「我々は人間に手を出さない。今度もまた、抵抗せずに引っ越すつもりだった。だがキツネの迂闊な行動のせいで、大事な仲間のイタチくんが捕らえられてしまった。我々は彼を救いに行かねばならないのだ」

「ふうん。その手伝いを頼みに来たの?」
「いいや、あなたの手を煩わせるつもりはない」
「じゃあ何?」
「動物会議の代表として、第三者からの意見を伺いに」

確かにタヌキの冷静で理知的なものの言いかたは、代表の名にふさわしい。

―――動物会議。

ということは、もっと他にもものいう動物がいて、彼らはみな住処を奪われてしまったのか。人間の新しい住まいのために。
黄昏さんはカウンターに肘をついて手の甲に頬を乗せる。考え込む姿勢というよりは、そうやって彼らを眺めているだけにも見える。

「助けたければそうすればいい。でも人間には勝てないことを肝に銘じておきな。お前たちは手強いが、人間はしつこいぞ」
「戦わずして救出できれば、それに越したことはない」
「戦わないと助けられないのなら諦めな」
「そうやって人間だけが生き残っていくなんて!」

ウサギが声を上げた。

「俺たちは逃げ続けないと生きていけないのか?何も悪いことなどしていないのに。もううんざりだ!俺は戦うぞ、タヌキ爺。誰が何と言おうと、人間に痛い目を合わせてやるんだ!」
「忘れるな。イタチくんを助けるのが目的だ」
「人間は敵だ!イタチを助けて、住処も取り戻す!動物会議に掛け合えば、みんな俺に賛成してくれるだろ!なあ、キツネ!」

はっとして、キツネは目を見開いた。わなわなと口元のひげを震わせて、今にもまた泣き出しそう。どうにか堪えて、小さく頷いた。まるで自分が悪いのだから、埋め合わせをしないといけないというかのよう。

「やめたほうがいいけどねえ」

黄昏さんは言った。ウサギがきつく睨みつける。それからミエに視線を投げつけた。あまりの敵意に、ミエはたじろいだ。

「人間の味方か。その娘が人間だからか?」
「どちらかを選ぶつもりはない。共生を望むならやめておけって言ってるんだ」
「一方だけに利があることを共生とは呼ばない!」

はあ、とタヌキは再度息を吐いた。

「ウサギの意見ももっともだ。動物会議は多数決。せめて良い案をと思ったが……」

だが黄昏さんの意見は「やめておけ」なのだ。
一体どんな動物たちが会議に出ているのかわからないが、ここにいる三人が全く異なるというだけで察する。全てがタヌキのように冷静ではないだろう。中にはウサギのような人もいるはず。意見を決めかねて周囲にゆだねているキツネのような人も。
動物たちにとって、住まいを奪われ仲間を失うことは大きな打撃。それは人間にも同様のことが言える。
もし人間が理不尽に同じ目に合えば、どうするだろう。逃げる道を選ぶだろうか?それとも戦う道を選ぶだろうか?
答えはあまりにもわかりきっていた。
だからタヌキは意見の異なる仲間を率いて、混迷した会議の風通しを良くするためにこうしてやってきたのだ。
タヌキは立ち上がった。

「我々は行きます。おいしいお茶をどうもありがとう」

ウサギはふんと鼻を鳴らし、キツネはぺこっと頭を下げる。二人は先んじたタヌキに続いて、店を出ていった。
嵐が去り、しんと静まり返った店内。ややあって、ミエは深いため息をついた。安堵の息を。

「びっくりしたあ」

黄昏さんは困ったように眉を下げて微笑む。

「ごめんね」
「黄昏さんが悪いわけじゃ……。これからあの人たちどうするんでしょう」
「さあねえ。会議でもするんじゃない。そこで決まったことは僕らにはどうしようもないから」

そう言いながら黄昏さんは三人のカップを流しに下げる。洗っているその手元を見つめながら、ミエは先ほどの会話を思い出していた。

―――ウサギさん、人間の味方かって訊いてた。

だとすると、黄昏さんは人ではないのだろうか。ものいう動物が人に化けているのだ。ミエにはその化けの皮が剥がれなければ気づくことはなかった。

―――もしそうなら。

もしそうなら?どうだというのだろう。
恐れるだろうか。怖いと思って、自分から遠ざけたいと思うだろうか。それこそ駆除するかのように。

―――いや、しない。

相手を知っていれば無分別に退けたりなどしない。ミエはもう黄昏さんを知っている。まだ会ったばかりだとしても、もう他人ではないのだから。

「人間も、もっと動物を知るべきじゃないかな。そうしたら、ただそこにいるだけの動物に対して優しくなれるのに……」
「ミエさんは優しいね」

黄昏さんは手元から目を上げている。

「自分が生活をしやすいように環境を整えていくのは当たり前だ。邪魔なものを排除することも。人間と動物が理解し合って生きる時代はとっくの昔に終わってしまったんだ、残念だけど」
「でも、身勝手に追いやるのは間違っていると思います」
「場所を取り合って争えば一方は負けてしまう。負けたものが去る。これは仕方のないことなんだよ」
「……黄昏さんって、冷たいんですね」

ミエは俯いて、低い声で言った。顔を合わせてしまうと、言い聞かされて丸め込まれそうな気がしたから。

「私は、自然を破壊してまで環境を整えたいとは思いません。誰かの居場所を奪って、傷つけるのはおかしいです」
「……ミエさん」
「自分のために勝手なことばかりするのなら、そのせいで多少痛い目に合っても仕方ないんじゃないですか?動物から反撃されたとしても、人間は何も言う資格ないです」

黄昏さんは無言だった。
ここで言い争いをしても無意味だし、何の解決にもならない。ただその沈黙の中で、お互いの意見が交わらないことだけは確かにわかっていた。

冷たい人。ミエは黄昏さんに対して、はじめて否定的な印象を抱いた。
ぎこちない空気は昼を超え、夕方にまで伸びた。客という客は来ず、ミエは黙ってカップを磨いたりメニューを考えたりして過ごす。黄昏さんも特に何も話さず、黙って本を読んでいた。もっとも、黄昏さんに関してはミエに合わせてやっている感が否めなかったが。
陽が落ちたころ、扉が開いた。

―――こんな時間にお客様?

