カラオケボックスの外の隅に、ひっそりとスタンド型の灰皿があった。雨の中、大西隆史は吸い終わり、タバコを灰皿に押しこんだ。
 多分部屋ではまだ、栗林稔によるミスターチルドレンの最中だろう。隆史が席を外したときも、まだ四局予約があった。いまごろは『トゥモローネヴァーノウズ』だろうか。
 なんとなく、部屋に戻る気も起きずにポケットの中にあったアイフォンをだし、インスタグラムをひらいた。
 おすすめに、海外ではしゃぐ男女の動画が流れる。
 いったいなんでこんなのが出てくるのか。
 多分、最近このアカウントを見てしまったのだろう。なんで見てしまったんだろうか。バックすると禿頭の男がにんまりと笑いながら「次元上昇をあきらめないで!」と叫び、慌てて消した。気色悪いったらない。
 カラオケボックスから、人が出てきた。
「なに悠長にたそがれてんの」
 坂本愛子だった。セットされた髪と、だるいスウェットの上下にかなりの違和感があった。
「てねえし」
 隆史は急に、全身が冷えている、と感じた。
「昔っから変わってないよねえ。かまってくれーって感じ全身に漲らせて」
「つかなんだよ、気になってたけど、お前ら振袖着てないんだよ。なに速攻脱いでんだよ」
 数時間前まで、彼らは成人式に出席していた。女の子たちはぎらぎらとした振袖を着込み、やたらと写真や動画を撮っていた。かなりの気合いの入りようだった。
 大学の入学式のためにこしらえたスーツで隆史は参加した。
「この雨で振袖なんぞずっと、着ていられないでしょ……なに様だよ。ひさしぶりにみんなと会えたんだし、遊びに行きたかったな……」
 どうやら振袖のまま、どこかに遊びに繰り出すつもりだったが、雨でレンタルした振袖を濡らすわけにもいかなかったらしい。女の子たちは式を終え、一通りの撮影会を終えると普段着になって戻ってきた。
「カラオケしてんじゃん」
「稔ばっか歌ってんだもん」
 たしかに。稔は昔から変わっていない。勝手なやつだ。
「遊びったってこのあたりじゃイオンしかいくとこねえだろ」
 つまんない場所だ。住んでいる時からつまらないと思っていたけれど、進学を機に東京で一人暮らしを始め、ひさしぶりに帰ってみると、地元のしょうもなさに、懐かしさよりもうんざりした気持ちが勝った。
 ここにずっといたら気が滅入る、と思っていた。
 今も変わらない。
 姉たちがやたらと地元に対して愛着を持っているのにくらべ、自分はなんと薄情者なのだろう。
「あんたイオンなめないでよ。映画館もユニクロもプリクラだってあんだよ、イオン」
 愛子が言った。なにも自慢にならない。
「プリクラて、いつの時代の住人だよ」
 隆史は笑った。むしろまだあんのかよ、と驚いた。近頃まったく見かけない。
「プリクラバカにするわイオンなめてるわ、じゃ聞くけどさ、あんたはプリクラ以上の人間なのか? って話」
 愛子は高校の頃から変わらず、むちゃくちゃなことを言ってくる。懐かしい。そんなふうに感じたとき、愛子の横にいた、彼女のことを思い出した。
 彼女はいつだって、愛子やかなみのしょうもない話をにこにこと聞いていた。
 いったいなにを思ってたのだろう?
 胸が痛んだ。
「は?」
 そのひきつりを隠すみたいに、隆史は聞き返した。
「プリクラよりも人を楽しませたことあんのか、って話よ。イオングループ超えた存在かってことよ」
 ほんとうに、このノリ、まったく変わっていない。
「お前ほんとあほだな、こいつあほだ」
 その場には隆史と愛子しかいないというのに、まrつで言いふらすようにあたりを見回しながら、隆史は言った。
「あほで結構。わたしは楽しませてくれる人やものが好きなの」
 愛子は膨れた。そして、
「一本ちょうだい」
 と言った。
「タバコ吸うようになったのか」
「まあね、解禁解禁」
 愛子は手をひらひらさせて催促した。
 火をつけ、うまそうに一服する愛子の姿を横目に、こいつ絶対に、前から吸ってたな、と隆史は思った。
 そのとき、自動ドアが開き、高島かなみが出てきた。
「わたしだけにしないでよ、栗林のショー」
 隆史たちを見つけるなり、かなみはいい、「ちょっと愛子! 臭くなるからやめな」
 と愛子を睨んだ。
「ごめんごめん。トイレ?」
 愛子は話を逸らしたが、かなみは愛子の持っていたタバコをひったくり、灰皿に捨てた。
「そうだよー」と言うとかなみは愛子に抱きつき、「なにこそこそ話してんのよ」と隆史を伺った。
「違うって、大西がなんか構って欲しそうだったから」
 愛子が、好きなのはお前だけだぜ〜、と言わんばかりにかなみをぎゅっと抱きしめる。こいつらはなんだかやたらと密着する。昔からだ。
「ねえから」
 隆史は言った。
「大西はな、ほんとそういうとこあっからなー」
 かなみは愛子に言い、
「だしょ?」
 と愛子が頷いた。
「せっかくみんな集まったんだから、すがすがしい顔しな」
 隆史がちょっと、と言って出ていってしまったのを、この二人は気にしているのだ、と隆史は気づいた。
 かといっていかにも心配しているという態度を取らないところは、とてもいい、と思う。やたらと心配されても、居心地が悪い。もしなにか手を差し伸べてきたら、払いのけてしまうだろう。
「生まれつきだよ」
 隆史は舌を出した。
「美保はもういないんだから」
 かなみがぽつりと言った。
 間ができた。
 愛子がかなみ胸に顔を埋める。
 そうか、自分だけではないのだ、と隆史はわかった。
 みんなはしゃいでいるけれど、一人のことを考えている。なぜいないのか、納得ができないのだ。
「あ、これわたし空気読めないあれ?」
 かなみが急に周囲を気にして言った。
「……」
 愛子は困った顔をするだけだった。
「それとこれとは関係ないから」
 隆史は言った。
「ごめん」
 かなみが言うと、
「トイレいこ」
 と愛子が手を引っ張り、店に入っていった。
 愛子とかなみが去っていくのを見て、
「吉村美保」
 と隆史がつぶやいたときだった。その名前をひさしぶりに口にすると、唇が軽く痺れた。