宿舎に近い小間物屋。彰良と二人で訪れることになり、歩きながら遥香はたいそう恐縮していた。

「私なんかでいいのでしょうか……」
「だからそういう言い方はするなと何度言えばわかる」
「すみません」
「……おまえは見目がいい。自信を持て」

 ぼそりと言った彰良はすぐ目をそらした。
 見目が、いい。その言葉に遥香は耳を疑って立ちどまってしまう。にらむようにふり返られて、あわてて隣に並んだ。頬が熱い。
 そういえば喜之助にも「美人だし」と言われたはずだが、その時にはこうはならなかった。やはり彰良に対してだけ遥香の反応はおかしい。心臓のドキドキも変わらずにうるさくて、遥香は胸を押さえた。

「緊張してるのか」
「……はい」
「喜之助め、無茶ぶりしやがって……」

 彰良がぶつくさ言うなんて珍しい。遥香と行くのがよほど嫌なのかと心配になったが、顔色は明るくてホッとした。
 実のところ彰良の機嫌はいい。生まれの話などして重苦しかった空気が、このくだらない茶番で一気に変わったからだ。慣れた店ののれんを、彰良はひょいと入った。

「あら――いらっしゃいませ」

 はずんだ女の声がした。中にいた絹子はちゃきちゃきした雰囲気の綺麗な女だ。喜之助は気の強げな女が好きらしい。
 うながされた遥香がおずおずと彰良に続くと、絹子の顔色がくもった。それがわかっただろうに彰良はふつうに棚を見まわす。

「何かほしい物は?」
「あ、いえ」
「ここまで来させたのは爺さまのせいだしな、何かお詫びに」
「そんな、もったいない」

 遥香は大あわてだ。喜之助に頼まれて来ただけなのに、本当に物を贈られるなんて。
 だがせっかくだからと彰良はゆずらない。ふと手にした(あんず)色の帯揚げは今日の淡萌黄(あわもえぎ)の着物に似合っていた。

「これは映えるな」
「そんな、着物だけでもありがたかったのに」

 その会話で彰良が反物も贈ったとわかったのだろう。絹子がフウと息をととのえたのがわかった。

「ごぶさたしております、芳川さま。お連れさまは可愛らしい方ですのね」
「ああ。家族に引き合わせるために連れて来た」

 それは嘘ではない。彰良の義理の父である芳川中佐に呼ばれて帝都に来たのだからその通りなのだが、どう考えても誤解を招く物言いだった。嫁入りの挨拶のようにしか聞こえないじゃないか。

「そう、ですか……おめでとうございます」

 ほら、やっぱり。
 なんだかとても悪いことをした気分になり、遥香は助けを求めて彰良を見る。だけど彰良は知らん顔で、むしろ大弱りの遥香がおもしろいのか、かすかに笑ったようだった。



「はい二人とも、いい仕事してくれました!」

 次の日、朝いちばんで小間物屋に顔を出した喜之助は、傷心でぎこちなく笑う絹子をなぐさめて男を上げてきたらしい。今日で横浜に戻るので求婚とまではいかないが、次につなげたいところだ。

「ほほえむ彰良なんて初めて見たって言ってたぞ。なにおまえ、そんな大盤振る舞いしたの?」
「そうだったか? 知らんな」

 笑顔というほどの笑顔ではなかったと遥香も思う。だがほんのりと笑った気はした。やはりあまり見せない表情なのか。

「遥香さん、ありがとな。帯揚げを買ってもらったそうでよかった、彰良もやるじゃねえか」
「……喜之助の差し金だろうが」
「俺は贈り物しろなんて言わなかったろ。それは彰良からってことで、俺からはまたあらためて礼を」
「金は出すぐらいのこと言わんのか」

 あきれ顔の彰良をヘヘンと鼻で笑い、喜之助はあっかんべした。

「坊っちゃんのくせにケチケチすんなよ。これを機におまえも女性の扱いを覚えればいいんだ。まあ遥香さんには失礼な言いぐさだけどさ」
「いえ……嬉しい、です」

 遥香は頬を染めながら小声で言った。恥ずかしいけれど、こんなに良くしてもらったのだから気持ちは伝えたい。
 ところで、今は方技部本部の前だった。横浜に帰る前にもういちど遥香に会いたいと、芳川中佐からの出頭命令なのだ。門を通りながら彰良がぼやく。

「爺さま、なんだってんだ」
「でも先日は、ほとんどお話をしていませんし。私のことをきちんと評価なさりたいのでは」

 帝都でのお清めには失敗しているので、その叱責ならば今のうちに受けなくてはならない。汽車に酔うのが嫌だし、何度も帝都に通いたくはなかった。

「お爺さま……ちょっと怖いですけど、がんばります」

 ぐっ、と顔を上げる遥香を彰良は見直した。一見にこやかな爺さまを怖がるとは、なかなか鋭い。
 半妖である彰良と遥香のことを中佐は厳しく観察している。と思う。少なくとも育てられた彰良はずっとそう感じていた。
 もちろん大事にはされてきた。血のつながる子や孫もいるのに、とても目を掛けてもらっている。だがそれは彰良の能力を買ってくれているだけなのだと考えて、甘えすぎないよう自戒してきた。
 実際に中佐には冷徹な部分もしっかりある。でなければあの地位にいることはできないだろう。彰良がもし人に害を為せば、魔物と認定し公平に討伐を命じるはず。

「篠田遥香、参りました」

 遥香は軽く扉を叩いた。入りなさいとの声に応えて洋風のノブを回すと、中には芳川中佐と、もう一人知らない人がいた。

「兄さん」

 彰良が驚いた声をあげる。家族なのかと遠慮して横にどく遥香の前に出て、彰良はきちんと礼をした。相手は真面目な顔で応える。

「彰良、たいへんな任務を与えてすまないな」
「兄さんこそ、関東一円を飛び回って忙しいだろうに」
「だから南の抑えはおまえに頼む」
「……なあ兄さん、稲荷を宿舎に置くのなら、俺が横浜に行くのはどうかと」

 そういえば先日も渋っていた。そこで遥香はハッとする。狐は狼が苦手だと言われているので、稲荷に失礼だと案じているのではなかろうか。なんて礼儀正しいひとなのだろう。

「おまえも細かいやつだな。気にするんじゃない、彰良は彰良だ。人員が不足しているから支部に置くのは少数精鋭がいいだろうが。ところで、そちらがうわさの人か」

 よくわからない時には黙っていよう。そう考えておとなしくしていた遥香のことを、兄と呼ばれた人はジロリと見た。おそらく三十代半ばほどで、隣の芳川中佐と良く似たおもざし――彰良と違い、血のつながった息子なのだろう。

「芳川(さとる)少尉だ。よろしく」
「篠田遥香と申します」

 そっと頭を下げた遥香を、悟はぶしつけにながめた。口調は丁寧だが明らかに値踏みし観察する視線で背中がもぞもぞする。

「私も君に会いたいと思ってね、横浜に帰る前に時間がとれてよかった」
「はい……」
「手短に訊こう。君の母上は妖狐だそうだな。その名前と、何か特徴があれば教えてくれ」

 とても事務的にそんなことを言われ、遥香は硬直した。今さら母のことなど――これはどう答えるべきなのか、困った視線は助けを求めて彰良に向かっていた。