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 その翌日から、さっそく瑠衣と白銀の行動は変わった。
 まず最初にしたことは、妖達を集めて現状を共有したことだった。
「――というわけで、この空間は繰り返している。鍵は瑠衣の死だ。瑠衣を守りながら繰り返しから脱出する。お前らにどうか協力してもらいたい」
 白銀が現状を伝えたとき、妖達の動揺は少なくなかった。二人の予想通り、他に繰り返しを認識していた妖はいなかったからだ。それでも、主の苦境に対して、助けるのを否と言う者はいなかった。
 瑠衣の死が鍵という事実も、驚きの一つとなっていたようだ。それはそうだろう。主の嫁が実はもう何度も死んでいるというのだから。
「なーんか、あたしも変だとは思っていたんですよねー。瑠衣様を以前から知ってるような気がしてたんですが、繰り返してるならそれはそうですよねー」
 一番動揺の少なかったのは、やはりと言うべきか美桜だった。妖達の前で「どうか、お願いします」と頭を下げ続けている瑠衣の肩へしっかりと手を置く。
「瑠衣様、顔を上げてください。何度も死んでしまって、さぞかし怖かったですよね? あたしこそお守りできなくて謝るべきです」
「美桜様……」
 ニコニコと笑う美桜が頼もしい。他の妖を見回しても、繰り返しを知らなければ初対面だろうに、真摯な表情で瑠衣を見ていた。
「みなさまも、本当にありがとうございます」
 もう一度、感謝の言葉を口にしてから続ける。
「もちろん、ただでとは申しません。これが上手くいった暁には、わたしの呪力を報酬としてお渡しします」
「お、おい! 瑠衣、それは……」
 慌てたように制止してきた白銀に微笑んで見せた。
「もう、決めました」
 妖達の間に戸惑いが広がる。いくら美味しそうとはいえ、主の嫁なのだから。
 母から受け継いだ、妖から好かれる呪力。それが復活した今、最大限に活用する。妖に魅入られていると思われても構わない。妖の生贄として育てられ、白銀へと捧げられた。その結果まで政重の思い通りになるつもりはなかった。
 最後まで渋る白銀へ向けて、瑠衣は微笑んだ。
「わたしを独占したいのは理解できます。ですが、これは必要なことです。少しでもわたしが生きる可能性を上げるために」
「ちぃっとばかし、露骨すぎると思うんだがなあ」
「ふふふ。では、もう一つ露骨なものを」
 白銀の手を取り、自分の胸に押し当てる。
「わたしは白銀が好きです。愛しております。この繰り返しから脱出できたら、一生を白銀に捧げることをお約束します。妖狩りの元には――人間の元には戻りません。呪力だけではなく、魂まであなたに喰らい尽くされとうございます」
 凛とした瑠衣の告白に、騒めいていた妖達が静まり返った。見上げる目の前で、白銀の表情が様々に変化した。驚きから喜びへ、そこから怒りへと変わり、最後には何かを決意したように強い視線が瑠衣を射抜いた。
「……言ったな?」
 不意に白銀の手が伸びてきて、瑠衣の腰を力強く引き寄せた。つま先立ちのようにされて、白銀の顔が近くなる。
「こいつは前借りだ」
「何を……んっ――」
 問答無用で唇を塞がれ、反射的に引きかけた身体を、力強い腕が抵抗を封じる。観念して力を抜くも、なかなか放してもらえない。そろそろ息が苦しくなってきた。たっぷりと唇を吸われてから、やっと瑠衣は解放された。
「ぷはっ……白銀、みなの前でやり過ぎです!」
 さすがにこれほど深い口づけは恥ずかしい。ほっぺたくらいで許してほしかった。
 白銀は抗議の声もなんのその。瑠衣の腰を抱いたまま、配下の妖へと叫んだ。
「ようし、お前ら! オレの嫁がここまでお願いしてくれてんだ。しっかり励めよ! おこぼれはちゃんと分けてやる!」
 うおお、と妖達の間で雄叫びが上がる。呪力欲しさだけではない。主君の嫁を守るという思いが強く伝わってくる。
「あーあ、瑠衣様。これは完全に火を点けちゃいましたね」
 くすくすと笑いながら美桜が言った。
「あそこまで言われたら、白銀様だけではなく、誰だって助けたいと思います。白銀様との口づけも、眼福眼福。ごちそうさまでした」
