「実はさ、すごくアホっぽい理由で」
「えー、なんだろ、靴職人に命でも助けられたりした? それとも、靴職人のイケメンに一目惚れしたとか?」
「いや、もっと俗っぽくて単純だよ。私さ、小さい頃から大人の女の人が履く綺麗なハイヒールに憧れてたんだ。だけどほら、私ってでかいじゃん? 足なんて二十七センチもあるし、甲も広い。だからヒールを履いたら威圧感が増すし、既製品だとそうそうサイズもないし、第一似合わないでしょ? だから恥ずかしくって履けなくて。そのせいか、綺麗な靴への憧れは人一倍強くて……こんな男っぽい女が綺麗な靴を履きたいだなんて、笑えるっしょ?」
そのうえ、男に負けたくない、女だからって舐められなくないという気持ちから女らしさを強調しない格好をするようになった。私が思い描くハイヒールが似合う人物像から、ますます遠ざかっていったのだ。
「……笑えないし、笑わないよ。それに、似合わないとも思わない」
おどけて話す私とは対照的に、私に体を寄せる陽葵は真剣な目で見つめてきた。私の自虐に乗っかって笑い飛ばしてくると思ったのに、慰めてくれるとは優しい子だ。
「そんなわけで、ハイヒールを自分で履くのは諦めたんだけど、憧れだけはいつまでも消えずにずっと胸の中で熱を持っていて。憧れを募らせるたびに、靴作りの経験を積み重ねるたびに、頭の中では私の理想とする美しい靴の完成図がより明確になっていった。……私の夢はさ、私の理想を詰め込んだ靴をこの手で作ることなんだ。それで……それが似合う綺麗な女の子に履いてもらえたなら、もう言うことなし。職人冥利に尽きるって感じ」
もしもその夢が実現する日が来たならば、ずっと抱き続けてきた憧れも嫉妬も諦念も劣等感も、美しく昇華されるだろうという期待もまたあった。
「……ねえ、曜ちゃんの言う理想の靴って、どんな靴なの?」
「うーん……頭の中にはデザイン画があるんだけど、口だと上手く説明ができない。それに、口に出したらそれが夢みたいに脳内から消えてしまいそうで怖い」
こんな乙女チックなことを言うなんて、絶対に私のキャラじゃない。だけど陽葵は笑わず、根掘り葉掘り聞こうともせず、素直に「そっかあ」と口にした。
しかし、聞き入れたのはそれだけだった。
「でも! 理想の靴を誰かに履いてもらうっていうのは納得できない! 自分には似合わないからとか言い訳してないで、その靴は自分が履くために作ったらいいじゃん! 曜ちゃんは可愛いよ! わたしが保証する!」
「お世辞はいいって。動機はどうであれ、ようやく自分の店を持つところまで来たんだ。夢を叶えるまであと一歩なんだし、応援してよ」
言い訳と言われて動揺したことを悟られないように、それ以上何も言わせまいと陽葵の頭を軽く叩いた。私の卑怯な作戦に陽葵は唇を尖らせていたけれど、何かを閃いたのか急に明るい顔になった。
「そうだ! じゃあ、わたしに作ってよ! その理想の靴!」
これ以上ない名案だと言わんばかりに陽葵の大きな瞳は輝いていたが、残念ながら答えは決まっている。
「え、嫌なんだけど」
「えー!? なんでなんで!? 自分で言うのもあれだけど、煌びやかなハイヒールとかわたし絶対に似合うと思うよ? 曜ちゃんの理想に応える自信はあるんだけど!」
確かに陽葵ならば、私の理想の靴は十分に履きこなせるだろう。
だけどその靴は、単純に人目を引く優れた容姿だけでは履きこなせない味のある靴にしたいと思っているのだ。
「モデルは立候補制じゃないんだよ。理想の靴を履くのに相応しい、ビビッとくる人が現れたら、私から履いてくださいってお願いするつもりだ」
陽葵と初めて会ったときその美貌に衝撃は受けたものの、運命めいた直感が働いたとはいえなかった。
「……じゃあ、普通の靴! わたしたちの親交の証に、曜ちゃんが作った靴が欲しい!」
