「いたッ……」
縫い物をしていた遥香は、指を針でつついて声をあげた。
だいじょうぶ、血は出ていない。せっかく買ってもらった布を汚したくはないし。
ここは官舎の明るい縁側。指をくわえた遥香に、居間から笑顔が向けられた。
「何、遥香さんて裁縫は苦手? 飯はすごくうまいのに」
「キノスケくん、うるさいよ!」
居間からふり返って笑った喜之助をペチンと叩いたのは豆腐小僧だ。ふらりと遊びに来たものの遥香は着物の仕立てにかかりきりだったので、喜之助が相手をしてくれていた。
「悪口じゃなくて、かわいいねってこと! 完璧な女の子なんて俺、自信なくすし」
「なんだよぅキノスケくん、ハルカをくどくつもり?」
「いやいやいや、俺には絹子ちゃんがいるの」
「ていとのひと?」
「そう。さっきのは、一般論として男にも女にも可愛げって必要だと思っただけだってば。な、彰良!」
話しかけられた彰良は居間の奥でゴロリと休憩中だった。
目を上げたものの、何も言わずに裁縫をする遥香を見ただけ。今ここでいちばん可愛げがないのは、間違いなく彰良だ。
でも遥香はなんだかいたたまれなかった。着物も縫えない女だと思われたろうか。二反も贈り物をしてくれたのに、実をいえば針仕事はちょっと苦手だ。
「……彰良もなんか言えって。おまえが贈った反物だろ? 坊っちゃんよ」
「坊っちゃんて言うな」
「名門芳川家の坊っちゃんだし。もうすこし愛想よければモテモテだと思うんだよな」
「喜之助は愛想よくてモテてるか? それを言うなら豆腐だっていつも笑ってる」
「豆腐小僧くんは子どもだろ」
爆笑する喜之助に、豆腐小僧は腰に手をあて立ちはだかった。
「キノスケくんしつれい! ぼくはただのこどもじゃないんだぞ」
「そりゃ妖怪だけどさあ……え、もしかしてすげえ年寄りだったりする?」
「そのいいかたも、なんかしつれい!」
ポカスカけんかする豆腐小僧と喜之助を見て、遥香はくすりと笑った。妖怪と遊んでくれる軍人がいるなんて。
たった一人で稲荷に閉じこもる日々が嘘だったような気がする。誰とも話さない日もあった、あのころ。
今は彰良と喜之助がいてくれて、話しができて、いつもご飯を一緒に食べるのだ。それだけで、とても嬉しい。
まだ特殊方技部で働けるかどうかはわからなかった。前回は遥香の力をきちんと見せられなかったので、何かの怪異があらわれるまで待機中だ。だけどその時間が不思議と居心地よかった。
遥香は幸せなほほえみを浮かべていたのだと思う。ふと気づいたら彰良がこちらをじっと見ていてあわててしまった。
いけない、早く縫い物を進めなくては。せっかく彰良が糸までそろえてくれたのだから。
淡萌黄のこれは残暑にもすぐ着られる単衣にする。仕立てられたら、彰良の前で着て見せたい。ちゃんと似合っているといいなと考えて、遥香はすこし頰を染めた。男の人に着物を見立ててもらったなんて初めて――。
「――あら?」
「ん?」
遥香と彰良が同時に顔を上げた。誰かが来たと思ったのだが、喜之助はきょとんとしている。
「どした?」
「いや、客だ」
彰良が立ち上がったとたん、玄関がほとほと叩かれた。
「うえ、ほんとだ。彰良そういう勘がいいんだよな」
遥香もいち早く気づいたのは狐としての動物的な何かなのかもと考えて、喜之助は納得した。やはり遥香は半妖なのだ。
彰良が迎えに出た玄関では人が入ってくる気配があった。すると豆腐小僧はスウッと姿を消す。目の前でそれをやられた喜之助がビクリとし、遥香は申し訳なくなった。
「知らない人には会えないので……」
「ああ、わかってるって」
ここに来るなら軍の伝令か物資の配達か。ほけほけと妖怪が遊んでいるのを知られるわけにいかない。
「見慣れてなくて驚いただけだよ」
「何がだ、吾妻?」
ずかずかと上がり込んできたのは、中年の軍人だった。
「うげっ、山代さん!」
「うげ、じゃねえだろ上官に向かって」
「はッ! 失礼いたしました!」
「いや、おまえがしゃっちょこばるのも落ち着かん」
ニヤニヤしながら腰をおろす山代に「どうすりゃいいんですか」と喜之助がぼやく。上官と聞いて遥香は畳に手をついた。
「いらっしゃいませ。今、お茶を」
「おお、すまんね」
彰良とすれ違って台所に立つ遥香を見送り、山代はふんふんとうなずいた。
彼は山代龍久。特殊方技部に属する少尉ということになっているが、喜之助と同じく陰陽師だ。飄々とした雰囲気をただよわせる、三十代半ばの男だった。
「あれが問題の巫女さんか。綺麗な子だなァ。地味だけど」
その感想に喜之助は小声でこたえた。