「そ、それは、何より……です?」
 自分自身に対する決意表明でもあったのだが、これで正真正銘、妖の嫁になったということだろう。もう、後には戻れない。白銀とともに生きるか、もしくは滅びるか。二つに一つだ。願わくは前者でありたい。
「さあって、ご褒美のためにも頑張らねえとな! 作戦会議といこうぜ!」
 やる気に満ち溢れた白銀を中心として、作戦会議が始まる。
「繰り返しだけじゃなく、妖狩りのほうも何とかしねえとな。どこまでの人間がこの繰り返しを知っていると思う?」
「政重様は、たぶん知っているのではないかと」
 気を取り直して瑠衣は思考を働かせる。
「確実に三回目は知っていたと思います。なぜなら、わたしが送った文は、二回目も三回目も大きく内容は変わらなかったのですから。それなのに、二回目では毒を送り、三回目は舞衣を派遣してきました。これは大きな違いではないでしょうか」
「なるほど。いい答えだ」
 納得したように白銀が笑みを浮かべた。
 今思えば、二回目の時から、白銀が繰り返しを把握していたという素振りはあった。瑠衣が屋敷を抜け出そうとした日、白銀は布団の中でずっと離してくれなかったではないか。瑠衣が政重の屋敷で殺されてしまわないよう防いでくれていたのだ。
(もっと早くにわたしが気が付いていれば……)
 こんなに切羽詰まった状況になることもなかっただろう。悔やむ気持ちもあるが、もう前を向くしかない。死んだらこれで終わり。本来はそれが当たり前のことだ。瑠衣の願いと白銀の妖、政重の術、様々な要因が絡み合いこの空間ができた。こんなにたくさんの機会を貰ったのだから、自分の願いを通すためにも失敗するわけにはいかない。
 妖達の視線を集めながら、瑠衣は考えていたことを伝える。
「白銀を直接見ていない政重様は、力が弱まっていることを知らないはず。ここは、繰り返していることを妖狩りに知らせ、あちらが動かざるを得ない状況を作り出すほうが得策だと思うのですが、どうでしょう」
 尽きようとしている白銀の妖力。持久戦は辛いはずだ。動くのであれば積極的にこちらから仕掛けて、短期戦を挑むべきだ。
「だがなあ、それは危険な賭けになるぜ?」
「待っていてもあちらに準備の時間を与えるだけでしょう」
 身を乗り出しながら、一生懸命に瑠衣は訴えた。
「それならば、対決の意思を明確にしたほうがいいとは思いませんか? 政重様だっていつまでもここに囚われているわけにはいかない。必ず乗ってきます。いえ、むしろ、こちらから攻めるという手も――」
「……お前」
 気が付けば白銀が目を丸くして圧倒されたようになっていた。何か変なことを言っただろうかと不安になっていると、感心したように白銀が息を吐いた。
「前向きになったようなあ」
「そ、そうですか……?」
 戸惑いながら瑠衣は首を傾げると、繰り返しを知らなかった美桜も笑いながら同意する。
「たしかに! 昨日と比べても、瑠衣様全然違いますよ!」
「そうだな。そこだけでも違うぜ。オレに喰われようとしていた日々なんざ、毎日悲壮な顔してたもんなー」
「それは……よしてください」
 自覚させられると死にたくなってしまいそうだ。そのくらい恥ずかしい。もう一回くらい繰り返せるのであれば、ちょっと無かったことにしてもらいたい。ついでに、白銀の記憶も抹消してもらえないだろうか。
「この話でしばらくお前をからかえそうだな。覚悟しとけよ」
「白銀も趣味が悪いですよ! あまり言っているとわたしも怒り――きゃぁっ!?」
 突如として、屋敷が地震に見舞われたかのように大きく揺れた。倒れそうになった瑠衣を、白銀が素早く引き寄せる。パラパラと天井から埃が落ちてきた。
「一体、なにが……」
「こいつは、先手を取られたな」
 厳しい表情で呟いたのは白銀。屋敷の表から、犬の姿をした妖が駆けてきた。
「白銀様! 妖狩りが!」
 最後まで言い終わらないうちに、再び屋敷が大きく揺れた。それと同時に、大きな破砕音が聞こえた気がした。妖達の間に動揺が走る。ちっ、と白銀が舌打ちする。
「結界が破られたか。お前ら、狼狽えんな! 攪乱しながら展開しろ」
(妖狩りが……攻めてきた!?)
