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「うわぁ、お綺麗です~!」
 頭の上で纏めた髪に簪を差してから、美桜が感激したように胸の前で両手を合わせる。
「そ、そうですか?」
 真紅に雪のような白で縁どりされた衣装は、この屋敷で初日に祝われた時に着たものよりも、さらに派手に、豪華になっている。婚儀に使う衣装となれば白無垢では、とか思うのだが、妖はそのあたりどうでもいいらしい。白銀自身が白を着るから、瑠衣はオレの瞳の色をくれてやる、というとのことだ。
(白銀にとっては、赤も大切な色なのかもしれない)
 その色に染まれということであれば、喜んで真紅をこの身に纏おう。実際、背が高めで凛とした雰囲気の瑠衣に、赤という色はとてもよく映えた。
 今日は、村へ二人を正式にお披露目をする日。白銀とは何度も一緒に村へ下りていたから、二人が結婚しているということを知らない者はいない。だが、白銀のめでたい話を、村で祝わないわけにはいかない。そんなわけで、収穫も一段落したこともあり、本格的な冬に移行する前に大きな宴を開こうということになったのだ。
「白銀様~! できましたよ~!」
 美桜が叫ぶと、部屋を区切っていた襖が勢いよく開いた。着付けを待っていた白銀だ。襖を開いたそのままの姿で固まり、目を真ん丸に見開いて瑠衣を見詰めてくる。
「あの……どこか、おかしいですか?」
「そんなことはねえぞ!」
 ぶんぶん、と首が取れるかと思うくらいに、白銀は強く首を横に振った。
「びっくりするぐらい綺麗で、見惚れちまっただけだ。これじゃあ、オレのほうが貧相だよなあ」
「何を言っているのですか。白銀も雪の化身のような姿で、わたしのほうこそ隣に立つことは許されるのでしょうか」
「今さら怖いのか?」
 瑠衣は微笑んで頷いた。
「はい。幸せすぎて」
 幸せ過ぎると思った。早くに父も母も亡くし、妹を守らなければと思っていた矢先に、今度は自分が呪力を失ってしまった。何とか命は助かったが、妖に毒を喰らわせるための生きた餌として育てられてきた。自分の最期は妖の餌食となる日だと思っていたし、それで舞衣を守れるのならば本望だと諦めていた。
 ところが白銀は、およそ妖狩りの考える妖の常識の範囲外の者だった。悪徳領主から村を救い、妖除けの結界を張り、害獣からも田畑を守っている。そして、生贄のような身分で引き取った瑠衣を、本当の花嫁として迎えてくれた。香のおかげで外出もままならなかった彼女にとっては、まさに夢のような場所だった。
 白銀が右の手の平を上にして瑠衣の前に差し出す。
「もしかして、夢とか思ってんじゃねえだろうな?」
 その上に自分の手を置きながら瑠衣はこたえる。
「夢ならば、一生覚めない夢を見たくございます」
「そうかい。じゃあ、覚めない夢を見に行こうか」
 はい、と瑠衣は頷いた。
「せっかく着飾ったんだからな。転ぶなよ?」
「そのようなこと、言われずとも……わわっ!?」
 言ったそばから着物の裾を踏み、瑠衣は前のめりに倒れそうになった。素早く白銀は支えると、そのまま横抱きにして持ち上げる。
 くすくす、と美桜が堪え切れないように笑った。
「いきなりやっちゃいましたねー、瑠衣様」
「本当だぜ。無理して強がるからこんなことになる」
 そうだそうだ、とばかりに白銀。彼の腕の中で瑠衣は頬を膨らませた。
「……ふつつかな嫁で、すみません」
「ま、妖の嫁だし、人間風にする必要はねえな。オレのやりたいようにやらせてもらおうか」
 瑠衣を抱えたまま白銀は部屋を出た。屋敷の外には、瑠衣を乗せるための輿が用意されている。そこまで瑠衣を抱いたまま運ぶことに決めたようだ。
 中庭を抜け屋敷の門を出ると、腰を用意していた男達の間から、おお、と感嘆したような声が漏れた。
 先導役として来ていた源九郎が代表して一歩前に出る。
「これはこれは、白銀様、瑠衣様。まるで素晴らしい一枚の絵のようですな。いや、どのような絵師がこの姿を描いたとしても及びますまい」
