「女バレの部活かよ」
 稔が言った。
 部屋の空気が重かった。
「あの子、これからデートだから気合い入ってんの」
 かなみがドアを見たまま言った。
「年が二十離れたおっさんと絶賛不倫中」
 稔が人のプライベートを言い、かなみが睨んだ。
 愛子の不倫問題に、かなみは心痛めていた。
 そんなことやめろといくら言っても、愛子はへらへらとかわした。愛子みたいなタイプは年上のひとがいいかもね、と昔から言っていたけれど、こうなってなんてほしくはなかった。相手には妻も子供もいる。
 愛子は一度決めたら自分から止まることができない。これから大変なことになるのではないか、と思うと辛かった。
 しかし。
 人が決めたことを止めることなんてできるのだろうか。
 愛子のことはみんなにダダ漏れだった。
 たとえば、美保だったら愛子にどう言うだろうか。仕方がないね、と困った顔をしそうだった。そして、気づいた。
 美保は、人を尊重するのでなく、人のことなんて、どうでもよかったのではないか?
「夢があるわね……」
 アラレがぽつりと言った。
「ないでしょ」
 かなみは腹が立ち、怒鳴ってしまいそうだったけれど、抑えた。
 ドアが開いた。一瞬愛子が戻ってきたのではないか、と思ったが、入ってきたのは昭二だった。
「ここか?」
 昭二は部屋を見回した。両手にコンビニ袋をさげている。ぱんぱんに膨らんでいて、中身は多分賞味期限切れの弁当だ。
「なにしにきたのよ」
 お前がきたら台無しだろう、とかなみは思った。
「愛子が廃棄の弁当持ってこいっていうから」
 昭二は不思議そうに、面々を眺めた。
「出て行ったよ」
 かなみが言った。
 愛子のやつ、いくらみんなが集まるからって、廃棄の弁当配達させんなよ。
 新郎だぞ、いちおう。
「さっき会った。からあげ弁当ふたつ奪っていった」
「ふたつ……」
「おっさんに高いもん食わせてもらえばいいものを」
 稔がそっぽを向いて言った。
「なにやってんの? ヨガ?」
 昭二が訊ねた。
「お前明日結婚式なのに働いてんのかよ」
 稔がごまかすように言った。さすがに、「お前の結婚式の余興の練習してんだぞ」とは言わなかった。
「最近バイトが一人辞めたからさあ、お義姉さんがた、どうも」
 清子たちを見つけ、恐縮して言った。
「ご苦労さま」
 清子が妹の婿を労い、
「どうも……」
 弥生はちょっと恥ずかしそうに俯いた。
「え、なにこれ、ほんとにヨガ?」
「ヨガやってるって一言もいってないが」
 稔が言った。
「昭二さん、明日は、どうぞよろしくお願いします」
 弥生が真剣な顔で言った。まるで自分が結婚するみたいだ。なんなら「お世話になりました」と両親に挨拶する花嫁だ。
「ふつつかでめんどくさい妹ですが……」
 清子も続けて言った。
「お義姉さん、そんな……こちらこそ、いきなりで、すみません」
 昭二が頭をかいた。
「紗江が、あなたと付き合ってるって、まったく知らなくって、それにいきなり結婚するっていうし、なんだか慌ただしくて……、式場みつかったのはいいけど大安じゃないし、なんだか、もう……」
 弥生は言った。大安じゃなかったのが気がかりだったらしい。自分の式は絶対に大安吉日にするのだろう。予定はないが。
「お姉さん?」
 かなみが怪訝な顔をしているのを見て、
「自分の結婚の理想と妹の結婚を混同させてるの、大目に見てやって」
 清子が小声で言った。
「付き合いたいっていったのは、つい最近で、すみません」
 昭二が言った。
「ソバないの?」
 昭二の持ってきた袋を漁りながら稔が言った。誰も返事はしなかった。
「絶対に、大事にしますから。レジとかもう立たせたりしませんから」
 昭二が言った。
「もうガンガン立たせてください。紗江は明日から大西の娘じゃなくて、荒川さんの家に嫁ぐんですから」
「なんならもうレンジでチンしてください、チキンみたいに揚げてやってください」
「え、ちょっと姉さんたち」
 清子たちの言動に驚いて、かなみが止めようとすると、
「いいのよ、吐き出させてあげなさい」
 アラレが言った。謎にわかっている、と頷く。
「明日はひさしぶりに隆史も帰ってくるしねえ」
 清子が不意に言った。
 一瞬アラレが緊張した。
「もうそこのわだかまりはないわよね」
 アラレの態度に気づいて、清子が言った。
「ええ、もちろんです」
 アラレが下を向いていった。
 かなみはないが怒っているのかさっぱりわからなかった。結局この関係性、なんなんだ。
「ありがとうございます」
 昭二が礼をすると、
「そば、ねんのかよ」
 稔が癇癪を起こした。
「やめな」
 かなみが言ったときだ。稔がかなみの顔を見ずに、
「おい、イオンいくか」
 と言った。
 まるで一大決心をしているみたいだった。恥ずかしがっている。
「は?」 
「映画でもいくか、イオンまで」
「……別にいいけど」
「マーベル、なんかやってるかな」
「うん……いいよ」
「予約するわ」
 稔がスマホをいじりながら、部屋から出ていった。
「ひゅーひゅー」
 そのやりとりを見て、アラレが言った。
「別に、映画ですから」
 からかわれていると思って、かなみは顔を背けた。
「いいですね、なんか、少女漫画みたい」
 アラレが言うと、
「ね……」
 弥生が頷いた。
「わたしも男の子と映画みたいわあ」
 と清子が素直に言うと、
「やめてくださいよ」
 とかなみが慌てて言った。
「かなみちゃん、映画観て、さっさと帰るのだけはなしな。それ、稔のトラウマだから」
 昭二が言った。二人がうまくいけば良い、と思った。お似合いなのに、こいつらまったく自分からは行動しない。
 どっちかが起こさなくては、なにも始まらなかっただろう。稔はそういうところ、難しいタイプだから、無理かもしれない、と思っていたのに、やったな、と思った。
 自分が意を決して、森村を失い、高校卒業後に暗い面持ちでコンビニでアルバイトする紗江を口説いたみたいに、きっかけさえあれば、物事は進むのだ。
 なにもかも、良い方に。
 昭二は家業を継ぎたくもなかった。けれど、一番好きな、ずっと大事にしたい人と一緒にじゃることができた。
 もしかして、自分の行動が、稔たちのきっかけになってくれたのではないか? そんなの自分を高く見積りすぎか。何はともあれ、嬉しい。
「……帰り、鳥貴族くらい付き合ってあげるわよ」
 かなみが言った。
「明日、遅刻しないでよ。リハーサルもあるんだからね」
 弥生が言った。練習不足なのが気になるらしい。自分の結婚式だったら絶対に完璧にやらすに違いない。
「わかってます」
 といったときのかなみが、とてもかわいいな、とその場にいたみんなが思った。