頬を膨らませていた陽葵は一転して、私の手を強く握って上目遣いでそう言った。図々しいとも取れる突然の要求だったが、不思議と嫌な気分にはならなかった。
「……陽葵に支払えるの? フルオーダーだと、最低十二万からだよ?」
「親交の証なのにお金取るの!? ……あ! 体で払うのはどうかな?」
「『どうかな?』 じゃない! っていうか、韓国だと靴をプレゼントするのは縁起が悪いとされてるんだってさ。恋人に靴を贈ると、それを履いて遠くへ行ってしまう……つまり、別れを連想させるからって。それでも欲しいの?」
「え、そうなの? そういう話聞いちゃうとなー……でも、曜ちゃんの靴……うーん……やっぱり欲しいなあー……でもなー……」
頭を抱えて逡巡する陽葵の様子がおかしくて、つい笑ってしまった。
「まあ、私たちは別に恋人関係じゃないしね。いいよ、作るよ」
頭の天辺から足のつま先まで綺麗な造形をしている陽葵に似合う靴を製作するのは、職人魂がくすぐられるというか、やってみたいと素直に思った。
「そうだよね! 問題ないよね! やったあ! 超嬉しい!」
抱きついてきた陽葵があまりにも素直に喜んでくれたものだから、私も嬉しくなって無理に引っぺがしたりはしなかった。
「いつできる? 楽しみすぎる! あ、わたしの足のサイズは二十四センチだからね!」
「オーダーメイドシューズはそんな大雑把な作り方はしないよ。一人ひとりの足の大きさを左右細かく測るから」
「そうなの? じゃあ今測って! 一日でも早く作ってほしい!」
目を爛々とさせる陽葵に気を良くしていた私は、メジャーとメモ用紙と鉛筆を準備して、陽葵の足を正確に採寸するために蛍光灯を点けた。
「そこの椅子に座って」
足の中心線を決めて、採寸の基点となる踵のスタンダードポイントからの距離と甲部の高さを計測し、足の立体数値をメモに残していった。
「あは、ちょっとくすぐったいね」
「動かないで。計測がしっかりしていないと靴を斜めに履いている状態になって、障害や疲れの原因になるから」
実際に手で触りながら間近で見る陽葵の足は、想像以上に綺麗な形をしていて見惚れそうになったものの、それでは靴職人ではなく変態となってしまうので採寸に集中した。
「……よし。今日はここまでかな。あとはスクライバーっていう足の外周を測る専用の機械を使わないといけないから、近いうちに来店してね」
背伸びをしながら腰を逸らすと、凝った筋肉が気持ちよく伸びた。
「え? これで終わりじゃないの? こんなに時間をかけてあちこち採寸したのに?」
「まだまだ。踵からつま先までの距離や足長を割り出さないといけないし、足裏の特徴を把握するための石膏型も取らないと……って、なにその顔。面倒臭い?」
放心したように口を開けていた陽葵は、ぽつりと呟いた。
「ううん……なんていうか……曜ちゃんって本当に真剣に、丁寧に仕事しているんだなあって。もちろん頭ではわかっていたつもりだったんだけど、改めて実感したっていうか……」
「そうなの? まあ、仕事をしている私の姿を見たことで陽葵への刺激になったのなら、思いがけない良効果だったかな」
「……曜ちゃん、わたし、曜ちゃんのこと心の底から応援してるからね。お店が軌道に乗りますようにって、全力で祈ってるから」
陽葵があまりにも真面目な顔で言うものだから、なんだか照れてしまった。
「まあ、その……元気になったみたいで安心したよ。そろそろ寝よう。どんな靴にしたいか考えておいて」
陽葵が笑えば嬉しいし、涙を流していれば悲しい。
今や私は、陽葵のことをただの同居人だとは思っていなかった。
「えーとねえ……じゃあ、シンデレラが履いていたガラスの靴が欲しいなあー」
「それはガラス職人に依頼して。私には無理」
――ねえ、じいちゃん。最初はどうなることかと思っていたけど、陽葵との同居生活は案外上手くいってるよ。面白い出会いをくれて感謝してる。ありがとう。
あれだけ騒がしく私たちの眠りを妨げた雨風も、今はすっかり凪いでいた。
