「まだ小さいのに、ご両親のお手伝いなのかな」
彼らの去った玄関をぼんやり見つめながら、ミエはぽつりと呟く。
「いや、二人はミエさんの先輩だよ」
「先輩?何の?」
「店を営む先輩」
「えっ」
あんなに小さいのに。
瞠目して思わず何も言えなくなったミエに、黄昏さんは謎を含んだ微笑を向けるに留める。疑問を訊ねたら返してきた先日のものと同じ。
「彼らは約束を守るよ。明日には全部揃えて持ってきてくれると思うから、それまではメニューでも考えてなよ」
「メニュー?……あっ、そうか」
急に体中がかっかと火照り出す。
「もう考えてた?」
「実はまだ……」
そう、メニュー。ここは今日からミエのお店でもあるのだ。飲み物と食べ物を提供するカフェなんだから当然用意してしかるべきもの。
頭では色々と空想していたが、いざ実際に考えてみると何がいいのか迷ってしまう。とりあえずお茶とコーヒーが必要なのはわかるのだけれど。
「ここのお客さんって、ああいう子どもやその両親が多いの?」
「うーん。そうでもないかなあ。ミエさんくらいの若い女の人も来るし、もっと若い男の子とかも。おっさんも来るよ」
「おっさ……おじさんも来るの?」
「向こうが必要になったらね」
「それじゃ、まるで必要じゃない人には見えないみたいじゃない」
思わず笑ってしまう。そんな児童書があった気がする。必要な人の目の前に現れる魔女のお店。店主の魔女が持っている魔法の指ぬきに、ミエは小さいころ憧れた。
冗談だった。にもかかわらず、黄昏さんはあの笑みだけを見せて何も言わなかった。
「……黄昏さん」
「お、噂をすれば」
黄昏さんの瞳が丸窓の向こうへと向く。そこからは店前に続く飛び石型の道がある。そこを、三人のおじさんが歩いていた。石から石へ飛んで、よろめくと両手を振って体勢を整える仕草を見せる。
ややあって、三人のおじさんは玄関扉を開いてやってきた。背広を着ている。
―――本当に、おじさんだ。
まず真ん中にいるのがずんぐりとした体形のタヌキみたいな丸い顔をしたおじさん。知性を感じる笑みを浮かべている。何事にも動じない雰囲気。年齢は五十代半ばに見える。役職的には課長くらい。抹茶色の珍しい背広を着ている。
向かって右側は反対にキツネ顔。痩せ型で、とんがった頬と釣り目。誰が見てもキツネ顔をしている。俯き気味なのが気になるが。タヌキのおじさんよりは若く見えるが、それだって四十代くらいだろう。小豆色の背広はまるで漫才師のよう。
最後に左。この人は、ちょっと表現が難しい。小さいというのが第一印象だけれど、どちらかというとこじんまりしていると言ったほうが正しい気がする。忙しなくきょろきょろと辺りを見回す目は、何かを警戒しているのだろうか。ウサギみたいにひくひく小さい鼻を働かせている。この人だけは背広を肩にかけて着崩している。でも、色は桃色。ウサギの鼻の色。
―――トリオ漫才師なのかな。いや、そんなわけないか……。
何がそんなわけないのかミエ自身よく理解していなかったのだが、なんとなく違うような気がした。第一、この店の雰囲気と噛み合わない。
タヌキのおじさんは、二人に向かってゆっくりとお辞儀をした。次いで両隣のおじさんも頭を下げる。それぞれの印象通りのお辞儀だった。
「お久しぶりです。ずいぶんきれいになりましたねえ」
タヌキさんはしみじみと言った。深みのある渋い声。馴染みの人なのだろうか。当たり前のようにカウンターの席に着いた。優しい瞳が、ミエに向く。
「こちらが新しい方ですな」
「あ、あの、はじめまして。有堂ミエです」
本日二度目の自己紹介を済ます。タヌキさんは胸のポケットから名刺を取り出してミエに与えた。
「“ぶんぶく亭”?」
「茶碗専門店です。といっても、売り歩きですが。最近は陶器を用いてティーカップやポッドなんかも販売しておりまして」
「うちの道具もここのだよ」
隣で黄昏さんは言った。カップを裏返すと、確かに同じ社名が刻まれている。洋風なティーセットに和名の刻印は不釣り合いでちょっとおかしい。笑みを零すと、タヌキさんは穏やかな微笑を返した。そしてぐるりときれいに新しくなった店内を見渡す。
「ブックカフェ?というのでしたかな」
「はい。今日からです。といっても、お出しできるのはお茶とコーヒーぐらいでメニューはまだ決まってないんですけど……」
「ではお茶をくださいな」
ミエは身構えた。きゅっと心臓が縮まる。
そうだ。これがお店なのだ。注文を受けて、提供するということ。
