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「――源九郎さん。これで足りていると思うのですが」
 ひのふの、と数えてから、瑠衣は手元の目録を源九郎に差し出した。
「いつもすまないねえ。瑠衣様が来てから、とても助かっておりますの。みなのもの、これも一緒に持っていくぞい」
 源九郎の指示を待っていた男達が一斉に動き出す。
 白銀の屋敷の中庭には、幾つもの荷車が置かれていた。その前には、屋敷から持ち出した、たくさんの木箱や樽。中身は塩や味噌といった生活必需品に、煙草やお酒といった嗜好品もある。他には着物のための布や、農作業で使う鎌や鍬といったものも少々。
(今日も大丈夫そう)
 男達が荷物を積み込むのを見ながら、瑠衣はもう一度荷物を確認する。目録がなくとも、今日の荷物は全て暗記していた。
 悪徳領主から解放された代わりに、盆地の村は外の世界から隔離されたようになっている。白銀が妖であることがその弊害だ。
 いくら盆地の村を守っているとはいえ、他の村の人間から見れば妖でしかない。旅人はもちろんのこと、商人すら訪れない。村では米や野菜を作っているおかげで、食べるには困らないが、それを元手に交換していた物資が手に入らないのは痛手だった。
 それらの必要な物資を取りまとめ、人型に化けられる配下の妖を使って、別の村へと買い出しに行かせる。白銀が長机の上で何枚もの紙を広げていたのは、村からの陳情をまとめていたのだ。
「うむ。瑠衣様。今日も一つも過不足なく、とても助かりますの」
 全ての物資を荷車に積み終わり、屋敷の表の街道に出てから源九郎が頭を下げる。
「いえいえ。村では白銀が結界に綻びがないよう頑張っていますので、わたしもこのくらいのことはいたしませんと」
「ははは。白銀様よりも上手くやっておられていますぞ。何しろ数が合わないことが日常茶飯事でしたから」
「それは本当に何よりです。また足りないものがありましたら、遠慮なく申してください」
 呪力のない瑠衣が、結界を張る仕事について行ったところで邪魔にしかならない。算盤が苦手だと白銀が言っていたのを思い出し、瑠衣のほうで引き受けたのだ。
 最初のうち白銀は心配していたのだが、すぐに瑠衣のほうが上手くやることに気が付いたようで、お金の管理まで含めて一手に引き受けている。
「ああ、そうじゃ」
 門の外まで見送ったところで、去り際に源九郎が振り返る。
「こちらの収穫もそろそろ区切りがつきそうでしての。お二人を祝う祭りを開きたいと考えていますのじゃ。白銀様には許可を頂いたのじゃが、瑠衣様も問題なかろうか?」
「わたしなどのために……本当に、ありがとうございます。白銀が問題ないのであれば、わたしに異論などありません。楽しみにしておきます」
「それはよかったですじゃ。日取りは追って伝えるので、しばしお待ちくだされ」
 はい、と頷いて瑠衣は頭を下げた。荷車が街道を下り、一度だけ源九郎が振り返って手を振った。それに応えてから、瑠衣は屋敷へと戻った。
(さて、今日も終わった)
 中庭へ行くと、妖達が庭を片付けていた。蔵からの荷物を荷車に乗せやすいよう、荷造りを直したりする過程で、細かい塵などが落ちている。瑠衣も手伝おうとしたのだが、粗方終わってしまったようだ。
「みなさん、ありがとうございます。手際がよくなってきましたね」
「いいえー! 瑠衣様のおかげですよ!」
 片手に蔵の鍵を持った、美桜の元気な声が中庭に響いた。蔵の片付けをしていたのだろう。頭に巻いていた手拭いを外しながら瑠衣の横に立つ。
「これまでは一日仕事だったんですけどねー。瑠衣様が采配してくれるようになってから、半日で終わるようになりました! 妖一同、喜んでますよ!」
「わたしは少しだけ助言をしただけですよ」
 美桜の手放しの賞賛に、瑠衣はいやいやと謙遜した。
「またまたぁ! 白銀様は、けっこう適当でしたからね。蔵への荷物の入れ方とか、積み込む段取りとか、それはもう、何度もやり直したりしていたのですが、瑠衣様は一発で決めてくれるんですから!」
「効率よく進めるための、ちょっとしたコツを知っているだけですよ」
 白銀は妖力という力技で何とかしてきたのだろう。自分はそれと同じ芸当はできないので、きちんと段取りを組み、妖達の力を効率よく使えるようにしただけだ。同じ方法を白銀が取れば、もっと早くできるはずだ。
「さてさて、お仕事も終わったところで」
 中庭が埃一つなく綺麗になったところで、ニンマリと美桜が笑った。
「おやつとしませんか!? 実は白銀様が、頑張ったご褒美にと甘味を用意してくれているのですよ! 一緒に食べましょう!」
