()()(どき)の空気をゆらし、ガス灯が(とも)った。
 火を入れて回る点灯夫を建物の陰でひっそり見物――と思ったが、巫女と軍人二人という取り合わせだと隠れきれていないかもしれない。もっと闇が降りなくては目立ってしまう遥香、彰良、喜之助だった。

 石造りの西洋商館が建ち並ぶ、ここは居留地の海岸通り。怨霊が出たとの通報で来たのだけれど、ずいぶんとハイカラな場所だ。慣れない華やかさに遥香は緊張していた。

「あの……こんな所ということは、異国の方の霊なのでしょうか?」
「さあな」

 冷ややかに突き放され、遥香は困ってしまった。これまで会ったことがあるのは日本人の霊だけ。異国の神を信じる人に御狐さまの力は通用するものなのか。

「また彰良はそんな。大丈夫だよ、俺ら帝都でそういう怨霊を祓ったことあるし」

 喜之助が笑ってくれて、すこしホッとした。
 日暮れをすぎた町にはそれなりの人通りがあった。海に面したホテルには食事や酒を出す店があり、この時間からはそんな場所に人が集まるのだそう。
 どこの国ともわからない言葉が話され、洋装の日本人も行き交う中を三人はゆっくりと歩いた。夜の帳が降り、闇が次第に濃くなっていく。
 なのにガス灯の届く所はほんのりと明るく、建物からもれる灯りもそれに華をそえた。フランス波止場に立つ燈台(とうだい)が、夜の海を照らし煌々(こうこう)としている。

「ここの夜は不思議ですね……」

 遥香はつぶやいた。
 稲荷の夜は闇に沈んでいたのに。町の灯りは丘の上から見下ろすものであって、その中を歩くのは初めてだ。すこし怖い。
 だけど左右には彰良と喜之助がちゃんといてくれて、何かあってもきっと助けてくれると遥香は自分をはげました。遥香が魔物にでも堕ちないかぎり、たぶん。

「――あれか」

 ス、と遥香を制して立ちどまった彰良が暗がりを指す。そこには這いずるような影があり、何かを探しているようだった。獣ではなく四つんばいの人だと思う。

「あーなるほど、怨霊だな。遥香さん、いけそう?」

 喜之助は夜に白く浮かぶ遥香の顔をうかがう。唇を引きむすび痛々しげに怨霊を見つめる遥香は、こくりとうなずいた。

「はい、がんばります――出てきて、とうふちゃん」

 小さく呼ぶ声にこたえ、闇から白い影があらわれた。町の中を一緒に歩くのは目立つので隠れてもらっていたのだ。豆腐小僧は嬉しそうに笑ってくれる。

「ハールカ!」
「よろしくね。ええと、あそこの人、わかる?」
「なんかさがしてるひと?」
「そう。たぶん探し物はもう見つからないから、あきらめてもらわなきゃ」
「そうだねえ、かわいそうだねえ」

 怨霊のようすをながめて豆腐小僧とうなずき合う。わりとのんきな会話に彰良は目をすがめたが、我慢して黙っていた。

「私たちに気づいたら、あの人きっと、私ととうふちゃんの方に来ると思うの。足どめしてもらってもいい?」
「りょうかい!」

 手に持つ豆腐をふるふるゆらし、豆腐小僧は怨霊に向き直った。ズザッと足を開き身がまえる姿は凛々しいと言えなくもな――やはり可愛い。
 それにしても豆腐小僧が怨霊を足どめとは。こんな小さな妖怪に何をやらせるつもりなのかと喜之助はハラハラして口を挟む。

