◆
(ほら。やっぱりあった、四回目)
瑠衣の想像通りに、気が付くと屋敷へ来た初日の宴会の場面になっていた。三回目までの記憶は、まるで覚めない夢のようにくっきりとある。それらを整理しながら、瑠衣は宴会の時間を過ごした。
(何もないのは、わかっているのだけど)
真っ白な夜着を纏った瑠衣は、寝所で布団の前に正座をして白銀を待つ。
ここで何をするか、宴会の時間で瑠衣は決めていた。このままでは埒が明かない。自分の本当の目的を全て話してしまおうと思ったのだ。
これは一つの賭けだった。三回目までの様子だと、自分以外の者は繰り返しの記憶を持っていないように感じていたから。
死んだらこの時間に戻るとわかっていても、やはり死は怖い。白銀とまた一から関係性を積み上げていくのも辛い。二度目、三度目と死ぬ度に、自分の中の何かが崩れていくような気がしていた。このままではいつか、精神のほうに異常をきたしてしまう。まだ正常に物事を考えられるうちに、やれることをやってしまおうと考えたのだ。
(逆上されて、この場で殺されるかもだけど)
その可能性も頭をかすめるが、時間とは基本的に前にしか進まない。この機会を逃せば、次はまた死なないとやって来ない。どうせ死ぬなら早いほうが落胆も少なくて済む。
静かだった廊下に足音が聞こえた。それは徐々に近づいてきて、寝所の前で止まった。
「おう。だいぶ匂いはなくなったな」
もう四度目の登場の場面。瑠衣はくすりと笑いながらこたえた。
「おかげさまで。ですが、五年間焚き染めた香は、そう簡単に消えるものではありません。これは、今日のためにこの身に浴びてきた香ですから」
「……どういうことだ?」
今までと異なる行動をすれば、異なる反応がある。それを十分に承知した上で、瑠衣は背筋を伸ばしたまま白銀の顔を見上げた。
「白銀様……いえ、白銀。わたしは今日、四度目の花嫁となっております。その前に方法は違えど、三度ほど死を迎えています」
いきなり対等な口を聞き始めた瑠衣を咎めるかと思いきや、白銀は眉根に皺を寄せたものの黙っている。きっと瑠衣の話が突拍子もなさ過ぎて戸惑っているのだろう。彼の気分が変わる前にと、瑠衣はすぐに続けた。
「わたしの身体には毒があります。妖を殺す毒が。特に心の臓を喰らえば、どんな妖でも耐えられないでしょう。わたしのこの身体の香りは、妖の理性を狂わし、己の身体を喰らわせるためのもの」
「……それで?」
白銀の両目がすっと細められた。寝所の温度が下がった気がする。
まだ自分は最後まで伝えていない。殺される前に喋り切らなければいけない。
「そして、呪術もわたしの身体には掛けられています。妖を徐々に弱らせる術が。わたしを喰らわない場合は、時期を見て妖狩りがここを襲う手はずになっておりました。わかりますか、白銀。わたしはあなたを殺すためにここへ送り込まれたのです」
いつしか白銀は、瑠衣の前にしゃがみ込んでいた。手を伸ばせば簡単に縊り殺せる距離だ。凍えるような声で白銀が先を促してくる。
「それで? どうしてそんなことをオレに教える?」
「それは――」
瑠衣は乾いた唇を舐めた。やはり白銀に繰り返しの記憶はないのだ。この話は、二人の関係を築き上げてからすべきだったのかもしれない。負け戦だと感じながらも、瑠衣は勇気を振り絞って言い切った。
「わたしが白銀を愛してしまったからです」
三度、白銀と契りを結んだ。
そして、三度その契りは壊れた。
二度は明確に自分から破棄してしまった。前回だって自分の行動が原因で、死に別れる結果となったようなものだ。もう、二度と繰り返したくない。必死に瑠衣は訴えかけた。
「あなたはどうしてわたしを欲したの? 人間側の和睦を受けるのであれば、高貴で権力を持った有力者の娘を人質としたほうが、よほど安全を図れたはず。わたしのような妖狩りの娘はあり得なかったはずです」