 そのときには瑠衣も、妖狩りの呪力や、表のほうで争う物音が聞こえていた。人数は把握できないが、鬨の声を聞く限り、一人や二人ではない。妖狩りが総力を挙げて攻めてきたのかもしれない。
「美桜は、瑠衣を頼めるか?」
 白銀に背中を押され、冗談じゃないとばかりに瑠衣はかぶりを振った。
「わたしも戦います。白銀一人を危険な目に遭わせて、後ろで隠れて震えているなど、できるわけがありません!」
「馬鹿野郎! 何もできねえくせに、どうやって戦おうっつんだ!」
「白銀が封印を解いてくれましたから、呪力はありますよ!」
 本気の白銀の怒声に、瑠衣も負けじと声を張った。
 右手をかざして光の玉を生み出して見せるも、一瞬で弾けて消えてしまう。それを見て白銀が鼻を鳴らした。
「ほうれみろ。呪力が戻ったところで、五年も封印されてたんだぜ? 使いこなせるわけねえだろうが。お願いだから大人しくしておいてくれ!」
「嫌です。無理です。絶対に嫌です!」
 だんだん、と子供のように地団太を踏む。
 自分のためにみんなが協力してくれるのだ。それを後ろから見ているしかできないなど、瑠衣には我慢できない。微力でも……たとえ足手まといだったとしても、同じ場所に立ちたい。説得する言葉や力を持たなくても、この場から逃げたら、繰り返しを脱出する機会を一生逃してしまう気がした。
「しょうがねえ。一発食らわせて……」
 白銀の右手が握られるのを見て、瑠衣は慌てて距離を取ろうとした。気絶させられてはかなわない。
「駄目です、白銀!」
「うるせえ!」
 拳が瑠衣の腹に突き立てられようとした瞬間、美桜が風のように動いた。
「お二人とも、注意してください!」
 迸る呪力の感覚に、はっと白銀が顔を上げる。握った拳をそのまま中庭のへと向けた。美桜が生み出した風に、白銀の打ち出した氷がキラキラと舞って結界を作った。そこへ鞭のようにしなる刃がぶつかり、次いで紅蓮の炎が巻き起こった。互いの力が相殺されたように弾け、突風が吹き荒れる。瑠衣は両腕を前に組んで顔を庇った。
「政重様……舞衣」
 風が収まりそこにいたのは、やはりというか、予想通りの二人だった。
「奇襲をかけたつもりだったが」
 政重が炎の刃を持つ刀を振った。
「これだけの力があれば、そうは簡単にはいかんか」
「そりゃ、どーも。しっかし、おかしいなあ。瑠衣は和睦の証じゃなかったのか?」
 瑠衣を背後に庇いながら、白銀が右手に氷の刃を作り出した。
「せっかく平和的に解決しようと思ったのによう、結局こうなっちまうのかよ」
「妖風情が世迷言を。我々を面妖な空間に閉じ込めておいてよく言うわ」
 やはり政重は気が付いていたのだ。この中では時間が繰り返していること。そして、それに関係している一人が白銀であることを。
「あー、それは悪い。オレもそんなつもりじゃなかったんだぜ? ただな、瑠衣がちいっとばかし無謀な……」
「ふざけないで!」
 おどけて見せる白銀へ、叩きつけるように叫んだのは舞衣だ。
「政重様から聞いたんだから! 白銀がお姉ちゃんに酷いことをして、それが原因でこの繰り返しが起きちゃったって! 村の人まで巻き込んで、どういうつもり!?」
「舞衣! それは違いますよ!」
 瑠衣は負けないように言い返した。三回目に話した内容を、瑠衣はもう一度繰り返す。
「以前の領主こそが悪いのです。白銀は村によくしてくれているのですよ。わたしにだって同じです。いえ、それ以上に大切に扱われて、白銀にこの身を捧げようと思っているのですから。酷いことなど一つもありません」
「お姉ちゃん……」
 痛ましいものを見るかのように、舞衣は目を細めた。涙すら浮かべて言う。
「酷いことされて、思い出したくなくて自分で記憶を歪めちゃったんだね。あたしが来たからには安心して。一緒に帰ろう? あたしが白銀を倒せば、お姉ちゃんにいい暮らしをさせてあげられる」
(この匂いは……)
 風向きが変わり、漂ってきた香で瑠衣は確信する。
