「軟弱者め」
 アラレが言った。
「はあ?」
 稔がドアの前で立ち止まり、振り返った。完全にキレてる。
「あなた、友達の門出を祝いたくないんですか」
「祝ってるよ、あんたに関係なく」
 稔が吐き捨てた。
「それ、見える形にしないとなんの意味もないです」
 アラレは言った。引くつもりはないらしい。
 にしてもなんでこいつはこんなに偉そうなのか。
「祝儀はずめばいいんだろ」
「結婚て、新たな次元に突入するんですよ。不安だらけで、全部が未知のゾーン。そんなとき、友達が心から祝福してあげないでどうすんのよ」
 なんだか妙に実感がこもっていて、稔は黙った。
「結婚するって、どんな感じなんですか」
 はいはーい、よ愛子が手を挙げた。
「したことないから知らないですけど」
 アラレが急に弱々しくなった。
「ないんだ……」
「わたしが結婚式でしてもらいたかったことを紗江にしてやりたかったんだけど、なんでだろう、ものすごく胸がモヤモヤして、それでいて、たまにぎゅっと痛みが起きたりして、嬉しいのに、なんでなのかしらねえ……」
 弥生はもしや、この諍いを止めたかったのだろうか。しかし、これではただの結婚したい女性の胸の内の吐露なんだけであった。
「……なんとなく理由わかりますけど、それ言葉にしたら地雷踏みそうだからやめときます」
 かなみがいちおう嗜めた。
「ごめんなさいね、気を使ってもらって」
 清子が手を合わせた。
「そんな気持ちもすべて飲み込んで、このショーに全力を捧げるのよ!」
 アラレが言った。
「そうね、そうよね……」
 なにもかもがでたらめだったが、もうこうなったらやり切るしかないのかも。この狂った世界から抜け出すために。ただ、言わずにはおれない。
「ここには正気な人間、あたししかいないの?」
「お前も正気じゃねえだろ」
 稔が言った。
「……なによ」
 かなみが口をとがらせると、
「こんなことやってる暇あったら自分の相手探せよ」
 稔が勝ち誇ったように言った。
「おまいう」
 なんだこいつ。お前なんか、女に見向きもされないくせに。悪いけどわたしのほうがまだましだ。
「祝儀ばっか出して、回収する予定ねえんだろ」
 稔が追い討ちをかけてきた。
「もう一回いうわ。おまいう」
 二人は睨み合った。
 さっきまでの出来事はすっかり傍に置かれ、周囲の人々が、まあまあ、と止めようとする始末だった。
「だいたいお前はおかしいんだよ」
「なにがよ」
「普通こんなことに乗っかるか?」
「べつに乗っかってないわよ、こんなくだんないこと」
「だったらさっさとやめろよ」
「だって、みんながおかしいんだから、正さなくちゃ」
「それお前の役目じゃねえし」
「はあ? だったらあんたはなんなんだよ」
「ないがだよ」
「あんたなんて、なんもしないじゃにあ。ただぼーっと人のこと馬鹿にして。そんなんだからなんにも始まらないし、なんにもできないよ」
「おい、なに言ってる」
「あんた高校卒業してふらふらしてさあ。なりたいものもないし、やりたいことだってないんでしょ。ただ彼女が欲しいだけ。そんなやつにできるかよ。好きになってくれる女がいるわけねえだろ。そろそろ気づけよ、お前に魅力がないってことを」
「てめえ、ざけんなよ」
「ふざけてねえし。おおマジだわ。あんたみたいなやつ、見ていてムカムカしてくる」
「だったら見るんじゃねえよ」
「そんならそばにこないで」
「べつにきたかねえよ」
 そのやりとりにあたふたする一同のなかで、愛子だけは冷静だった。愛子は自分が熱中しているときはなにも見えなかったが、人が熱くなっていると急に冷めてくる。
「かなみちゃんと稔はさあ、そういう甘酸っぱいやりとり? 一生やってたいのかもしんないけどさ、もういい加減にしたほうがいいよ」
「愛子?」
 かなみが振り向いた。
「中坊とか高校とかだったらしょうがないけど、成人してまでやってるとキモいっていうか、怖い? もううちら少年サンデーじゃないよ、すぐ『黄昏流星群』の段階になっちゃうよ」
 愛子は言った。かなみは『黄昏流星群』がなんなのかわからなかったが、年寄り向け、ということだけはなんとなくわかった。
「若さなにひとつないだろ、それ」
 稔もまた冷静になったらしい。
「のままいったらそうなっちゃうから、さっさと付き合っちゃいなよ」
 愛子の言葉に、部屋全体が一瞬静まった。そして
「なんでこんな馬鹿と!」
「なんでこんな女と!」
 かなみと稔が同時に顔を真っ赤にして怒鳴った。
「息がぴったり」
 遠くで清子が感心した。
「わたしたち、気付くべきなんだよ。自分が漫画とかドラマの主人公みたいにはなれないってこと。器がさ、小さいってこと」
 愛子が大真面目に言った。
 そうだ、わたしたちは、そういう主人公にはなれない。
 もちろん自分は自分でしかなく、自分は見ている世界の主人公だ。だが、きらきらしてるとは限らない。いろんな主人公がいる。弱かったり、性格が悪かったり。誰かにとって脇役だったとしても、卑下する必要なんてない。そもそも誰もがヒーローヒロインではない。だからといって、諦めてもいけない。小さくても、たいしたことなくても、美しくなくても、自分が主人公なのだ。
 愛子がここしばらく考えていたことだった。
「愛子」
 かなみは愛子の顔を覗き込んだ。
「わたしこれからデートなんで」
 愛子は急に元気よく宣言した。そしてアラレに、「本番は自分を滅して挑みますんで、よろしくお願いします!」と言った。
「がんばりましょう、あなたならできるわ」
 アラレはよくわかっちゃいなかったが、指導者らしく振る舞い、愛子の肩を叩いた。
「ありやとやすっ!」
 元気よく愛子が去っていった。