正解を叩き出したのにもかかわらず、ミエは目の前にいる少女がそれだとはどうしても思えなかった。妖精というと、本当にティンカーベルしか思い浮かばないから。第一、体の大きさが人間と同じではないか。これではピーター・パンの顔の周りで飛び回ってウザがられる要素が何一つない。

「本当に妖精ですか?今まで会ったタヌキさんたちは、もともといるって知っていたから受け入れられましたけど……。私、見たことないですし。妖精なんて、いないんじゃ……」
「あっ!それ禁句!」

ミエが言い切る前に、黄昏さんが慌てて口を塞いだ。おかげで全て言えなかったが、黄昏さんだけではなくイダテンもほっと息をついていた。

―――何かマズいことでも言っちゃった?

目線を黄昏さんに投げると、手が口元から離れる。

「妖精に対して言ってはいけないワード第一位だよ、ミエさん」
「いないってことを……?」

心持ち小声になる。少女の耳に入れないためだ。黄昏さんは重々しく頷いた。

「存在の否定は、妖精にとっては生死に関わる大事なこと。思っていても口に出してはだめ。映画に描かれてなかったの?」
「うーん。覚えてない……」

黄昏さんは『ピーター・パンとウェンディ』をぱらぱらと開き、目当てのページを見つけるとミエに差し出す。なるほどそこには、確かに同じことが書かれている。同時に、どうやったら妖精が誕生するのかということも。
改めて、ミエは少女を見つめる。

「この子が妖精ってことは、もしかしてティンカーベルの仲間?」

確かに金の髪だし。安直すぎるだろうか。彼女以外妖精という妖精を知らないミエからしたら、そう思いたくなる。

「あたし、そんなにデブじゃない」

言われて憤慨したのか、ぱっちりと目を開き開口一番こう放った。

「デブ?ティンカーベルって痩せてない?」

ミエが首を傾げると、少女は返事のかわりにふんと鼻を鳴らす。

「ティンクがデブなのは常識でしょ。そんなことも知らないの?」
「す、すみません……」
「やだやだ。これだから人間の女は。無知なんだから」
「ごもっともです……」

言い返したい気分ではあるが、今のところ言い分に異論はない。知らなかったのはミエだし、デブだと罵っているその仲間だと思われたら怒りたくもなる。

「一体何の用?悪口言いに来たのなら、さっさと帰ってくれないかな」

思いがけず冷たい物言いをした黄昏さんに、ミエだけでなくイダテンも目を丸くした。ただし一番ものが言えなかったのは少女であるが。彼女はあんぐり口を開けてから、その唇を震わした。

「あたし別に、そんなつもりじゃなかったもん」
「どんなつもりだったんだよ。言っとくけど、ここには妖精の食べるようなものは置いてないよ」
「そういうのが食べたくて来たわけじゃないもん」
「なら本を?」

少女は首を振った。それきり俯いて、何も言わない。
見た目はまだ十代に見える。そんな子が何かに悲しんで打ち明けられなくて、一人で抱えている姿は見ていてつらい。きつい言いかたをされても、どうにかしてあげたいと思ってしまう。
ミエは出窓のミントを四つほど摘まみ取って、ティーポットの中に入れる。沸騰したお湯を注ぎ、うっすら透明な緑色に変わったころ、カップにうつして少女の前にそっと置いた。

「ハーブティーどうぞ」
「でも……」
「カロリーもカフェインも入ってないから安心して。気分も少し落ち着くよ」

少女は躊躇いつつ、カップに手を添える、中で揺れるミントの葉。爽やかな香りが鼻孔に入り込み、少女は一口飲んだ。それからほっと息を吐く。
まだ躊躇って何を話せばいいのかわからない様子。ミエは隣の椅子に腰かけた。

「お家では何か食べてるの?」

少女は、首を横に振った。

「何か食べないと」
「嫌よ。だって太るもの」
「どうしてそんなに太りたくないの?」
「人間にはわかりっこないわよ」
「他人の親切を踏みにじる妖精なんて、美しくないけど」

黄昏さんが言った言葉に、少女の目は潤んだ。
わかっていて、黄昏さんは彼女の気にしている言葉を選んだのだろうか。ミエは黄昏さんに言葉でたしなめる代わりに首を振った。黄昏さんはちょっと肩をすくめる。