 自分の身体に染み込まされていたものと同じ香だ。白銀がそれを洗い落とし、術を解いてくれた。これこそが政重の術の種。瑠衣の記憶を封じ、今は舞衣の記憶を操っている。瑠衣を想う気持ちが人一倍強いのは知っていた。さぞかしやりやすかったことだろう。
「美桜、他のヤツらの援護を頼めるか? この二人はオレが相手をする」
 氷の刃を構えたまま白銀が言った。瑠衣達の周囲では、妖狩りと屋敷の妖との間で乱戦になっていた。奇襲をされた分、こちらのほうの分が悪い。
「承知ですよー! 白銀様もお気をつけて!」
 美桜は風を操ると、大きな呪力を放とうとしていた妖狩りを一人吹き飛ばす。そのまま、敵味方入り乱れるど真ん中へと飛び込んでいく。
 それを横目に見ながら、白銀は妖力を操り、無数の氷の刃を自らの周囲に展開した。
「瑠衣を散々な目に遭わせてくれたよな。その礼はたっぷりとしてやるぜ」
「その娘は役目を果たせず、妖狩りとして失格の烙印をおされていたのだがな。それを殺さずにいて感謝してもらいたいくらいだ」
 政重の台詞に、瑠衣はすっと刃のように視線を鋭くする。
「うそばかり。わたしは全てを思い出しましたよ」
「思い出した? ああ、そうか」
 政重も気付いたようで薄ら笑いを浮かべた。明確な殺意が瑠衣を貫く。
「そろそろ術が解ける頃合いだと思ってはいたが、やはり思い出してしまったか。勝負をかけて正解だった」
 呪力が溢れ、政重の刀が赤い炎に包まれる。
「ここで全てを終わらせてやろう。舞衣、姉を救いたいのなら、決めた通りに動くのだな」
「うん! 当然っ!」
 舞衣の持つ刀が長い鞭へと変化し、まるで蛇のように地面を走って来たところが戦闘開始の合図となった。
「しゃくらせえ!」
 地面を抉りながら迫る鞭を、白銀の氷が障壁を作って防ぐ。すると、その上を超えるようにして政重の放った炎が広がった。
「甘いぜ」
 白銀が手元の氷の刃を一閃。真っ二つに炎が割れる。その間を舞衣が縫うようにして接近しながら再び鞭を振るうのを見て、白銀が瑠衣の身体を抱えた。
「舌を噛むなよ!」
 鞭を素早く躱して庭へ出ると、そのまま軽やかに屋敷の屋根へ。
(やっぱり弱まってる)
 屋根の上に下ろしてもらいながら瑠衣は感じていた。
 三回目ならば、今の攻撃くらいは妖力で一蹴していた。それが正面から圧倒するのではなく、避けることを選択した。妖力の残りが少なくなっているというのは間違いない。繰り返しのおかげで、瑠衣の思っている以上に白銀は消耗しているのだ。
 次の攻撃を仕掛けようと呪力を溜める二人を警戒しながら瑠衣は提案する。
「白銀。舞衣はわたしにまかせてください」
「はあ? まだそんなことを……」
「白銀こそ強がりはもう終わりです」
 静かだが怒りを孕んだ口調に白銀が口をつぐむ。
「力が弱まっているのに、わたしを守りながら二人の相手をするのは無理ですよね?」
「だがよう……」
「大丈夫です。わたしは殺されないはず」
 瑠衣には確信があった。繰り返しを知っているならば、その鍵も理解しているだろう。さきほど、政重は勝負をかけたと言っていたではないか。
 ならば、瑠衣を殺せばまた繰り返してしまうと考えているはず。白銀の妖力が尽きようとしているのは知らないかもしれないが、絶対に瑠衣は殺せない。
「封印くらいはされるかもしれないですが、呪力が戻ったのですから、それくらいは何とかしますよ。白銀のほうこそ、政重に勝てるかを心配したほうがいいのでは?」
「……ったく、この嫁は……!」
 瑠衣の挑発に、わかりやすいくらい白銀の表情が歪んだ。持っていた氷の刃を瑠衣に押し付けて、自らは別の刃を生み出す。
「さっさと終わらせて助けにいくからな」
「期待して待っていますよ」
 政重と舞衣は準備が終わったようだ。白銀が万全の状態ならば、先制攻撃をしかけていたはず。瑠衣という足枷がなくなれば、もっと自由に戦えるはずだ。
 庭で膨れ上がる呪力を見て二人は頷き合うと、ぱっと二手に別れたのだった。