「愛子」
かなみが言った。みんな、急にしん、となった。店内のざわめきが一層大きくなった。
「わたしたち、絶対にその話しないじゃん。でもなんか、もうあれからずいぶんたったんだよ。それに、この日に同級生集まるって、なんか」
愛子は急に嗚咽しそうになった。
言ってしまったらもう遅い。
なかったことになんて、やはりできない。
「そうだね」
かなみは愛子の背中をさすった。
誰もが、いなくなってしまった同級生のことを思い出していた。
それぞれが、それぞれのふとしたことを。
あの笑い顔。
あの困った顔。
あの元気な姿。
あのなにも問題なんてないと全身で表現してた佇まいを。
「美保、ずっと十七歳なんだよ。もう年取らないの。わたしたちばっかおばさんになっちゃうの」
愛子が言った。
そして、美保のことを思うたびにでてくる、あいつのことを思い出していた。
「モンドのやつ……テレビに出てたな」
稔が言った。
「あいつまじでいかれてるよ」
昭二が続けた。
いや、あいつを許容する世界がいかれているのかもしれない。
自分たちは、まともでない世界で、生きている。
「わたしは……、モンドのこと嫌いじゃないよ」
かなみが言った。
「なんでか人気あったけど、いけすかなかったわ」
稔が首を回した。自分が劣等生だからだろうか、教師という存在がすべて気に入らない。しかしモンドはその域を超えている。
いつのテストの結果発表だったか忘れた。すでに何度もあった出来事がいびつに混ぜ合わされている。
岡田主水(もんど)が教室に現れ、授業が始まる。
あのそこそこ顔がいいけれど薄っぺらさが透けて見えた男。
「では今回の中間テストの結果発表。モンドセレクション金賞は……、吉村美保、九十七点!」
毎回モンドは結果をさも大事に発表した。
美保が席から立ち上がり、教卓干へと向かう。ほこらすげな姿だ。そして、主水と握手をする。
「なーにがモンドセレクションだよ、ばかか」
思い出して稔は胸糞悪かった。
「グレート・ティーチャー・オカダモンドで、GTOとかいってたよな」
昭二が付け加えた。
あいつは自分のことを偉い人間だと勘違いしていた。
たしかに教育者は偉いのかもしれない。しかしどこか、ほんとうに教育に燃えているのではなく、そういう自分が好きなだけの軽薄なやつ、にいまとなっては思えてくる。
あんな問題を起こした、教師の風上にもいけないクソ野郎。
主水が下手くそな口笛でポイズンを吹きながら老化を大股で歩いている姿を思い出し、昭二は気分が悪くなった。
「あんたたちモンドセレクションもらったことないからいじけてんでしょ」
かなみが言った。
「いじけてねえよ、つかーいらねえよ、そんな気持ち悪いもん」
稔が舌打ちして言った。
「わたし一度努力賞もらったよ」
愛子が言った。
あれはいつのテストだったろうか。
名前を呼ばれ、愛子はモンドと握手をした。
「よく頑張ったな、前回よりも二十点もアップしたぞ」
主水は愛子を褒めたが、どこか、生徒を向上させた自分を褒めているように聞こえた。ナルシストなのだ。
「ありがとうございます……。あのう、先生はなんで倫理の教師になったんですか?」
愛子は質問をぶつけた。
なんとなく、他の教師とは違うことを感じていた。それは良い意味なのか悪い意味なのかはわからかったけれど、人気のある教師というのはだいたいどこか規格外で外れているものなのだ。
主水は一瞬考え、笑顔を崩さずに言った。まるで能面みたいだった。
「僕は小さなころから不思議だったんだ、死んだらどうなるのか、どうせ死ぬのになんで生きなくちゃいけないのか、なんで人を殺しちゃいけないのか。そんな疑問を毎晩考えていたんだ。哲学と出会ったことで、なにか僕の体の中で風が吹いたんだな。僕は同じように悩んでいる若い人たちに、僕が感じた風を吹かせたいんだ」
言い切り、モンドは自分の言った言葉に悦になっているようだった。
敏感な生徒はその姿を気持ち悪いと思い、モンドに興味のないものは、「やってやがる」と鼻で笑った。
「かっこいい、ですね」
愛子はその時、素直に思った。
自分の周りの大人の中で、やっぱりモンドは違う。
「また、モンドセレクションもらえるようにがんばります……」
と硬く握手をした。
今にして考えてみれば、いくらでもできたというのに、教師と握手することは、愛子にとって、どこか特別な存在になったような気がした。
「美保、ずっとモンドセレクション金賞だったもんねえ」
かなみが言った。
「そもそも美保頭よかったじゃん」
成績はよく、それなのに鼻にかけることはない。美保は、とにかく「できたやつ」だった。初めはこんなやついるのか、と薄気味悪いとさえ思ったことがあった。
「一回だけ金賞取れなかったことあったじゃん」
愛子が急に思い出した。
