「――こりゃ、ひでえな」
白犬姿の白銀は森の中を疾走していた。
妖が森のそこかしこにたむろしている。その数は数十匹どころではない。気配の感じ取れない雑魚まで含めると、ゆうに三桁は超えているだろう。
うつ伏せに倒れている人間を発見し、白銀は側に駆け寄った。
「こいつも……駄目か」
鼻先で裏返すと、肩から心臓にかけて酷い傷があった。表情は恐怖に歪んだまま止まっている。藤の花をあしらった小袖に、薄紫色の袴には見覚えがある。
「一体なんだってこんなことになったんだ?」
人間の犠牲者は全て妖狩りだった。それも一人や二人ではない。森へ入ってから既に、十人以上の死体を発見していた。
この森は人間が妖王級と呼ぶ妖が支配する森。いくら妖狩りでも、簡単に足を踏み入れていい場所ではない。妖狩り自身がそんなことは理解しているだろうに、どうしてこんな馬鹿げた攻撃を敢行したのだろうか。
(間に合ってくれよ……!)
白銀は気を取り直して走り出す。
自分を呼ぶ声は途切れてしまったが、気配はまだ感じ取れる。縄張りに侵入してきた白銀を排除しようと、殺気だった妖が攻撃してきたが、ある時は氷で足止めをし、ある時は鋭い牙でかみ砕いて先を急いだ。
何匹の妖を屠っただろう。自分でも数えきれなくなった頃、少し開けた場所にたどり着く。その中心では、巨大な蜘蛛の妖が少女を組み伏せていた。こいつこそが森を牛耳っている妖に違いない。
ゆっくりと蜘蛛の妖がこちらを向く。
「その娘を放しやがれっ!」
森中に響き渡るほどの方向を上げ、蜘蛛の妖へ攻撃を仕掛ける。
だが、さすがは妖王級と呼ばれる妖。白銀の氷の攻撃は、蜘蛛が吐き出した糸に絡めとられてしまった。今まで出くわした雑魚とは一味違う。こんな時でなければ、白銀も勝負を挑もうとは思わなかっただろう。
それでも、今の白銀には戦うだけの理由があった。倒れている娘を――瑠衣を救わなければいけない。彼女に渡した首飾りを通じて聞こえた救援の悲鳴。ここで恩を返さねば、いつ返すというのだ。
(それに、頼まれたしな)
傷を癒していた森を去る時に、一人の女性に出会った。瑠衣にそっくりな呪力の持ち主は、まるで今の姿を予見するような言葉を残し、瑠衣を託していった。妖が妖狩りに頼み事をされるとか、その時は理解できなかったが、その憂いは間違っていなかった。
「さすがに強ぇよなぁ」
傷だらけになりながらも、白銀は一歩も引かなかった。勇気を奮い立たせ、蜘蛛の妖へ何度も何度も妖力をぶつける。
半日にも及ぶ戦いの末に、根負けをしたのは蜘蛛の妖の方だった。カチカチを歯を鳴らして威嚇をしながら徐々に下がり、最後に森の繁みの奥へと消えていく。
消耗していた白銀も追撃はしない。一番の目的は違うのだから。
「はぁ、はぁ……瑠衣!」
激しい戦いの最中にあっても、ピクリとも動かなかった瑠衣の元へと駆け寄る。
「死んでは……いねぇよな?」
恐る恐る頬を舐めると、血の通った人間の暖かさがあった。瑠衣に渡した首飾りは呪力を失っておらず、他の妖を寄せない結界を張り続けている。抵抗して呪力を使い過ぎただけだろう。その事実に安堵し、瑠衣へ覆いかぶさるようにしてその場にへたり込んだ。
何度も何度も、柔らかな頬や細い首筋を舐めてしまう。自分の匂いを瑠衣へ移そうかというかのように。彼女が眠っていなければ、くすぐったいと抗議をしてきたことだろう。
(ん……何かが変だぞ)
いくら舐めても反応がなく、さすがに白銀は不安を覚えた。細かな傷は幾つもあるが、いずれも致命傷となるほどではない。彼が舐めてしまえば塞がってしまうほどだ。心臓は規則正しく音を刻んでいる。それなのに目覚めないのはどういうことだ。
くんくん、と瑠衣の身体を何度も嗅いでから、やっと違和感の正体を発見する。瑠衣の身体の奥深くに、知らない匂いが埋め込まれている。彼女の呪力を封印するようにも思えるが、溢れ出した呪力は首飾りへと繋がり、一つの術を形成していた。
「助かったのはこいつのおかげか……」
瑠衣の呪力では、妖王級の妖には遠く及ばなかったはずだ。白銀が駆け付けるまで粘れたのは、首飾りへ溜められた呪力が一気に解放されたからだろう。こんな術を瑠衣自らが掛けたとは思えない。
考えられるとすれば――
「あいつの仕業だな……」
瑠衣によく似た呪力を持った女性。詳細は明かさなかったが、彼女は瑠衣の母親だと見当をつけていた。
「どうしたものか……」
まるで、選択肢を突き付けられたような気分になり、白銀は大いに迷った。術を解くのは可能だが、果たしてそれでいいのだろうか。瑠衣の呪力を元に戻したとして、寿命を全うすることはできるのだろうか。
しばし考えてから、白銀は重大な結論を下す。
余計なことをしたと恨まれるかもしれない。それでも彼女が危険な目に遭わず、ただの人間として安らかに過ごせるのであれば、手段を選ぶ理由になる。
「一つくらいオレの願いも通させてくれ」
白銀の呪力が瑠衣の胸元へと集まった。
白犬姿の白銀は森の中を疾走していた。
妖が森のそこかしこにたむろしている。その数は数十匹どころではない。気配の感じ取れない雑魚まで含めると、ゆうに三桁は超えているだろう。
うつ伏せに倒れている人間を発見し、白銀は側に駆け寄った。
「こいつも……駄目か」
鼻先で裏返すと、肩から心臓にかけて酷い傷があった。表情は恐怖に歪んだまま止まっている。藤の花をあしらった小袖に、薄紫色の袴には見覚えがある。
「一体なんだってこんなことになったんだ?」
人間の犠牲者は全て妖狩りだった。それも一人や二人ではない。森へ入ってから既に、十人以上の死体を発見していた。
この森は人間が妖王級と呼ぶ妖が支配する森。いくら妖狩りでも、簡単に足を踏み入れていい場所ではない。妖狩り自身がそんなことは理解しているだろうに、どうしてこんな馬鹿げた攻撃を敢行したのだろうか。
(間に合ってくれよ……!)