「だってよ」
横で黄昏さんが言った。
「は、はい」
緊張をほぐそうと、ミエはふうと息を吐く。戸棚からカップを三つ取り、小鍋に水を入れて火にかけた。
前もって黄昏さんが“ネズミ配達便”で茶葉を大量に注文してくれていた。何がいいのかわからないからとりあえず定番のものを、と注文したところかなりの種類が届いたらしい。
「ストレートと、ミルクに合うもの。あとはフレーバーティーも。どちらになさいますか?」
「ダージリンで」
真っ先にタヌキさんが言った。次いでウサギさんがアールグレイ。キツネさんはちょっと迷ってから、ミルクに合うものを、と言った。
淹れ慣れた種類で助かった。心持ちほっとした気分で淹れ終えると、三人の目の前にソーサーつきで提供した。タヌキさんは上品にソーサーごと持ち上げて一口すすると、ほうっと息を吐いた。
「この独特な香りと風味、そして紅茶色の薄さがダージリンのよさですな」
うんうん、と頷く。
「美味です」
まっすぐに褒められ、ミエは嬉しさと恥ずかしさでいっぱいになった。人に淹れたのは黄昏さんがはじめてだけれど、何度褒められても嬉しいものは嬉しい。
「ありがとうございます」
ウサギさんはアールグレイに添えた輪切りのレモンを浸している。もう少し冷めてから飲むのだろうか。キツネさんにはミルクに合うものということで、アッサムをストレートで出した。別添えのピッチャーにミルクを入れて。キツネさんはまず角砂糖を四つ紅茶に溶かしてから、ミルクを全部入れて子どものように両手で飲んだ。糸目のおじさんだが、ちょっとかわいらしい。
一息ついたところで、黄昏さんが口を開く。
「今日は何?訪問販売?うちは間に合ってるからいいよ」
ややうんざりしたような声で黄昏さんは未使用のカップを揺らす。確かに背後の戸棚には何セットも並んでいる。すでに使用した三つ分のスペースを残して隙間はもうない。壊れない限り、これ以上は入りそうにもない。
だがタヌキさんは首を振った。少し悲しげに目を伏せる。
「違うんです」
「話すと長くなりまして」
隣のウサギおじさんが口を挟む。ちらっとタヌキさんを超えて、キツネおじさんを一睨みした。
「おいこのバカ!向こう見ずのあほんだら!自分の口で話してみやがれ!」
彼らの去った玄関をぼんやり見つめながら、ミエはぽつりと呟く。
「いや、二人はミエさんの先輩だよ」
「先輩?何の?」
「店を営む先輩」
「えっ」
あんなに小さいのに。
瞠目して思わず何も言えなくなったミエに、黄昏さんは謎を含んだ微笑を向けるに留める。疑問を訊ねたら返してきた先日のものと同じ。
「彼らは約束を守るよ。明日には全部揃えて持ってきてくれると思うから、それまではメニューでも考えてなよ」
「メニュー?……あっ、そうか」
急に体中がかっかと火照り出す。
「もう考えてた?」
「実はまだ……」
そう、メニュー。ここは今日からミエのお店でもあるのだ。飲み物と食べ物を提供するカフェなんだから当然用意してしかるべきもの。
頭では色々と空想していたが、いざ実際に考えてみると何がいいのか迷ってしまう。とりあえずお茶とコーヒーが必要なのはわかるのだけれど。
「ここのお客さんって、ああいう子どもやその両親が多いの?」
「うーん。そうでもないかなあ。ミエさんくらいの若い女の人も来るし、もっと若い男の子とかも。おっさんも来るよ」
「おっさ……おじさんも来るの?」
「向こうが必要になったらね」
「それじゃ、まるで必要じゃない人には見えないみたいじゃない」
思わず笑ってしまう。そんな児童書があった気がする。必要な人の目の前に現れる魔女のお店。店主の魔女が持っている魔法の指ぬきに、ミエは小さいころ憧れた。
冗談だった。にもかかわらず、黄昏さんはあの笑みだけを見せて何も言わなかった。
「……黄昏さん」
「お、噂をすれば」
黄昏さんの瞳が丸窓の向こうへと向く。そこからは店前に続く飛び石型の道がある。そこを、三人のおじさんが歩いていた。石から石へ飛んで、よろめくと両手を振って体勢を整える仕草を見せる。
ややあって、三人のおじさんは玄関扉を開いてやってきた。背広を着ている。
―――本当に、おじさんだ。
まず真ん中にいるのがずんぐりとした体形のタヌキみたいな丸い顔をしたおじさん。知性を感じる笑みを浮かべている。何事にも動じない雰囲気。年齢は五十代半ばに見える。役職的には課長くらい。抹茶色の珍しい背広を着ている。
