露草と私だけ、この教室から切り取られたような、奇妙な錯覚を覚える。


 なのに雨音だけがクリアに聴こえる。



「……えっと」


 答えに詰まった私を最初から読んでいたのか、なんてこともないように露草は、席を立って悪戯っ子のように笑う。


「真剣になりすぎなんだって、桜乃は」

「え、だって露草が真剣だったから……ちゃんと答えなきゃ、って」

「だな。悪い、先生に提出書類持っていかないと。桜乃は完璧なんだろ、さすが」

「もう、からかわないで。そんなことより早く行かないとまずいと思う。“露草”って聞いただけで眉間にしわできてたよ……?」

「……マジか」

「今ならたぶんきっと! 許してもらえるんじゃないかな、本当に、たぶんだけど」

「じゃあ行ってくる!」



 走り去ってゆく露草を見送りながら、やっぱり心配で後をついて行ってみる事にした。すぐ追いつくはず……そう思っていたのだが、いつの間にか忽然と消えていた。



 まるで神隠しに遇ったかのようだ。


 職員室に行ってみればわかるのだろうか?


 でもここから少し遠い――のに。



 雨音だけが響く中廊下を小走りで駆けてゆく。いつもなら“廊下は走らない”という当たり前の文句が、今日は思い浮かばなかった。



 六月の花である色鮮やかな紫陽花のポスターが校内の掲示板で、静かに光を放っている。美術部が製作したものとあって、それはまるで名画のようでもあった。


――露草も美術部入ろうかな、とか言ってたっけ……。



 ふとあの日を思い出す、あの日も確かこんな風に春の最果てで雨だった。露草の、あの美しい瞳の色のような。