「えー、なんだろ、靴職人に命でも助けられたりした? それとも、靴職人のイケメンに一目惚れしたとか?」
「いや、もっと俗っぽくて単純だよ。私さ、小さい頃から大人の女の人が履く綺麗なハイヒールに憧れてたんだ。だけどほら、私ってでかいじゃん? 足なんて二十七センチもあるし、甲も広い。だからヒールを履いたら威圧感が増すし、既製品だとそうそうサイズもないし、第一似合わないでしょ? だから恥ずかしくって履けなくて。そのせいか、綺麗な靴への憧れは人一倍強くて……こんな男っぽい女が綺麗な靴を履きたいだなんて、笑えるっしょ?」
そのうえ、男に負けたくない、女だからって舐められなくないという気持ちから女らしさを強調しない格好をするようになった。私が思い描くハイヒールが似合う人物像から、ますます遠ざかっていったのだ。
「……笑えないし、笑わないよ。それに、似合わないとも思わない」
おどけて話す私とは対照的に、私に体を寄せる陽葵は真剣な目で見つめてきた。私の自虐に乗っかって笑い飛ばしてくると思ったのに、慰めてくれるとは優しい子だ。
「そんなわけで、ハイヒールを自分で履くのは諦めたんだけど、憧れだけはいつまでも消えずにずっと胸の中で熱を持っていて。憧れを募らせるたびに、靴作りの経験を積み重ねるたびに、頭の中では私の理想とする美しい靴の完成図がより明確になっていった。……私の夢はさ、私の理想を詰め込んだ靴をこの手で作ることなんだ。それで……それが似合う綺麗な女の子に履いてもらえたなら、もう言うことなし。職人冥利に尽きるって感じ」
もしもその夢が実現する日が来たならば、ずっと抱き続けてきた憧れも嫉妬も諦念も劣等感も、美しく昇華されるだろうという期待もまたあった。
「……ねえ、曜ちゃんの言う理想の靴って、どんな靴なの?」
「うーん……頭の中にはデザイン画があるんだけど、口だと上手く説明ができない。それに、口に出したらそれが夢みたいに脳内から消えてしまいそうで怖い」
こんな乙女チックなことを言うなんて、絶対に私のキャラじゃない。だけど陽葵は笑わず、根掘り葉掘り聞こうともせず、素直に「そっかあ」と口にした。
しかし、聞き入れたのはそれだけだった。
「でも! 理想の靴を誰かに履いてもらうっていうのは納得できない! 自分には似合わないからとか言い訳してないで、その靴は自分が履くために作ったらいいじゃん! 曜ちゃんは可愛いよ! わたしが保証する!」
「お世辞はいいって。動機はどうであれ、ようやく自分の店を持つところまで来たんだ。夢を叶えるまであと一歩なんだし、応援してよ」
言い訳と言われて動揺したことを悟られないように、それ以上何も言わせまいと陽葵の頭を軽く叩いた。私の卑怯な作戦に陽葵は唇を尖らせていたけれど、何かを閃いたのか急に明るい顔になった。
「そうだ! じゃあ、わたしに作ってよ! その理想の靴!」
これ以上ない名案だと言わんばかりに陽葵の大きな瞳は輝いていたが、残念ながら答えは決まっている。
「え、嫌なんだけど」
「えー!? なんでなんで!? 自分で言うのもあれだけど、煌びやかなハイヒールとかわたし絶対に似合うと思うよ? 曜ちゃんの理想に応える自信はあるんだけど!」
確かに陽葵ならば、私の理想の靴は十分に履きこなせるだろう。
だけどその靴は、単純に人目を引く優れた容姿だけでは履きこなせない味のある靴にしたいと思っているのだ。
「モデルは立候補制じゃないんだよ。理想の靴を履くのに相応しい、ビビッとくる人が現れたら、私から履いてくださいってお願いするつもりだ」
陽葵と初めて会ったときその美貌に衝撃は受けたものの、運命めいた直感が働いたとはいえなかった。
「……じゃあ、普通の靴! わたしたちの親交の証に、曜ちゃんが作った靴が欲しい!」
頬を膨らませていた陽葵は一転して、私の手を強く握って上目遣いでそう言った。図々しいとも取れる突然の要求だったが、不思議と嫌な気分にはならなかった。