「だってよ、瑠衣。褒められたぜ?」
「もう、源九郎さま。お世辞が良すぎです。このような登場になったのは、屋敷で転びそうになったからなのですから」
 瑠衣の告白に、男達の間からどっと笑い声が上がった。少しだけ緊張していた雰囲気が柔らかなものとなる。かっかっか、と源九郎が笑った。
「瑠衣様のおかげで、楽しい宴になりそうですな」
 白銀が輿の上に瑠衣を座らせると、耳元で小さく囁いてくる。
「疲れると思うが、頑張ってくれ」
「いいえ、村のみなさまにお祝いされると思えば容易いこと」
 白銀の手が瑠衣の頭を撫でようとして、今日は綺麗に髪を作っているのに気付いたのだろう。背中に軽く触れてから輿の横に立つ。
 ゆらりゆらり、と男達に担がれた輿が街道を下る。目的地は村で唯一の神社だった。祭事はいつもそこで行われているらしい。源九郎曰く「小さな村だからの。みんな騒ぐ口実がほしいのでして」とのことだった。
「うわぁ……きたよー、花嫁さま!」
 瑠衣の到着を待ちきれなかった子供達が、瑠衣一行を見ようと街道を下りたところで待ち構えていた。「きれい~」「お人形さんみたい~」「白銀様もかっこええ」などと、きゃあきゃあ言いながら、輿の回りを走り回っている。手を小さく振ってこたえると、さらに大きな歓声が上がった。
 尤も、大人達も気になっている者がいたようだ。子供を注意する振りをしながら、瑠衣と白銀をちらちら見ていたりする。
「いやはや、これでは村の者を全員連れて神社に行く羽目になりそうですの」
 呆れたような源九郎の声に、瑠衣はくすりと肩を震わせた。
 だが――
(……おかしい)
 楽し気な村人達にこたえながらも、瑠衣はどこか違和感も覚えていた。
 いつもと雰囲気が違う。具体的な何かを言葉では表現できないが、何かが歪んでいる気がする。空を飛ぶシャボン玉が、風に吹かれて形を変えるような。
 白銀に伝えるべきなのだろうかと迷う。呪力がないことを自覚しているだけに、この感覚が合っているのか自信がない。今日という大切な日でなければ知らせていただろう。
(どうしよう……)
 隣を歩く白銀へ視線を向ける。彼はニコニコと笑顔を振りまいており、その心の中までは窺い知れない。
(考え過ぎなのだろうか)
 違和感には気が付いているが、問題ないと判断している可能性だってある。
 街道を進んでいき、神社の鳥居が見えてきたところで、瑠衣は疑念を振り払った。白銀の強さは何度も見ている。何か事件が起きたとしても、問題なく対応できるはずだ。
(舞衣は……とうとう来てくれなかったな)
 神社で待っていた人々を見回して、その姿がないのを寂しく思う。
 文を出す回数が少なかったのは瑠衣も反省したのだ。舞衣が屋敷を訪れた日からは、報告のためだけではなく、日々の出来事もしたためて文を送った。
 政重からの返事では、よくやったと褒められた。当初の予定とは異なってしまったが、これ以上の被害が広がらないのであれば、目的は達したと。引き続き妖の元に留まり、最後まで見届けよ、と。
 体のいい厄介払いだ、とは感じた。それでも、お互いに利益があるのならば、ここは割り切るべきだろう。
 だが、文を読んでいるであろう舞衣からは梨のつぶて。今日の宴への参加も催促したのだが、一度も返事を貰えなかった。舞衣よりも大切な人ができたと誤解されてしまったのだろうか。
 正確には、それは違う。
 二人とも同じくらい大切な人であり、比べられるものではないのだ。白銀とともにあることを決めたからといって、舞衣が必要なくなったというわけではない。夫婦と姉妹という関係性の違いだけで、舞衣を想う気持ちは今までと変わっていないのだから。
「瑠衣? 疲れたか?」
 白銀から声を掛けられて、瑠衣は顔を上げた。考えているうちに、目的の神社へと到着していた。右手を差し出してくれている。瑠衣はその手を握ってから微笑む。
「いいえ。全く問題ありませんよ」
「ここで転んだりするんじゃねえぞ? 笑いを取るにはそれもいいかもしれねえが」
「そのときは白銀が支えてくれるのでしょう?」