白銀は押し黙ったまま何も言わない。その代わり、彼の赤い瞳はギラギラと光っており、表に出る寸前の激しい感情が渦巻いているかのようだ。
「なるほどな、そういうことだったのか」
白銀の両手が瑠衣へと伸びてくる。
(……だめか……)
反射で目を瞑って瑠衣は身構える。この選択は時期尚早だったのだ。五回目はもっと時間と場所を選ばないといけない。殺される瞬間を、今か今かと待ち構えていると、彼女の身体は力強く引き寄せられていた。
「お前も覚えていたんだな。もっと早くこうしていればよかった」
「……えっ……」
「一人で抱えていて苦しかっただろう。三回目はオレも、もしやと思っていたんだ。だがな、何度もお前を守り損ねて、自分が不甲斐なくてそれを確かめる勇気が持てなかった。許してくれるか」
その言葉で全てを悟り、瑠衣は緊張の糸がぷっつりと途切れてしまった。目の前が霞んだと思うと、大粒の涙が次から次へと頬を流れ落ちていく。
(ああ……白銀……)
「お、おいぃ!? オレ、泣かせるようなことなんか言ったか!?」
白銀があたふたと瑠衣を抱え直し、懐から出した手拭いでその涙を拭った。
「だって……だって……うああああっ!」
瑠衣は我慢できずに、自分から白銀の胸に顔を埋めていた。彼女の中から理性的な部分はどこかへ消え失せ、幼子に戻ったかのように泣き叫ぶしかできない。白銀の名を呼びながらしゃくり上げていると、そっと背中を撫でられ、瑠衣はますます強く白銀へとしがみついた。
二度、三度と死ぬ度に、どんどん心細くなっていった。このまま永遠に誰にも知られず、ぐるぐると同じ時を過ごすのかと思った。いつしか精神状態はギリギリになっていて、五回目はどうなっていたかわからない。
それが証拠に、こうして流れる涙がいつまでたっても止まらない。
「まったくよー。瑠衣は演技が上手いというか、感情の起伏が薄いからわかり辛いというか……」
「わ、わたしは……白銀の……敵だったのですから……」
「ああ、そうだな。何やら企んでるのはオレも勘付いてはいたがな。生贄扱いにしても、やけに積極的に喰ってくれと言うと思っていたが、裏にはそんな理由があったとはな。いくらなんでも酷い奴らだ」
瑠衣を撫でる手は優しいが、その声色にはぞくりとするほど恐ろしい感情が乗っていた。瑠衣は涙ながらに訴える。
「舞衣は……舞衣は違う! きっと全てを仕組んだのは、わたしをここへ送ると決めた、妖狩りの政重という者。お願いですから、舞衣には手を出さないでください!」
「わかってるって。あいつはただの姉想いなだけだろ。じゃねえと、オレに討ち死に覚悟で向かってくるなんてできねえからな」
三回目の出来事を思い出したのか、白銀が盛大に顔をしかめる。
手拭い一つを涙でびしょびしょにしてしまったあたりで、やっと瑠衣は気持ちが落ち着いた。このまま幸福に浸っていたいところだったが、お互いの気持ちが通じたのなら、次にやるべきことがある。
「し、白銀……」
ずび、と鼻を鳴らすと、追加で懐紙を渡された。それで鼻を噛んでから続ける。
「先ほどの問いを教えてくれませんか。どうしてわたしを? 白銀にも何か目的があったのではないですか?」
「ふむ?」
白銀は首を捻ると、不意に顔を近づけてきた。頭、うなじ、背中……を、くんくん、と匂いを嗅いでくる。胸元へ顔が近づいてきたところでさすがに恥ずかしくなり、瑠衣は身をよじらせて抗議する。
「や、やめてください! 恥ずかしいのですが」
「いやあ、悪い悪い。今日はそんな気はないから安心してくれ」
白銀は顔を離すと、悪びれもせずに意味深な台詞で謝ってくる。
(今日は、って言った!?)