「甘味ですか、ありがとうございます」
 抑えようとしても勝手に口元が緩んでしまう。何を用意してくれたのだろうか。部屋に上がってそわそわしていると、すぐに美桜がお饅頭とお茶を持って戻ってきた。
「本当にご苦労さまです!」
 美桜の隣に座ると、熱々のお茶を前に出してくれた。ススキの描かれた大皿の上には、お饅頭が三角形の山を作っていた。思わず瑠衣は歓声を上げてしまった。
「うわぁ、こんなにたくさん! 本当にいいのですか?」
「もちろんです! 本当に毎日ご苦労さまですよー」
 さっそく瑠衣は右手を伸ばし、黄金色の饅頭を手に取った。二つに割ると黒い餡がいっぱいに詰まっている。片方を食べると、口いっぱいに甘味が広がった。
「お口に合いましたかー?」
「ありがとうございます。柔らかくて、餡もちょうどいい甘さですね。夕餉が入らなくなるほどに食べてしまいそうです」
 すぐに一つ目を食べてしまい、二つ目に手を伸ばす。美桜も、あはは、と笑いながら自分の分の饅頭を確保した。
「本当は白銀様もご一緒したかったらしいですけど、収穫時期は普通の獣も追い払わないとですからね。結界の強化にも余念がないんですよ!」
「なるほど。それで最近、帰ってくるのが遅かったりしているのですね」
「収穫が終わって冬になれば、やることも少しは減りますから。瑠衣様も、もう少しだけ辛抱をお願いします!」
「辛抱とか、大袈裟ですよ」
 みるみるうちにお皿の饅頭の山は減っていき、最後に二人で一つを分け合った。熱々のお茶を啜りながら美桜が言う。
「でも、瑠衣様が早くにこの屋敷に馴染んでもらえて、本当によかったですよー。妖屋敷なので、実は心配してたのです。屋敷に来たときなんて、瑠衣様、生贄ですかって香りをしていましたし」
「そ、その話はもうよしてください」
 茶化してくる美桜の言葉に苦笑してしまう。あの時は、自分をいかに喰らわせるしか考えていなかった。
「あはは。白銀様でなければ、完全に妖の食事にされていましたよ。ですけど、今だって瑠衣様は、とてもよい香りをされているんですけどね」
「そ、そうですか?」
 くんくん、と自分の匂いを嗅ぐ。
「あ、そういう香りではないですよ! 瑠衣様の呪力が、妖にとっては、ポカポカした感じで心地よいのですよ。この屋敷を包み込んでくれていて、みんなとても喜んでいますよ」
「それは気のせいでしょう。わたしに呪力はないのですよ。むしろ、そのおかげで、みなさん安心できているのでは」
 呪力を持たないからこそ、己の身に毒を宿すという荒業が正当化されたのだ。妖にとっては、無害な娘だと思わせるために。
「自分ではお気づきではないのですね……。ま、そういうことにしておきましょう!」
 少しばかり美桜は不満そうだったが、こだわる様子はないようだ。空になった湯呑みをお盆に乗せてから立ち上がった。
「さて、わたしも結界の手伝いに行ってきますかねー。わたしがいなくても、瑠衣様は大丈夫ですよね?」
 確認するように訊いてきた美桜へ、もちろんと瑠衣は頷いた。
「美桜様も気を付けてくださいね」
「大丈夫ですよー。あたしも強いので、そんじょそこらの妖には負けません!」
 足取り軽く部屋を出る美桜を見送ってから、瑠衣も立ち上がって自分の部屋へと向かった。中に入ってから、部屋の中央に置かれている香箱の前に座る。香を焚く準備を手際よく進めながら考える。
(そろそろ、二回目にわたしが死んだ日がやってくる)
 政重の元へは、二回目と同様の文を出した。その結果がどう来るかはまだわからない。
 もちろん、嫁入り道具と一緒に毒が送られてきたとしても、それを自ら煽ったりするつもりはない。その先の未来で、どのような事象が待ち受けているのだろうか。
(だけど、わたしも座して待つつもりはない)
 香に火を点けてから静かに目を閉じる。すぐに甘やかながらも、凛とした静謐な香りが部屋に漂う。これは、自分を妖の餌にするために焚いていた香ではない。志乃の記憶を元に再現した香だった。
(香りだけではあるのだけど……)
 志乃から封じられたものが何か、未だに瑠衣は理解できていない。初任務の失敗で呪力を失うまでは、不自由なく呪力を操れたからだ。残念ながら既に志乃はこの世にはいない。自力でその謎を解かなければいけない。
 これが繰り返しに関係あるのかはわからない。むしろ、何年も昔の話なので、全く関係のない可能性の方が高い。それでも、答え探しを放置するわけにはいかないと、瑠衣の中で叫ぶ者がいる。
(お母様は、わたしに何を伝えたかったのだろうか)
 香の紫煙を身に纏いながら、瑠衣はひたすら瞑想を続けた。