「あれでもマシになったんですよ。はじめすっげえオドオドしてて、かわいそうだったんですから」
「まだじゅうぶん下を向いてるぞ」
「軍人相手に怖がるのは普通です」
彰良がぼそりと言うのを山代はおもしろそうに見た。
「めずらしいな、おまえがかばうなんて。連帯感か?」
「いやいや山代さん、あそこの縫いかけの着物、彰良が買ってやったんですよ」
「何! 身につける物を女に! その意味わかってやったのか?」
「喜之助はいらんことを言うな。そういうんじゃなく給金みたいなものです。ここに拘束しているんですから、方技部からの俸給も早く手配して下さい」
「わーってるよ、すまんすまん」
無表情に言い返す彰良をいなし、山代はそれでもニヤリとした。
彰良の浮いた話など初耳だ。こりゃ帝都で報告だな、と考える。それを彰良が嫌そうに見るのもおもしろくて山代はご機嫌だった。
「わざわざ山代さんが来るなんて、なんですか」
「ふん。おまえらを野放しにしておくのもまずかろう」
人聞きの悪いことを言って山代は部下を見比べた。
彰良は生い立ちからか猜疑心が強く、無愛想で人に怖がられがちだ。異能をもってする仕事は信頼できるが、力が大きすぎて時々よけいな物を剣で斬るのが玉にきず。
そして喜之助は真逆に愛想がいい。するりと人のふところに入り込むので情報収集能力にたけるが、ほだされやすく信じやすいのが難点といえなくもない。そして陰陽師としては中の中という力量。
つまりそれぞれに心配なところがあり、だが組み合わせておけば何とかなると思われている二人なのだった。
「お待たせしました」
遥香はお盆を持って戻った。ちゃぶ台に出した茶が三つしかないのを見た山代が苦笑いする。
「君のぶんも淹れなさい。一緒に聞いてもらう話だ」
「あ。は、はい、すみません」
さとすようにやわらかく言われ、遥香は赤面した。あわててもう一度台所に戻る。
年長の男性から頭ごなしに怒鳴られないなんて久しぶり。
「父さん元気かな……」
山代はまだそんな年齢ではないのに失礼なのだが、いろいろなことをやさしく教えてくれた父を思い出した。
両親はどうしているだろう。良い人たちに拾われて、一緒に働けるかもしれないと伝えたら喜んでくれそうな気がする。
そう考え、遥香はほほえんだ。
縫い物をしていた遥香は、指を針でつついて声をあげた。
だいじょうぶ、血は出ていない。せっかく買ってもらった布を汚したくはないし。
ここは官舎の明るい縁側。指をくわえた遥香に、居間から笑顔が向けられた。
「何、遥香さんて裁縫は苦手? 飯はすごくうまいのに」
「キノスケくん、うるさいよ!」
居間からふり返って笑った喜之助をペチンと叩いたのは豆腐小僧だ。ふらりと遊びに来たものの遥香は着物の仕立てにかかりきりだったので、喜之助が相手をしてくれていた。
「悪口じゃなくて、かわいいねってこと! 完璧な女の子なんて俺、自信なくすし」
「なんだよぅキノスケくん、ハルカをくどくつもり?」
「いやいやいや、俺には絹子ちゃんがいるの」
「ていとのひと?」
「そう。さっきのは、一般論として男にも女にも可愛げって必要だと思っただけだってば。な、彰良!」
話しかけられた彰良は居間の奥でゴロリと休憩中だった。
目を上げたものの、何も言わずに裁縫をする遥香を見ただけ。今ここでいちばん可愛げがないのは、間違いなく彰良だ。
でも遥香はなんだかいたたまれなかった。着物も縫えない女だと思われたろうか。二反も贈り物をしてくれたのに、実をいえば針仕事はちょっと苦手だ。
「……彰良もなんか言えって。おまえが贈った反物だろ? 坊っちゃんよ」
「坊っちゃんて言うな」
「名門芳川家の坊っちゃんだし。もうすこし愛想よければモテモテだと思うんだよな」
「喜之助は愛想よくてモテてるか? それを言うなら豆腐だっていつも笑ってる」
「豆腐小僧くんは子どもだろ」
爆笑する喜之助に、豆腐小僧は腰に手をあて立ちはだかった。
「キノスケくんしつれい! ぼくはただのこどもじゃないんだぞ」
「そりゃ妖怪だけどさあ……え、もしかしてすげえ年寄りだったりする?」
「そのいいかたも、なんかしつれい!」
ポカスカけんかする豆腐小僧と喜之助を見て、遥香はくすりと笑った。妖怪と遊んでくれる軍人がいるなんて。
たった一人で稲荷に閉じこもる日々が嘘だったような気がする。誰とも話さない日もあった、あのころ。
今は彰良と喜之助がいてくれて、話しができて、いつもご飯を一緒に食べるのだ。それだけで、とても嬉しい。
