
「べつに、そろそろ将来のことを考えようと思ってさ。アラレさんももうなにもしてこなくなったし」
と隆史は言った。
将来。
三四郎は十代のときを思う。
無限に可能性があり、その広さに戸惑って、支離滅裂だった感情。
二十歳を過ぎて、少しづつ、その可能性の扉に鍵がかかっていくのを感じる。
自分はどこへ向かい、どこへ行くのか?
ときどきそんなことも考えたりする。
三四郎は高校を卒業して、逃げるように東京へやってきた。そして、自分の性的感心の赴く場所へと入っていった。
そこにくる客の思念は悪くなかった。複雑ではない。ただ性欲のみ。店にくるやつの心境なんてそんなものだ。
学校で、教室に何十人も押し込まれてすごすときよりも、ましだ。それに、その思念が三四郎を誘発していく。
一日に何人客をとっても、とくに疲れもしなかった。
ただエネルギーだけがあった。
ふらふらと隆史がやってきて、自分のアパートに戻ることができない事態になり、自分の部屋で暮らした。
それが三四郎にとって、もっとも人生のなかで素晴らしい日々だった。
隆史は高校で三四郎がどんな目に遭ってきたかを知っていたが、とくに気にもしなかったし、三四郎もまた、口を悪くしながらも、隆史を気遣っていた。
朝、といっても昼過ぎだが、目覚めて、まだ寝ている隆史を見ると、なんともいえない幸福な気分が漂う。
男二人の、散らかった部屋だというのに、そこがまるで天国のように思えたのだ。そこには二人しかいなかったし、無駄なものはなにもなかった。
洗っていないシーツや、に義散らかされた衣服、、急拵えで百円ショップで買った小物すら、美しいと思った。
洗面台に立ち、歯ブラシが二つコップに入っているだけで心が満たされた。
これはどういうことだろうか?
あの無関心さに興奮しながら、なのに自分の存在が許されていると感じた延長線上に、この生活はあった。
つまり、あのときの欲望が、隆史に自分の存在を認められたことで変容した。
このまま永久にこの生活が続けばいい。
隆史が誰かの汚い背中をマッサージして仰向けにしたところでなにをしていたとしても、そこに嫉妬はなかった。
隆史を理解したからだった。
むしろ、ときどきイタズラをするように、隆史の布団に潜りこみ、抱きしめたり、嫌がられながらもあちこちを触ったりしていることのほうが、客のあんなことよりもいやらしく、価値があった。
就活をしっかりやりたい、というのが理由だったが、そんなの嘘だ。三四郎はわかっていた。
隆史はこの手のバイトのなかではまともなほうだ。仕事のクレームはあまりない。面倒な客にも適切に対応した。
汗っかきなところが魅力だった。全裸になってオイルマッサージをするのだが、集中していると、ぽたぽたと汗をたらす。それがエロい、なんて客からの感想にもあった。
それは確かに、と三四郎は思う。
三四郎ははじめにマッサージの手解きをしたとき、念入りに仕込んだ。最初に実際こういうふうにするんだと寝かせたときも、力強く、自分自身の欲望をぶつけるように、した。
ずっと隆史のことが気になっていた。
高校のときに稔たちに受けたひどいいじめ。一緒につるんでいたのに、隆史は加担しなかった。止めることもなかったが。
蹴られているとき、ふと遠くにいる隆史を見たとき、激しく欲情した。自分の一部分が固くなっているのを隠すようにして、稔の攻撃を受けた。爆発してしまったときだってあった。
あの快感は、これまでの快感のなかで、一番だった。
あの目。
なにを見ているのかわからなかった。
自分のことを見ているのに、見ていない。
あいつが一番冷酷なのではないか、と思った。
自分の存在を、みんなが見て見ぬふりをしていたが、それはきちんと「見えている」からだった。隆史は、違った。
見えていないのだ。
存在を否定されたのではなく、存在に気づかれもしないのだ。
その、見えていない目に見られると、自分がすっと軽くなったような気がした。自分が求めていた「無」になれた気がした。死ななくても、自分はもう大丈夫だ、と思った。自分はおかしいのかもしれない。
自分が持っている能力や、カルマみたいなものよりもずっとおぞましい欲望を、自分は抱えている。
「どうすんの」
三四郎が言った。
「べつに、そろそろ将来のことを考えようと思ってさ。アラレさんももうなにもしてこなくなったし」
と隆史は言った。
将来。
三四郎は十代のときを思う。
無限に可能性があり、その広さに戸惑って、支離滅裂だった感情。
二十歳を過ぎて、少しづつ、その可能性の扉に鍵がかかっていくのを感じる。
自分はどこへ向かい、どこへ行くのか?
ときどきそんなことも考えたりする。
三四郎は高校を卒業して、逃げるように東京へやってきた。そして、自分の性的感心の赴く場所へと入っていった。
そこにくる客の思念は悪くなかった。複雑ではない。ただ性欲のみ。店にくるやつの心境なんてそんなものだ。
学校で、教室に何十人も押し込まれてすごすときよりも、ましだ。それに、その思念が三四郎を誘発していく。
一日に何人客をとっても、とくに疲れもしなかった。
ただエネルギーだけがあった。
ふらふらと隆史がやってきて、自分のアパートに戻ることができない事態になり、自分の部屋で暮らした。
それが三四郎にとって、もっとも人生のなかで素晴らしい日々だった。
隆史は高校で三四郎がどんな目に遭ってきたかを知っていたが、とくに気にもしなかったし、三四郎もまた、口を悪くしながらも、隆史を気遣っていた。
朝、といっても昼過ぎだが、目覚めて、まだ寝ている隆史を見ると、なんともいえない幸福な気分が漂う。
男二人の、散らかった部屋だというのに、そこがまるで天国のように思えたのだ。そこには二人しかいなかったし、無駄なものはなにもなかった。
洗っていないシーツや、に義散らかされた衣服、、急拵えで百円ショップで買った小物すら、美しいと思った。
洗面台に立ち、歯ブラシが二つコップに入っているだけで心が満たされた。
これはどういうことだろうか?
あの無関心さに興奮しながら、なのに自分の存在が許されていると感じた延長線上に、この生活はあった。
つまり、あのときの欲望が、隆史に自分の存在を認められたことで変容した。
このまま永久にこの生活が続けばいい。
隆史が誰かの汚い背中をマッサージして仰向けにしたところでなにをしていたとしても、そこに嫉妬はなかった。
隆史を理解したからだった。
むしろ、ときどきイタズラをするように、隆史の布団に潜りこみ、抱きしめたり、嫌がられながらもあちこちを触ったりしていることのほうが、客のあんなことよりもいやらしく、価値があった。