「太ると、美しくなくなるって思うの?」

ややあって、少女は頷いた。

「きれいの基準なんて決まってないのに。どんな体型だって、その人らしければそれで十分美しいとは思わない?」
「……ママも、そう言ったわ」

ぐずっと鼻を鳴らす。

「でもあたしは嫌なの。細ければ細いほど、みんなから褒められるんだもん。細い方がかわいいの。デブは褒められないの。あたし、痩せてないと自信ないの……」

それは人間の世界でもある。
細い方がいいという風潮は、確かにある。そのために努力する人がいるし、それ自体は否定しない。けれど褒められたいために、自分の命を脅かすことはやりすぎだと思う。髪が抜けたり肌がぼろぼろになったりしては意味がない。ちょうどいいくらいが一番なのだが、その曖昧さがまた当人の不安を助長させる。

おとぎ話の妖精の手足は、確かに細くて美しい。けれどこんなにつらい思いまで手に入れてほしいとは思わない。美しい幻想の影にこんな苦しみがあるのなら、妖精への憧れなど捨ててもいい。

「ママは心がきれいならどんな見た目でも愛されるって言うわ。でも心を見てくれるには見た目が大事でしょ。見た目がだめだと、どんなに心が美しくても意味ないもん」
「今、あなたは自分が好き?」
「わからない。痩せている自分は好きだけど、気づくと食べ物のことばっかり考えてるの。こういう時の自分は大っ嫌い」
「何か食べたら、少し落ち着くかもよ?」
「嫌。食べたら、すぐ太っちゃう」

頑として少女は何も食べたくはないようだ。本人が嫌がるのなら、無理やり口に入れることはできない。こうやってお茶を飲んでごまかしていても、空腹は満たされない。それに飲みすぎて水分で体重が増えたように誤解されたら、今度は水一滴飲んではくれなさそうな気配がした。

―――どうしよう。

ミエは困り果てた。
こんな時黄昏さんなら何かいい案があるかも、とまで考えたが、最初から少女の拒食に対して否定的だった。むしろ言いくるめて食べさせるとでも言いそう。
ミエの困惑を悟ったのか、黄昏さんはため息をついた。

「じゃあどうしてここに来たんだよ。何か用があったから来たんだろう」

おずおずと、少女の顔が持ち上がる。黄昏さんを見上げた。

「今日何か食べなかったら、ママに人間の子と取り替えますよって言われているの。だからどうにかしなくちゃいけなくて……」
「取り替える?」

意味が分からず、ミエは首を傾げる。

「チェンジリングだな」

イダテンが言った。

「妖精はたまに、元気な人間の子どもと自分の子を取り替えるんだ。より頑丈な子どもを育てるためにな。混血にするためだとも言われているが。妖精はこんな儚い種族だ。それに星の輝きの消えかかった子どもは特に弱い。母親が取り替えると言ったとしても無理はないだろう」
「そんな。自分の子なのに。冗談ですよね?」

窺うように黄昏さんを見る。けれど、返事のかわりに目を伏せた。それが何よりの答え。少女はとうとう泣き出した。

「あたし取り替えられたくない。ママの傍にいたい。でも、食べられないの」
「食べられない?」

少女の言葉に、黄昏さんは眉を動かした。

「食べたくないんじゃなくて、食べられない?」

はっとしたように少女は顔色を白くさせ、決まり悪そうに目をそらす。

「……食べようとしても、口に入れる前に嫌になっちゃうの。たぶん、無理やり飲み込んだら吐くと思う」
「それって……」
「だからお願い。あたしでも食べられるようなものを作って!」

妖精は両手を胸の前で組んだ。
はっきり言ってしまえば、ミエには自信がない。
何を食べても同じ結果になってしまうのではないか。それによりもっと食事に恐怖心が芽生えて、もう口にすることすら叶わなくなるのでは。責任が、あまりにも重い。

―――でも。

助けを求めてやってきたのだ。母親から捨てられたくなくて。理由など何でもいい。今の自分を変えようと勇気を持って、ここに辿り着いたのだ。ミエはそれに応えてやりたい。