まだ特殊方技部で働けるかどうかはわからなかった。前回は遥香の力をきちんと見せられなかったので、何かの怪異があらわれるまで待機中だ。だけどその時間が不思議と居心地よかった。
遥香は幸せなほほえみを浮かべていたのだと思う。ふと気づいたら彰良がこちらをじっと見ていてあわててしまった。
いけない、早く縫い物を進めなくては。せっかく彰良が糸までそろえてくれたのだから。
淡萌黄のこれは残暑にもすぐ着られる単衣にする。仕立てられたら、彰良の前で着て見せたい。ちゃんと似合っているといいなと考えて、遥香はすこし頰を染めた。男の人に着物を見立ててもらったなんて初めて――。
「――あら?」
「ん?」
遥香と彰良が同時に顔を上げた。誰かが来たと思ったのだが、喜之助はきょとんとしている。
「どした?」
「いや、客だ」
彰良が立ち上がったとたん、玄関がほとほと叩かれた。
「うえ、ほんとだ。彰良そういう勘がいいんだよな」
遥香もいち早く気づいたのは狐としての動物的な何かなのかもと考えて、喜之助は納得した。やはり遥香は半妖なのだ。
彰良が迎えに出た玄関では人が入ってくる気配があった。すると豆腐小僧はスウッと姿を消す。目の前でそれをやられた喜之助がビクリとし、遥香は申し訳なくなった。
「知らない人には会えないので……」
「ああ、わかってるって」
ここに来るなら軍の伝令か物資の配達か。ほけほけと妖怪が遊んでいるのを知られるわけにいかない。
「見慣れてなくて驚いただけだよ」
「何がだ、吾妻?」
ずかずかと上がり込んできたのは、中年の軍人だった。
「うげっ、山代さん!」
「うげ、じゃねえだろ上官に向かって」
「はッ! 失礼いたしました!」
「いや、おまえがしゃっちょこばるのも落ち着かん」
ニヤニヤしながら腰をおろす山代に「どうすりゃいいんですか」と喜之助がぼやく。上官と聞いて遥香は畳に手をついた。
「いらっしゃいませ。今、お茶を」
「おお、すまんね」
彰良とすれ違って台所に立つ遥香を見送り、山代はふんふんとうなずいた。
彼は山代龍久。特殊方技部に属する少尉ということになっているが、喜之助と同じく陰陽師だ。飄々とした雰囲気をただよわせる、三十代半ばの男だった。
「あれが問題の巫女さんか。綺麗な子だなァ。地味だけど」
その感想に喜之助は小声でこたえた。
「あれでもマシになったんですよ。はじめすっげえオドオドしてて、かわいそうだったんですから」
「まだじゅうぶん下を向いてるぞ」
「軍人相手に怖がるのは普通です」
彰良がぼそりと言うのを山代はおもしろそうに見た。
「めずらしいな、おまえがかばうなんて。連帯感か?」
「いやいや山代さん、あそこの縫いかけの着物、彰良が買ってやったんですよ」
「何! 身につける物を女に! その意味わかってやったのか?」
「喜之助はいらんことを言うな。そういうんじゃなく給金みたいなものです。ここに拘束しているんですから、方技部からの俸給も早く手配して下さい」
「わーってるよ、すまんすまん」
無表情に言い返す彰良をいなし、山代はそれでもニヤリとした。
彰良の浮いた話など初耳だ。こりゃ帝都で報告だな、と考える。それを彰良が嫌そうに見るのもおもしろくて山代はご機嫌だった。
「わざわざ山代さんが来るなんて、なんですか」
「ふん。おまえらを野放しにしておくのもまずかろう」
人聞きの悪いことを言って山代は部下を見比べた。
彰良は生い立ちからか猜疑心が強く、無愛想で人に怖がられがちだ。異能をもってする仕事は信頼できるが、力が大きすぎて時々よけいな物を剣で斬るのが玉にきず。
そして喜之助は真逆に愛想がいい。するりと人のふところに入り込むので情報収集能力にたけるが、ほだされやすく信じやすいのが難点といえなくもない。そして陰陽師としては中の中という力量。
つまりそれぞれに心配なところがあり、だが組み合わせておけば何とかなると思われている二人なのだった。
「お待たせしました」
遥香はお盆を持って戻った。ちゃぶ台に出した茶が三つしかないのを見た山代が苦笑いする。
「君のぶんも淹れなさい。一緒に聞いてもらう話だ」
「あ。は、はい、すみません」
さとすようにやわらかく言われ、遥香は赤面した。あわててもう一度台所に戻る。
年長の男性から頭ごなしに怒鳴られないなんて久しぶり。
「父さん元気かな……」
山代はまだそんな年齢ではないのに失礼なのだが、いろいろなことをやさしく教えてくれた父を思い出した。
両親はどうしているだろう。良い人たちに拾われて、一緒に働けるかもしれないと伝えたら喜んでくれそうな気がする。
そう考え、遥香はほほえんだ。