まあ、嫁いだにもかかわらず、今日まで何もなかったほうがおかしいのだ。急にその時が近くに迫った気がして、心の中がひっくり返ったような大事になってしまう。
「さすがに四回も洗えばだいぶ薄くなってるな」
そんな瑠衣の混乱を知らないかのように、白銀は満足したように頷いた。彼の身体からひんやりとした妖力が溢れ出すと、瑠衣を包み込む。
「あの……白銀?」
「今から封印を解いてやる」
「封印?」
「少しばかり、見たくもない過去が見えちまうかもしれないが、我慢できるか?」
白銀の言うことであるならば、自分に危害を与えることではないはず。瑠衣は素直に頷いた。
「わたしにはよくわかりませんが……。もう三回も死んだのですよ。これより酷いものはそうそう存在しないのではないでしょうか」
「その開き直り方もどうかと思うがなあ……」
呆れたような表情になりながら、白銀の手が瑠衣の頭に触れた。そこに膨大な妖力が集まっているのを感じる。
「準備はいいか?」
「いつでもどうぞ」
目を閉じて応じると、すぐに冷え冷えとした妖力が身体に流し込まれ――瞬く間に意識が暗転した。
(ほら。やっぱりあった、四回目)
瑠衣の想像通りに、気が付くと屋敷へ来た初日の宴会の場面になっていた。三回目までの記憶は、まるで覚めない夢のようにくっきりとある。それらを整理しながら、瑠衣は宴会の時間を過ごした。
(何もないのは、わかっているのだけど)
真っ白な夜着を纏った瑠衣は、寝所で布団の前に正座をして白銀を待つ。
ここで何をするか、宴会の時間で瑠衣は決めていた。このままでは埒が明かない。自分の本当の目的を全て話してしまおうと思ったのだ。
これは一つの賭けだった。三回目までの様子だと、自分以外の者は繰り返しの記憶を持っていないように感じていたから。
死んだらこの時間に戻るとわかっていても、やはり死は怖い。白銀とまた一から関係性を積み上げていくのも辛い。二度目、三度目と死ぬ度に、自分の中の何かが崩れていくような気がしていた。このままではいつか、精神のほうに異常をきたしてしまう。まだ正常に物事を考えられるうちに、やれることをやってしまおうと考えたのだ。
(逆上されて、この場で殺されるかもだけど)
その可能性も頭をかすめるが、時間とは基本的に前にしか進まない。この機会を逃せば、次はまた死なないとやって来ない。どうせ死ぬなら早いほうが落胆も少なくて済む。
静かだった廊下に足音が聞こえた。それは徐々に近づいてきて、寝所の前で止まった。
「おう。だいぶ匂いはなくなったな」
もう四度目の登場の場面。瑠衣はくすりと笑いながらこたえた。
「おかげさまで。ですが、五年間焚き染めた香は、そう簡単に消えるものではありません。これは、今日のためにこの身に浴びてきた香ですから」
「……どういうことだ?」
今までと異なる行動をすれば、異なる反応がある。それを十分に承知した上で、瑠衣は背筋を伸ばしたまま白銀の顔を見上げた。
「白銀様……いえ、白銀。わたしは今日、四度目の花嫁となっております。その前に方法は違えど、三度ほど死を迎えています」
いきなり対等な口を聞き始めた瑠衣を咎めるかと思いきや、白銀は眉根に皺を寄せたものの黙っている。きっと瑠衣の話が突拍子もなさ過ぎて戸惑っているのだろう。彼の気分が変わる前にと、瑠衣はすぐに続けた。
「わたしの身体には毒があります。妖を殺す毒が。特に心の臓を喰らえば、どんな妖でも耐えられないでしょう。わたしのこの身体の香りは、妖の理性を狂わし、己の身体を喰らわせるためのもの」
「……それで?」
白銀の両目がすっと細められた。寝所の温度が下がった気がする。
まだ自分は最後まで伝えていない。殺される前に喋り切らなければいけない。
「そして、呪術もわたしの身体には掛けられています。妖を徐々に弱らせる術が。わたしを喰らわない場合は、時期を見て妖狩りがここを襲う手はずになっておりました。わかりますか、白銀。わたしはあなたを殺すためにここへ送り込まれたのです」
いつしか白銀は、瑠衣の前にしゃがみ込んでいた。手を伸ばせば簡単に縊り殺せる距離だ。凍えるような声で白銀が先を促してくる。
「それで? どうしてそんなことをオレに教える?」
「それは――」
瑠衣は乾いた唇を舐めた。やはり白銀に繰り返しの記憶はないのだ。この話は、二人の関係を築き上げてからすべきだったのかもしれない。負け戦だと感じながらも、瑠衣は勇気を振り絞って言い切った。
「わたしが白銀を愛してしまったからです」
三度、白銀と契りを結んだ。
そして、三度その契りは壊れた。
二度は明確に自分から破棄してしまった。前回だって自分の行動が原因で、死に別れる結果となったようなものだ。もう、二度と繰り返したくない。必死に瑠衣は訴えかけた。
「あなたはどうしてわたしを欲したの? 人間側の和睦を受けるのであれば、高貴で権力を持った有力者の娘を人質としたほうが、よほど安全を図れたはず。わたしのような妖狩りの娘はあり得なかったはずです」
