全員、覚えていた。
「前回の抜き打ちテストの結果をする。モンドセレクション金賞は……時任三四郎、九十五点」
 と発表があったとき、教室中がどよめいた。
 三四郎が立ち上がるり、一同は呆然として見守っていた。美保は動揺していて、肩を軽く振るわせていた。
 こんなことが起こるのか?
 時任三四郎はクラスにまったく馴染んでいなかった。いつも一人物思いに耽っているし、人と会話しようとしない。なんなら構ってくれるな、といったオーラを放っていた。
 勉強だってたいしてしていない、成績も追試を受けるギリギリのところだったし、運動だって率先してしようとしない。
 ただ、姿かたちはとてもよかった。クラス外の生徒たちは、時任をなんとなく気になっていたりもしたけれど、「人のことをばかにしているやつ」というクラスのみんなの一致した意見は、外部にも伝わり、一種異彩を放っていたといってもよかった。
「圏外から一気に一位、これはどういうことだ」
 試験用紙を返し、主水が訊ねると、
「別に……。ただ、こんなしょうもないことで争ってるのってくだんないなって思ってたけど、たまには鼻をあかしてやりたくなったんで」
 と三四郎はしずかに、そしてきっぱりと言った。
 クラスメート全員が、その発言に腹を立て、あちことから舌打ちやため息が聞こえてきた。
「誰の鼻をあかしたかったんだ」
「……僕以外のやつら全員」
 三四郎はさっさと自分の席に戻った。ひやかしたり、賞賛する者は誰一人いなかった。
 そのことを思い出し、飲み屋の席にいた男たちははらわた煮えくり帰ったようだ。何年も前の話だというのに、怒りや嫌悪はすぐに脳内で再現され、そしていまなお燻り続けている。
「なんだよあいつ」
 昭二が言った。
「まじでむかついた」
 稔はついさっき怒ったことのように憤っていた。
「あんなのほっておけばいいじゃん」
 かなみは言葉こそ嗜めていたが、二人に同意しているようで、冷徹な表情を浮かべていた。
「そうだよ、そもそも時任なんて空気みたいなもんだったんだから、風がちょっと吹いた程度のもんだよ」
 愛子が言った。
「それにあのときだけでそれ以降一度もモンドセレクションには入らなかったじゃん」
 かなみは言った。なんとしても三四郎を貶めてやりたかった。
 なぜだろう。なんかむかつく。それだけだった。しかし、そのぼんやりとした嫌悪は、長く続く。
「カンニングしたんじゃねえの」
 昭二が言った。
「いまさらもういいでしょ……」
 もうその話題はやめよう、とかなみは首を振った。
 ほんとうにあいつは嫌なやつだった。
 男たちは、その態度の悪さに反射的に嫌悪を覚えたが、女たちは違っていた。言うなれば、はじめは気になる存在だったのだ。
 ほかの男子たちと違う匂いがあった。そして、そういう雰囲気は、幼い少女からすれば魅力的なものだ。
 自分だけがわかっている、そんな感覚を抱かせた。
 しかし、それはただの妄想だった。あいつは嫌なやつだ。なぜなら「わたしの好意をよせつけなかったからだ」、と。そんなことはままある。身勝手な好意ほど厄介なものはない。
 自分が受けたら迷惑だ。
 だが、あいつは違った。なんだか、女というものすべてを憎んでいるように思えた。あるいは、女という存在を、まったく認識していない。人間として思っていない、そんなふうに感じる断絶があった。
 人間にとって、なかったこと扱いされるほどの屈辱などあるのだろうか?
「思い出した。あれから少しして、美保と主水が崖から海に飛び降りたんだよ」
 愛子は言った。
 もうその話題を止める者はいなかった。
「美保だけが死んで、主水は生き残った」
 稔が続けた。
「そんでいまは……」
 愛子は口篭った。正直、わたしたちは、心底くだらない、歪な未来を生きている。
 主水のことを嫌いではないが、よくよく考えれば、いま、あの頃よりはちょっとましなくらいに物事を考えるようになってみると、わかる。
「愛っていうのは、エネルギーなんですよね。実は愛を求めてもエネルギーっていうのは満たされないんですよ。与えることで、自身にチャージされていくものなんです」
 主水はつい最近も、テレビで意気揚々と話していた。髪の毛をすべて剃り、いやらしい生臭坊主のようになっている。
「なんでだか作家になってワイドショーで偉そうにコメンテーターしてるからな」
 稔が言った。
「さすがにひいたけどね……」
 かなみが頷いた。