「……陽葵に支払えるの? フルオーダーだと、最低十二万からだよ?」
「親交の証なのにお金取るの!? ……あ! 体で払うのはどうかな?」
「『どうかな?』 じゃない! っていうか、韓国だと靴をプレゼントするのは縁起が悪いとされてるんだってさ。恋人に靴を贈ると、それを履いて遠くへ行ってしまう……つまり、別れを連想させるからって。それでも欲しいの?」
「え、そうなの? そういう話聞いちゃうとなー……でも、曜ちゃんの靴……うーん……やっぱり欲しいなあー……でもなー……」
頭を抱えて逡巡する陽葵の様子がおかしくて、つい笑ってしまった。
「まあ、私たちは別に恋人関係じゃないしね。いいよ、作るよ」
頭の天辺から足のつま先まで綺麗な造形をしている陽葵に似合う靴を製作するのは、職人魂がくすぐられるというか、やってみたいと素直に思った。
「そうだよね! 問題ないよね! やったあ! 超嬉しい!」
抱きついてきた陽葵があまりにも素直に喜んでくれたものだから、私も嬉しくなって無理に引っぺがしたりはしなかった。
「いつできる? 楽しみすぎる! あ、わたしの足のサイズは二十四センチだからね!」
「オーダーメイドシューズはそんな大雑把な作り方はしないよ。一人ひとりの足の大きさを左右細かく測るから」
「そうなの? じゃあ今測って! 一日でも早く作ってほしい!」
目を爛々とさせる陽葵に気を良くしていた私は、メジャーとメモ用紙と鉛筆を準備して、陽葵の足を正確に採寸するために蛍光灯を点けた。
「そこの椅子に座って」
足の中心線を決めて、採寸の基点となる踵のスタンダードポイントからの距離と甲部の高さを計測し、足の立体数値をメモに残していった。
「あは、ちょっとくすぐったいね」
「動かないで。計測がしっかりしていないと靴を斜めに履いている状態になって、障害や疲れの原因になるから」
実際に手で触りながら間近で見る陽葵の足は、想像以上に綺麗な形をしていて見惚れそうになったものの、それでは靴職人ではなく変態となってしまうので採寸に集中した。
「……よし。今日はここまでかな。あとはスクライバーっていう足の外周を測る専用の機械を使わないといけないから、近いうちに来店してね」
背伸びをしながら腰を逸らすと、凝った筋肉が気持ちよく伸びた。
「え? これで終わりじゃないの? こんなに時間をかけてあちこち採寸したのに?」
「まだまだ。踵からつま先までの距離や足長を割り出さないといけないし、足裏の特徴を把握するための石膏型も取らないと……って、なにその顔。面倒臭い?」
放心したように口を開けていた陽葵は、ぽつりと呟いた。
「ううん……なんていうか……曜ちゃんって本当に真剣に、丁寧に仕事しているんだなあって。もちろん頭ではわかっていたつもりだったんだけど、改めて実感したっていうか……」
「そうなの? まあ、仕事をしている私の姿を見たことで陽葵への刺激になったのなら、思いがけない良効果だったかな」
「……曜ちゃん、わたし、曜ちゃんのこと心の底から応援してるからね。お店が軌道に乗りますようにって、全力で祈ってるから」
陽葵があまりにも真面目な顔で言うものだから、なんだか照れてしまった。
「まあ、その……元気になったみたいで安心したよ。そろそろ寝よう。どんな靴にしたいか考えておいて」
陽葵が笑えば嬉しいし、涙を流していれば悲しい。
今や私は、陽葵のことをただの同居人だとは思っていなかった。
「えーとねえ……じゃあ、シンデレラが履いていたガラスの靴が欲しいなあー」
「それはガラス職人に依頼して。私には無理」
――ねえ、じいちゃん。最初はどうなることかと思っていたけど、陽葵との同居生活は案外上手くいってるよ。面白い出会いをくれて感謝してる。ありがとう。
あれだけ騒がしく私たちの眠りを妨げた雨風も、今はすっかり凪いでいた。