 座りっぱなしで身体は固まっていたが、白銀がやすやすと引き上げてくれた。
 さすがに二回も転ぶわけにはいかない。瑠衣は着物の褄を取ってゆっくりと足を前に進めた。輿から下りて、二人分の大きさの台座が用意された場所へ向かう。数歩の距離だが、瑠衣にはとても長く感じた。
 やっと台座へたどり着き、白銀の手を借りて上がった。振り返ると、村の人達が固唾を呑んで二人へ視線を向けていた。
「みんな待たせたな。もう知ってると思うが、オレが妖にもかかわらず、嫁いでくれた瑠衣だ」
 何か一言を、と白銀に背中を押される。
「みなさま、今日はありがとうございます」
 瑠衣は遠くまで届くよう声を張った。
「みなさまの苦労を、この白銀が解放してくれたと聞きます。わたしが白銀といた時間はまだ少ないですが、彼がどんなに慈悲深く、人間たちのことを考えているかを知りました。何の力も持たないわたしですが、精一杯、白銀を支えていきますので、どうか、どうかよろしくお願いします!」
 瑠衣の力の籠った宣言に、村の者達がわっと湧いた。そのまま、待ちきれないといった様子で宴へとなだれ込む。
 今日は人間達の宴だから、妖が妖力で物を運んだりとかはない。用意された酒樽が人力で割られ、なみなみと枡に酌んで配られる。神社の中央には大きな焚火があり、その側に用意されている料理へと人が殺到した。
 大いに飲み、大いに食べる。今日のために用意された酒に食事は、村人総出でも食べきれないほどだ。
 白銀と瑠衣の元には、最初に源九郎が挨拶に現れて、後は次から次へと途切れることがなかった。その一人一人に、瑠衣は感謝の言葉を述べ、ふわりと微笑んで幸せのおすそ分けをしていく。
 楽しいながらも騒々しい風景。
 だから――瑠衣は完全に気配を掴み損ねた。
 轟っ!
 突然、雷が落ちたかのような轟音と共に、殺気の塊が祭りのど真ん中にさく裂した。
「なっ……!?」
 爆発したように焚火が激しく燃え上がり、鞭のようにしなる鋭い刃が森の木々を薙ぎ倒していく。神社を囲む森の中で、影が素早く動くのを視界の端に捕らえた。
「瑠衣はオレの後ろへ下がれ!」
 混乱で村人達が右往左往する中で、さすがに白銀は冷静だった。迫る鞭の刃から瑠衣を守りながら、村人達へと叫んだ。
「狙いはオレだ! 他の者はさっさと逃げろ!」
 悲鳴を上げながら、我先にと村の人々が神社から逃げて行く。白銀の言葉通り、襲撃者の狙いは村人ではないようで、そちらには全く刃が向かわない。
「隠れてねえで、出てこい!」
「言われるまでもないよ!」
 木の影から、草を踏み分けて現れた姿に、瑠衣は息を呑んだ。
「舞衣……どうしてここに!」
 いくら文を送っても返事のなかった相手がここにいる。
「そんなの当り前じゃん。助けに来たよ、お姉ちゃん」
「助けにって……。この状況をあなたは見ていたのでしょう?」
 この、わからずや――と、瑠衣の頭は沸騰した。感情のままにまくし立てる。
「村の人達の顔を見たでしょう。子供達の顔も。こんなにも祝福されているのに、あなたはそれでも信じられないの!」
「違うよ。そんなの関係ない!」
「舞衣!」
「違うんだってば!」
 声を荒げた瑠衣に被せるようにして舞衣が叫んだ。その声には、どこか悲痛なものが混じっているような気がした。
「何も知らないお姉ちゃんに教えてあげる」
 じりじり、と白銀と対峙しながら舞衣が低い声音で続ける。
「妖狩りの間ではね、お姉ちゃんもろとも殺してしまえって話が出てるんだよ。あたしはそんなの絶対に嫌。政重様が一度だけ機会を貰ってきてくれたんだ。あたしがその妖を倒して、お姉ちゃんを連れて帰る」
「なっ……」
 妖狩りは……いや、政重は諦めていなかったのだ。文の返事を無邪気に信じた自分の迂闊さを呪う。あれは、こちらを油断させるためだったのだ。瑠衣と白銀。確実に二人ともを殺すために。
「安心して、お姉ちゃん。政重様は寛大な処置で済ませてくれるみたい。妖に魅入られちゃったお姉ちゃんを、元通りにしてくれるって約束してくれた」
(元通り……?)