「俺たちが脇をふさいで怨霊の退路を断つよ。でも遥香さんも豆腐小僧くんも、ほんと無理しなくていいんだからね」
「はい。ありがとうございます」

 遥香のほほえみが自信なさそうに思え、彰良は自分の剣をたしかめた。危なそうならすぐに斬り祓うまで。

「よしいいか――行くぞ!」

 彰良の号令でタッ、と左右に駆け出したのは軍人二人。怨霊はさすがにその動きに気づいて顔を上げた。
 ゆらりと立ち上がる怨霊は男――血まみれの西洋人で、片腕は肘の先がなかった。遥香の背すじがゾゾッとする。ううん、怖がっていちゃだめ。
 怨霊は四人を見渡した。なんとなく敵意を持たれたような気がする。低く何かを言ったのは異国の言葉で聞き取れなかった。
 そのゆれる視線がとらえたのは、弱そうな女と子ども――遥香と豆腐小僧だ。

「オオォッ!!」

 怨霊が叫ぶ。そして突進した。

「とうふちゃん!」
「だいッ!」

 豆腐小僧は盆を地面に置き、叫ぶ。
 と、豆腐がいきなり巨大化(・・・)
 ベション!!
 怨霊は豆腐に突っ込み、埋まった。

「――はあッ!?」

 彰良と喜之助は声をそろえた。
 豆腐の中でもがいているのか、大きな白いかたまりはぐらぐら動く。豆腐から怨霊の片手がボスンと突き出た。
 遥香は駆けより、その手に触れた。蒼い光がふわりとあふれる。

「――つらかったのね。もう眠ってください」

 遥香が悲しげに告げる言葉にしたがうように、怨霊の腕が(かす)んでいく。それとともに蒼い光は白く輝いてゆき――散った。

「――終わったのか?」

 暗闇が戻り、彰良がつぶやく。すると。
 ――ぐずぐずぐずッ。
 巨大化していた豆腐が崩れ落ちた。

「あ」

 思わず声を上げた彰良と喜之助に、遥香はふり向いた。青ざめ緊張していた顔が、ゆっくりほほえみに変わる。
 ちゃんとできた、と思う。見ていてもらえただろうか。
 どういう仕組みなのか遥香にもわからないが、崩れた豆腐の残骸は少しずつ消えていった。あまりのことに喜之助がぼうぜんとしてつぶやく。

「……なんか、すげえ」
「やった! ぼくつよい!」

 すごいと言われて豆腐小僧が胸を張った。無邪気に自慢されて遥香はふふ、と笑う。豆腐小僧がいてくれてよかった。ひとりじゃ怖くて動けなかったかも。

「――何と言うか」

 彰良が言葉を絞り出そうとして詰まる。眉根を寄せたままの彰良に、遥香はおそるおそるたずねた。

「どうでしょう。滅するとは違うものだと思うのですけど」
「――かもしれないが」
「はい」
「見えなかった、俺には」
「はい?」

 遥香はきょとんとしたが、彰良にしてみれば仕方ない。怨霊はほぼ豆腐に埋もれていたのだし、片手の先の顛末だけで何をどう判断しろと。

「そん、そんな」

 目を見開いてあぜんとする遥香に、彰良はさすがに言い訳した。

「いや豆腐の中のことなんか見えないだろう。なあ、喜之助」
「あーうん……ぶっちゃけわかんなかった、ごめん!」
「豆腐の奴は意外と強いと思ったが」

 取りつくろう彰良の言葉で豆腐小僧が遥香のことを見上げた。

「ゆるしてやろうよ、ハルカ」
「豆腐のくせに上から言うな」
「だあっ黙れ彰良! 取りなしてくれてんだから!」
「ふ、ふふ」

 吹き出しながら、遥香は目尻ににじんだ涙をぬぐった。三人が怪訝な顔でそれを見守ってくれる。
 悲しい、くやしい涙じゃなかった。こんなに気づかってもらえることに驚いて泣いてしまったのだ。
 
「だいじょうぶです。きちんとお見せできなくてすみませんでした」

 もし次の機会がもらえるのなら、またがんばってみよう。ほほえんで、遥香は頭を下げた。