かなみが言った。みんな、急にしん、となった。店内のざわめきが一層大きくなった。
「わたしたち、絶対にその話しないじゃん。でもなんか、もうあれからずいぶんたったんだよ。それに、この日に同級生集まるって、なんか」
愛子は急に嗚咽しそうになった。
言ってしまったらもう遅い。
なかったことになんて、やはりできない。
「そうだね」
かなみは愛子の背中をさすった。
誰もが、いなくなってしまった同級生のことを思い出していた。
それぞれが、それぞれのふとしたことを。
あの笑い顔。
あの困った顔。
あの元気な姿。
あのなにも問題なんてないと全身で表現してた佇まいを。
「美保、ずっと十七歳なんだよ。もう年取らないの。わたしたちばっかおばさんになっちゃうの」
愛子が言った。
そして、美保のことを思うたびにでてくる、あいつのことを思い出していた。
「モンドのやつ……テレビに出てたな」
稔が言った。
「あいつまじでいかれてるよ」
昭二が続けた。
いや、あいつを許容する世界がいかれているのかもしれない。
自分たちは、まともでない世界で、生きている。
「わたしは……、モンドのこと嫌いじゃないよ」
かなみが言った。
「なんでか人気あったけど、いけすかなかったわ」
稔が首を回した。自分が劣等生だからだろうか、教師という存在がすべて気に入らない。しかしモンドはその域を超えている。
いつのテストの結果発表だったか忘れた。すでに何度もあった出来事がいびつに混ぜ合わされている。
岡田主水(もんど)が教室に現れ、授業が始まる。
あのそこそこ顔がいいけれど薄っぺらさが透けて見えた男。
「では今回の中間テストの結果発表。モンドセレクション金賞は……、吉村美保、九十七点!」
毎回モンドは結果をさも大事に発表した。
美保が席から立ち上がり、教卓干へと向かう。ほこらすげな姿だ。そして、主水と握手をする。
「なーにがモンドセレクションだよ、ばかか」
思い出して稔は胸糞悪かった。
「グレート・ティーチャー・オカダモンドで、GTOとかいってたよな」
昭二が付け加えた。
あいつは自分のことを偉い人間だと勘違いしていた。
たしかに教育者は偉いのかもしれない。しかしどこか、ほんとうに教育に燃えているのではなく、そういう自分が好きなだけの軽薄なやつ、にいまとなっては思えてくる。
あんな問題を起こした、教師の風上にもいけないクソ野郎。
主水が下手くそな口笛でポイズンを吹きながら老化を大股で歩いている姿を思い出し、昭二は気分が悪くなった。
「あんたたちモンドセレクションもらったことないからいじけてんでしょ」
かなみが言った。
「いじけてねえよ、つかーいらねえよ、そんな気持ち悪いもん」
稔が舌打ちして言った。
「わたし一度努力賞もらったよ」
愛子が言った。
あれはいつのテストだったろうか。
名前を呼ばれ、愛子はモンドと握手をした。
「よく頑張ったな、前回よりも二十点もアップしたぞ」
主水は愛子を褒めたが、どこか、生徒を向上させた自分を褒めているように聞こえた。ナルシストなのだ。
「ありがとうございます……。あのう、先生はなんで倫理の教師になったんですか?」
愛子は質問をぶつけた。
なんとなく、他の教師とは違うことを感じていた。それは良い意味なのか悪い意味なのかはわからかったけれど、人気のある教師というのはだいたいどこか規格外で外れているものなのだ。
主水は一瞬考え、笑顔を崩さずに言った。まるで能面みたいだった。
「僕は小さなころから不思議だったんだ、死んだらどうなるのか、どうせ死ぬのになんで生きなくちゃいけないのか、なんで人を殺しちゃいけないのか。そんな疑問を毎晩考えていたんだ。哲学と出会ったことで、なにか僕の体の中で風が吹いたんだな。僕は同じように悩んでいる若い人たちに、僕が感じた風を吹かせたいんだ」
言い切り、モンドは自分の言った言葉に悦になっているようだった。
敏感な生徒はその姿を気持ち悪いと思い、モンドに興味のないものは、「やってやがる」と鼻で笑った。
「かっこいい、ですね」
愛子はその時、素直に思った。
自分の周りの大人の中で、やっぱりモンドは違う。
「また、モンドセレクションもらえるようにがんばります……」
と硬く握手をした。
今にして考えてみれば、いくらでもできたというのに、教師と握手することは、愛子にとって、どこか特別な存在になったような気がした。
「美保、ずっとモンドセレクション金賞だったもんねえ」
かなみが言った。
「そもそも美保頭よかったじゃん」
成績はよく、それなのに鼻にかけることはない。美保は、とにかく「できたやつ」だった。初めはこんなやついるのか、と薄気味悪いとさえ思ったことがあった。
「一回だけ金賞取れなかったことあったじゃん」
愛子が急に思い出した。