向かって右側は反対にキツネ顔。痩せ型で、とんがった頬と釣り目。誰が見てもキツネ顔をしている。俯き気味なのが気になるが。タヌキのおじさんよりは若く見えるが、それだって四十代くらいだろう。小豆色の背広はまるで漫才師のよう。
最後に左。この人は、ちょっと表現が難しい。小さいというのが第一印象だけれど、どちらかというとこじんまりしていると言ったほうが正しい気がする。忙しなくきょろきょろと辺りを見回す目は、何かを警戒しているのだろうか。ウサギみたいにひくひく小さい鼻を働かせている。この人だけは背広を肩にかけて着崩している。でも、色は桃色。ウサギの鼻の色。
―――トリオ漫才師なのかな。いや、そんなわけないか……。
何がそんなわけないのかミエ自身よく理解していなかったのだが、なんとなく違うような気がした。第一、この店の雰囲気と噛み合わない。
タヌキのおじさんは、二人に向かってゆっくりとお辞儀をした。次いで両隣のおじさんも頭を下げる。それぞれの印象通りのお辞儀だった。
「お久しぶりです。ずいぶんきれいになりましたねえ」
タヌキさんはしみじみと言った。深みのある渋い声。馴染みの人なのだろうか。当たり前のようにカウンターの席に着いた。優しい瞳が、ミエに向く。
「こちらが新しい方ですな」
「あ、あの、はじめまして。有堂ミエです」
本日二度目の自己紹介を済ます。タヌキさんは胸のポケットから名刺を取り出してミエに与えた。
「“ぶんぶく亭”?」
「茶碗専門店です。といっても、売り歩きですが。最近は陶器を用いてティーカップやポッドなんかも販売しておりまして」
「うちの道具もここのだよ」
隣で黄昏さんは言った。カップを裏返すと、確かに同じ社名が刻まれている。洋風なティーセットに和名の刻印は不釣り合いでちょっとおかしい。笑みを零すと、タヌキさんは穏やかな微笑を返した。そしてぐるりときれいに新しくなった店内を見渡す。
「ブックカフェ?というのでしたかな」
「はい。今日からです。といっても、お出しできるのはお茶とコーヒーぐらいでメニューはまだ決まってないんですけど……」
「ではお茶をくださいな」
ミエは身構えた。きゅっと心臓が縮まる。
そうだ。これがお店なのだ。注文を受けて、提供するということ。
「だってよ」
横で黄昏さんが言った。
「は、はい」
緊張をほぐそうと、ミエはふうと息を吐く。戸棚からカップを三つ取り、小鍋に水を入れて火にかけた。
前もって黄昏さんが“ネズミ配達便”で茶葉を大量に注文してくれていた。何がいいのかわからないからとりあえず定番のものを、と注文したところかなりの種類が届いたらしい。
「ストレートと、ミルクに合うもの。あとはフレーバーティーも。どちらになさいますか?」
「ダージリンで」
真っ先にタヌキさんが言った。次いでウサギさんがアールグレイ。キツネさんはちょっと迷ってから、ミルクに合うものを、と言った。
淹れ慣れた種類で助かった。心持ちほっとした気分で淹れ終えると、三人の目の前にソーサーつきで提供した。タヌキさんは上品にソーサーごと持ち上げて一口すすると、ほうっと息を吐いた。
「この独特な香りと風味、そして紅茶色の薄さがダージリンのよさですな」
うんうん、と頷く。
「美味です」
まっすぐに褒められ、ミエは嬉しさと恥ずかしさでいっぱいになった。人に淹れたのは黄昏さんがはじめてだけれど、何度褒められても嬉しいものは嬉しい。
「ありがとうございます」
ウサギさんはアールグレイに添えた輪切りのレモンを浸している。もう少し冷めてから飲むのだろうか。キツネさんにはミルクに合うものということで、アッサムをストレートで出した。別添えのピッチャーにミルクを入れて。キツネさんはまず角砂糖を四つ紅茶に溶かしてから、ミルクを全部入れて子どものように両手で飲んだ。糸目のおじさんだが、ちょっとかわいらしい。
一息ついたところで、黄昏さんが口を開く。
「今日は何?訪問販売?うちは間に合ってるからいいよ」
ややうんざりしたような声で黄昏さんは未使用のカップを揺らす。確かに背後の戸棚には何セットも並んでいる。すでに使用した三つ分のスペースを残して隙間はもうない。壊れない限り、これ以上は入りそうにもない。
だがタヌキさんは首を振った。少し悲しげに目を伏せる。
「違うんです」
「話すと長くなりまして」
隣のウサギおじさんが口を挟む。ちらっとタヌキさんを超えて、キツネおじさんを一睨みした。
「おいこのバカ!向こう見ずのあほんだら!自分の口で話してみやがれ!」