「でも、たしかにあいつのいうとおりにしたらキャバクラでもてたんだよなあ」
 昭二がこの空気を変えるように、おどけて言った。
「まさか本買ったの?」
 逆効果だったらしい。
「キンドルで……安くなってたから」
 昭二が白状すると女性陣が冷たい視線を送った。
「やめてくれ! 凍る!」
 昭二がなんとかしてかえようとしても、逆効果だった。
 主水は現在、スピリチュアルアーティストだかなんとか、ごたいそうな肩書を掲げていた。
「ベストセラー作家だもんね……。あのときは主水が美保をそそのかしたってことになってたけど、いまじゃ持ちネタに昇華なってるし」
 主水と美保の自殺騒ぎは、主水自身が自分の書籍で語り、そしてテレビではお約束のように語っていた。
 教師と生徒の禁断の愛、そして愛の行き着く先としての心中。
 しかし主水だけ生き残り、そのとき、主水は死後の世界を見て、そして大いなる力を手に入れた、という。
 全く信じられないが、それを鵜呑みにする者たちによって、教祖のように崇められていた。
「美保、どう思ってるんだろな……。死んだら、もうそんなこと考えないのかな」
 愛子が言った。
「わたし、主水の授業まったく覚えてないんだけど」
 かなみが切り出したとき、
「顔に見とれてたんですか、モンドガールズのかなみちゃん」
 と稔が嫌味たらしく言った。かなみは無視した。
「一つだけ覚えてることがある」
 いつだったろうか、主水はこんなことを話した。
「みんな、死ぬことが怖いだろう。死んだらどうなるのか、君らは知らないかもしれないけど丹波哲郎っていうのがいてね、僕は小さいころ『大霊界』って映画を観たんだよ。地獄の場面がほんとうに……怖かった。でも思ったんだよ。待てよ。いまのこの世だって、戦争は起こっている。諍い、ねたみ、嫉妬、ネガティブなものに溢れている。この教室にだって、ないと思っているけれど、気づかないうちにいじめが起こっているかもしれない。もしかして、今いるこここそが、実は死後の世界なんじゃないだろうか? そして僕たちは、死んだ瞬間に、次の場所に、ほんとうの天国、ほんとうの地獄、ほんとうの現実を生きることになるんじゃないだろうか?」
 そのとき、稔があくびをしながら言ったことも覚えている。
「頭いかれてんじゃねえの」
「たしかにそうかもしれないね。ただ、僕はこの世というものが、どうしても納得いかないんだ」
「あのう、天国と地獄って分かれてるものなんじゃないんですか? ここが死後の世界だっていうことは、じゃあここ天国ですか? 地獄ですか?」
 そのとき質問したのはたしか愛子だった。
「きっと一人一人違うんだよ。僕がみている世界と、君がみている世界は同じじゃないだろう? つまり、それぞれが天国だったり地獄だったりを経験している。それはもう、その人の考え方次第で、地獄が天国になることだってなりえるんじゃなかろうか」
 その返答に愛子は納得せず、はあ、と生返事をした。
 そして、チャイムが鳴った。
「授業と関係ないことをしゃべってしまったね、今日はここまで」
 学級委員だった美保が、起立、礼、と言った。
「わたしたちが生きている世界は、実は死後の世界」
 かなみがつぶやいた。
 どこかもやもやする。
「でもさー、死んだら年取らないでしょ、美保みたく」
 愛子が言った。
「うーん、年をとるっていうのは……タイムリミット?」
 かなみが言った。
「何いってんだお前」
 稔が目を細めた。
「いつまで死後の世界にいるかは人それぞれ違う? とか。よくわかんないや」
「あいつの話真に受けて、変なこというなよ」
 昭二が変な顔をした。かなみがなにを思い、なにを言っているのかわからないのだ。
「うさんくさいセミナーやってるもんねえ」
 愛子がスマホを操作した。
「セミナー?」
 稔が言った。
「モンドセレクション講演会『死んだらほんとうのリアルが待っていた』」だって。会費五万円だって」
 スマホのテーブルの中心に置き、画面をみんなが覗き込む。
「ぼったくってんな……」
 昭二は呆れ、
「五万あるならなにができるよ。なんなら俺、一ヶ月は生きていけるわ。富裕層ってガチでいんのな。あれか、上流国民か」
 稔が不愉快丸出しで言った。
 金持ちでなくとも、信じる人間は払ってしまうのだろうな、とかなみは思った。自分をすくってくれる人を誰だって探している。
 主水が生きるヒントを与えてくれるなんて思えないが。
 果たして自分は、主水に金を払う人々と違うのだろうか?
 お気に入りのアーティストのライブに行くこと。
 好みのイケメン俳優の出演作やインタビューをチェックすること。
 大好きな菓子を内緒で腹一杯食べること。
 そんな生きる楽しみをむさぼる自分は、なにかの空白を埋めようとしているのではないか?
主水を求めている人々もまた、そのぽっかり空いた空白をどうにかして満たそうともがいているのではないか。
 金を貢ぐ、かけることが悪いことではない。
 しかし、金を貢がせようと、貢ぐ相手が狙っているとしたら?
 いや、誰だって、誰かの金や時間を奪って、あるいは交換して生きている。
 主水の五万円の、どうせぼんやりとした、つまらんトークは、ある人たちにとって、必要なものなのだ。
 SNSのフォロワー数の多い人間は権力を持っている。だから人は増やしたい。
 力のある者に、群がる愚かしさを、否定できない。
 自分もまた、そうだから。
「わたし、美保の顔、思い出せないんだよ。写真とか、薄くなったプリクラみて、ああ、美保はこんな顔だった、って。でも頭の中でだと美保、思い出せないの。美保って、どんな顔してたのか」
 かなみは言った。
 みんな、美保のことを思い浮かべたけれど、頭の中の美保はもやがかっていて、ぼんやりしている。
 それはほんとうに美保なんだろうか。
 みんなが思っている美保は、たった一人なんだろうか。