白銀は気を取り直して走り出す。
自分を呼ぶ声は途切れてしまったが、気配はまだ感じ取れる。縄張りに侵入してきた白銀を排除しようと、殺気だった妖が攻撃してきたが、ある時は氷で足止めをし、ある時は鋭い牙でかみ砕いて先を急いだ。
何匹の妖を屠っただろう。自分でも数えきれなくなった頃、少し開けた場所にたどり着く。その中心では、巨大な蜘蛛の妖が少女を組み伏せていた。こいつこそが森を牛耳っている妖に違いない。
ゆっくりと蜘蛛の妖がこちらを向く。
「その娘を放しやがれっ!」
森中に響き渡るほどの方向を上げ、蜘蛛の妖へ攻撃を仕掛ける。
だが、さすがは妖王級と呼ばれる妖。白銀の氷の攻撃は、蜘蛛が吐き出した糸に絡めとられてしまった。今まで出くわした雑魚とは一味違う。こんな時でなければ、白銀も勝負を挑もうとは思わなかっただろう。
それでも、今の白銀には戦うだけの理由があった。倒れている娘を――瑠衣を救わなければいけない。彼女に渡した首飾りを通じて聞こえた救援の悲鳴。ここで恩を返さねば、いつ返すというのだ。
(それに、頼まれたしな)
傷を癒していた森を去る時に、一人の女性に出会った。瑠衣にそっくりな呪力の持ち主は、まるで今の姿を予見するような言葉を残し、瑠衣を託していった。妖が妖狩りに頼み事をされるとか、その時は理解できなかったが、その憂いは間違っていなかった。
「さすがに強ぇよなぁ」
傷だらけになりながらも、白銀は一歩も引かなかった。勇気を奮い立たせ、蜘蛛の妖へ何度も何度も妖力をぶつける。
半日にも及ぶ戦いの末に、根負けをしたのは蜘蛛の妖の方だった。カチカチを歯を鳴らして威嚇をしながら徐々に下がり、最後に森の繁みの奥へと消えていく。
消耗していた白銀も追撃はしない。一番の目的は違うのだから。
「はぁ、はぁ……瑠衣!」
激しい戦いの最中にあっても、ピクリとも動かなかった瑠衣の元へと駆け寄る。
「死んでは……いねぇよな?」
恐る恐る頬を舐めると、血の通った人間の暖かさがあった。瑠衣に渡した首飾りは呪力を失っておらず、他の妖を寄せない結界を張り続けている。抵抗して呪力を使い過ぎただけだろう。その事実に安堵し、瑠衣へ覆いかぶさるようにしてその場にへたり込んだ。
何度も何度も、柔らかな頬や細い首筋を舐めてしまう。自分の匂いを瑠衣へ移そうかというかのように。彼女が眠っていなければ、くすぐったいと抗議をしてきたことだろう。
(ん……何かが変だぞ)
いくら舐めても反応がなく、さすがに白銀は不安を覚えた。細かな傷は幾つもあるが、いずれも致命傷となるほどではない。彼が舐めてしまえば塞がってしまうほどだ。心臓は規則正しく音を刻んでいる。それなのに目覚めないのはどういうことだ。
くんくん、と瑠衣の身体を何度も嗅いでから、やっと違和感の正体を発見する。瑠衣の身体の奥深くに、知らない匂いが埋め込まれている。彼女の呪力を封印するようにも思えるが、溢れ出した呪力は首飾りへと繋がり、一つの術を形成していた。
「助かったのはこいつのおかげか……」
瑠衣の呪力では、妖王級の妖には遠く及ばなかったはずだ。白銀が駆け付けるまで粘れたのは、首飾りへ溜められた呪力が一気に解放されたからだろう。こんな術を瑠衣自らが掛けたとは思えない。
考えられるとすれば――
「あいつの仕業だな……」
瑠衣によく似た呪力を持った女性。詳細は明かさなかったが、彼女は瑠衣の母親だと見当をつけていた。
「どうしたものか……」
まるで、選択肢を突き付けられたような気分になり、白銀は大いに迷った。術を解くのは可能だが、果たしてそれでいいのだろうか。瑠衣の呪力を元に戻したとして、寿命を全うすることはできるのだろうか。
しばし考えてから、白銀は重大な結論を下す。
余計なことをしたと恨まれるかもしれない。それでも彼女が危険な目に遭わず、ただの人間として安らかに過ごせるのであれば、手段を選ぶ理由になる。
「一つくらいオレの願いも通させてくれ」
白銀の呪力が瑠衣の胸元へと集まった。