 その単語に、瑠衣は違和感を覚える。だが、それを問い質す前に、舞衣のほうが仕掛けてきた。
「妖め――お姉ちゃんを返して!」
「待って! 舞衣!」
 瑠衣の制止も虚しく、舞衣の呪力が膨れ上がった。舞衣が持つ刀が鞭のように変化し、白銀を四方から襲った。
「白銀っ!?」
 悲鳴を上げる瑠衣。だが、すぐに土煙の中から無傷の白銀が姿を現す。白い氷のような結界を周囲に纏っていた。
「まったくよう。せっかくの宴が台無しになっちまった。これは瑠衣の妹といえど、ちぃっとばかし、痛いお仕置きをしてやらねえとな」
 白銀の妖力が周囲の温度を下げた。もう一度、制止の声を上げるも二人は止まらない。瑠衣の見ている前で、呪力と妖力がぶつかり合った。激しく風が吹き荒れ、宴に用意されていた料理や酒樽が吹き飛んだ。
 さすがは何度も妖狩りを退けたという白銀。最初は舞衣も善戦していたが、徐々に押されていった。
「くぅっ!」
 舞衣の武器が手から弾き飛ばされ、空中に浮いた彼女の身体が背中から地面にたたきつけられる。
「これで終わりだな」
 倒れた舞衣へ白銀の右手が向けられる。そこに白い妖力の塊が膨れ上がった。
 このままでは舞衣が氷漬けにされてしまう。瑠衣は躓きそうになりながらも走り、何とか二人の間に割って入ると、両手を大きく横に広げた。
「殺さないで、白銀!」
 勝負はついた。舞衣に戦う手段は残されていない。
「……ま、そうだろうな。安心してくれ、オレもそのつもりはなかった」
 まるで予想していたかのように、白銀が小さく肩をすくめた。同時に彼の身体から放たれる殺気も消えていく。
 瑠衣は振り返ると、半身を起こした舞衣へ声を掛けた。
「舞衣、大丈夫?」
「お姉ちゃん……」
 諦めていないその瞳に、ヒヤリとしたものを感じる。
「しっかりしてよ、お姉ちゃん。操られてるんだよ?」
「わたしは自分の意志でここに残っているの」
「いくら言われたって、あたしは信じないよ」
 頑固なまでに舞衣は言い張った。
「本当にそう思ってるなら、あたしと一緒に政重様のところに戻って、それを証明してよ。どうしてそんな簡単なことができないの?」
 舞衣の言葉を聞いて、またもや瑠衣は返答に窮した。
 一回目の死では、政重に殺される姿を見ていたはず。家に戻れば死が待ち受けている。しかし、その記憶があるのは自分だけとすれば、舞衣のこの反応は当然だ。
「やっぱり、できないじゃん。これが魅入られてるってことだよね。操られて何も見えなくなっちゃったんだね……いま解放してあげる」
 凄絶な笑みに瑠衣の頭の中で警報が鳴る。異変を感じた白銀が、瑠衣へ手を伸ばした。
「妖狩り! 今よ!」
 叫んだ舞衣の声に、神社の建物の中から、きらりと光るものが見えた。
(油断した!)
 襲撃者は一人ではなかったのだ。舞衣へ注意を向けさせて、その隙を突く。白銀の位置からは死角となっており、もう一人の襲撃者に気付いていない。きりきり、と弓を引く男の姿が見えた。
「白銀!」
 ――間に合わない!
 瑠衣の身体は反射的に動いていた。
 体を入れ替えるようにして、白銀と飛来する矢の間に自分の身体を入れる。白銀を突き飛ばしたのと、自分の背中に衝撃が走ったのは同時だった。
「る、瑠衣!」
 白銀が叫んだそのときには、のけ反った瑠衣の胸から、朱に染まって光る矢じりが突き出していた。
(よかった……止まった)
 自分の細い身体では盾にすらならないのではないかと、それだけが心配だった。
 崩れ落ちる身体が、白銀の両手に抱きかかえられる。
「瑠衣、しっかりしろっ!」
「お、お姉ちゃん!?」
 白銀だけでなく、舞衣の絶望したような声も聞こえた。
(四回目とかあるのだろうか……)
 忍び寄る死の気配を感じながら、悲壮感の欠片もなく瑠衣はそう考えていた。
(次はどうやって生き延びよう)
 本当に死ぬ気がしない。
 そんなことを思いながら、瑠衣は三度目の死を迎えた。