思いつつも、ミエはカウンターの向こう側で新しい客を出迎える準備をした。またものいう動物かもしれないという緊張を胸に抱いて。

「あれ?あなたたち……」

午前中にも見た客だ。ネズミ配達便の双子の男の子。
二人は一つの網籠を左右から両手で抱え、視界がほとんど覆われた状態でふらふらと店内に入ってくる。網籠は赤いチェックの布がかぶさっていて、中に何が入っているのか見えない。
ひょい、と黄昏さんが二人の手から籠を持ち上げた。

「おお、早かったねえ」
「こういうのはいっぱい注文が入るから」
「ストックしてんの」

青い子と赤い子という順番で口を開いた。

「はい、ミエさん。ご注文の品だよ」
「あ、ありがとうございま……。うおっ」

黄昏さんは籠を片手でカウンター越しのミエに手渡した。二人は抱えてきたが、そんなに重いわけではないのかなと考え、軽々しく受け取ったミエは、その重みに危うく取り落としそうになった。何気なく持ち上げたボールが、実は鉄の塊だったかのような意外さ。
思わず飛び出た声の低さに、黄昏さんは一瞬目を丸くした。それに気づき、ミエは恥ずかしさに顔を赤くする。うっかり漏らした声。できれば聞かないでほしかったんだけれど。

「あ、あーっ、ありがとう!何を持って来てくれたのかなあ?」

打ち消すように、ミエは努めて明るい声で籠を覆う布を取り払った。
卵、小麦粉、バター、砂糖。それから瓶に入った牛乳も。

「すごい。今日お願いしたものを全部持って来てくれたのね」

双子は生真面目な顔つきのまま、同じタイミングでこくりと頷く。なんという無表情。このくらいの子どもなら、もう少しはにかむとかするだろうに。

―――それとも、この子たちも動物が子どもの姿に化けているのかな。

だとしたら、正体は言わずとも察する。胸のイラストが物語っているではないか。道端を歩いていて遭遇したら腰を抜かすほど驚くが、こうして子どもの姿で現れてくれるとかわいらしいのに。

「何作るの?」

赤い子が訊ねる。
ちょこんとカウンターに座り、両手を机に乗せている。高さが足りず、顔の半分だけが覗いていた。

「特に決めてなかったけど……」

言いかけて、口をつぐむ。二人の露骨にがっかりした顔が現れかけたから。慌ててミエは言い直した。

「何がいい?こんなに材料があるから、何でも作れそう」
「何でも?」
「何でもって、何でも?」

二人は口々に訊ねる。ちょっと頬に赤みが差していて、浮かれているのがわかる。わくわくとした顔を見るのは、ミエとしても嬉しくなる。

「そうだなあ。一番時間がかからないのは……」

ホットケーキかなあ、と言いかけてやめた。二人とも食べ飽きてそうな気がした。ほとんど直感だが、この佇まいはどことなくそう感じさせる。

―――カステラ、だったかなあ。

一か八か賭けでどっちが食べたいか訊いてみようか。喉まで出かかったが堪え、子どもが特に喜びそうなお菓子を考えた。

「じゃあ、プリンは?」

嫌いな子どもはいない、はず。焦がしキャラメルに硬めのプリン。それかつつけば振るえるぷるぷるの。あの香ばしさは誰だって好きに違いない。
が、二人はプリンと耳にした瞬間、顔つきを変えた。嫌いなものを目の前に出された時の顔とそっくり。それか必ず飲まないといけない苦い薬を突きつけられた時のような。というか、ほぼそれではないか。

「プリンかあ」
「プリンはなあ」
「嫌い?」

まさかプリンが嫌いな子が?常識が崩れていく。

「嫌いじゃないけど、一個でじゅうぶん」
「甘くてべとべとするから、ポケットの中で溶けちゃうの」
「ポケット?」

この子たちは何でもポケットに入れるタイプなのか?プリンと言わず、ポケットの中に入れれば何でもそうなる運命にあると思うのだが。
疑問を抱き首を傾げると、黄昏さんがぷっとふき出した。

「前に僕がプリンって嘘ついてゼラチン菓子を持たせたんだ。今時期みたいな夏だったから、ポケットの中が悲惨なことになっちゃって」
「何でゼラチン菓子なんか……」
「プリンじゃなかったの、あれ?」

赤い子がちょっと驚いた声を上げた。とはいえ顔はまだ無表情のまま。
黄昏さんは「ごめんねえ」と大して悪びれもせずに笑いながら謝る。心なしか、双子の顔がむっとした、気がする。

「食べてみる?プリン」

ミエが訊ねると、双子はむすっとした表情に小さな花を咲かせ、小刻みに何度か頷く。