白銀は押し黙ったまま何も言わない。その代わり、彼の赤い瞳はギラギラと光っており、表に出る寸前の激しい感情が渦巻いているかのようだ。
「なるほどな、そういうことだったのか」
白銀の両手が瑠衣へと伸びてくる。
(……だめか……)
反射で目を瞑って瑠衣は身構える。この選択は時期尚早だったのだ。五回目はもっと時間と場所を選ばないといけない。殺される瞬間を、今か今かと待ち構えていると、彼女の身体は力強く引き寄せられていた。
「お前も覚えていたんだな。もっと早くこうしていればよかった」
「……えっ……」
「一人で抱えていて苦しかっただろう。三回目はオレも、もしやと思っていたんだ。だがな、何度もお前を守り損ねて、自分が不甲斐なくてそれを確かめる勇気が持てなかった。許してくれるか」
その言葉で全てを悟り、瑠衣は緊張の糸がぷっつりと途切れてしまった。目の前が霞んだと思うと、大粒の涙が次から次へと頬を流れ落ちていく。
(ああ……白銀……)
「お、おいぃ!? オレ、泣かせるようなことなんか言ったか!?」
白銀があたふたと瑠衣を抱え直し、懐から出した手拭いでその涙を拭った。
「だって……だって……うああああっ!」
瑠衣は我慢できずに、自分から白銀の胸に顔を埋めていた。彼女の中から理性的な部分はどこかへ消え失せ、幼子に戻ったかのように泣き叫ぶしかできない。白銀の名を呼びながらしゃくり上げていると、そっと背中を撫でられ、瑠衣はますます強く白銀へとしがみついた。
二度、三度と死ぬ度に、どんどん心細くなっていった。このまま永遠に誰にも知られず、ぐるぐると同じ時を過ごすのかと思った。いつしか精神状態はギリギリになっていて、五回目はどうなっていたかわからない。
それが証拠に、こうして流れる涙がいつまでたっても止まらない。
「まったくよー。瑠衣は演技が上手いというか、感情の起伏が薄いからわかり辛いというか……」
「わ、わたしは……白銀の……敵だったのですから……」
「ああ、そうだな。何やら企んでるのはオレも勘付いてはいたがな。生贄扱いにしても、やけに積極的に喰ってくれと言うと思っていたが、裏にはそんな理由があったとはな。いくらなんでも酷い奴らだ」
瑠衣を撫でる手は優しいが、その声色にはぞくりとするほど恐ろしい感情が乗っていた。瑠衣は涙ながらに訴える。
「舞衣は……舞衣は違う! きっと全てを仕組んだのは、わたしをここへ送ると決めた、妖狩りの政重という者。お願いですから、舞衣には手を出さないでください!」
「わかってるって。あいつはただの姉想いなだけだろ。じゃねえと、オレに討ち死に覚悟で向かってくるなんてできねえからな」
三回目の出来事を思い出したのか、白銀が盛大に顔をしかめる。
手拭い一つを涙でびしょびしょにしてしまったあたりで、やっと瑠衣は気持ちが落ち着いた。このまま幸福に浸っていたいところだったが、お互いの気持ちが通じたのなら、次にやるべきことがある。
「し、白銀……」
ずび、と鼻を鳴らすと、追加で懐紙を渡された。それで鼻を噛んでから続ける。
「先ほどの問いを教えてくれませんか。どうしてわたしを? 白銀にも何か目的があったのではないですか?」
「ふむ?」
白銀は首を捻ると、不意に顔を近づけてきた。頭、うなじ、背中……を、くんくん、と匂いを嗅いでくる。胸元へ顔が近づいてきたところでさすがに恥ずかしくなり、瑠衣は身をよじらせて抗議する。
「や、やめてください! 恥ずかしいのですが」
「いやあ、悪い悪い。今日はそんな気はないから安心してくれ」
白銀は顔を離すと、悪びれもせずに意味深な台詞で謝ってくる。
(今日は、って言った!?)
まあ、嫁いだにもかかわらず、今日まで何もなかったほうがおかしいのだ。急にその時が近くに迫った気がして、心の中がひっくり返ったような大事になってしまう。
「さすがに四回も洗えばだいぶ薄くなってるな」
そんな瑠衣の混乱を知らないかのように、白銀は満足したように頷いた。彼の身体からひんやりとした妖力が溢れ出すと、瑠衣を包み込む。
「あの……白銀?」
「今から封印を解いてやる」
「封印?」
「少しばかり、見たくもない過去が見えちまうかもしれないが、我慢できるか?」
白銀の言うことであるならば、自分に危害を与えることではないはず。瑠衣は素直に頷いた。
「わたしにはよくわかりませんが……。もう三回も死んだのですよ。これより酷いものはそうそう存在しないのではないでしょうか」
「その開き直り方もどうかと思うがなあ……」
呆れたような表情になりながら、白銀の手が瑠衣の頭に触れた。そこに膨大な妖力が集まっているのを感じる。
「準備はいいか?」
「いつでもどうぞ」
目を閉じて応じると、すぐに冷え冷えとした妖力が身体に流し込まれ――瞬く間に意識が暗転した。