三人とも言葉すくなく宿舎に帰りつき、遥香は部屋を割り当てられた。
 素っ気ない板の間には布団しかない。それが軍隊式なのか陰陽師風なのか、遥香にはわからなかった。並びの部屋には彰良も喜之助もいるから安心してくれと言われて朝までの別れを告げる。
 寝間着に着替え、布団の上で遥香はぐるぐると考えていた。

 ――彰良は、人ではないのだろうか。
 妖怪たちが力を使う時と同じような、魔のもの独特の気配。それをあの剣から感じたのは何なのか。
 遥香自身がまとう蒼い光に通じる、彰良の緋い炎。それが意味するのは――。

「あなたも、何かの血を引いているんですか……?」

 つぶやいて、遥香はまた胸を押さえる。ドキドキと鼓動が速かった。
 ――そう考えれば辻つまが合う。
 彰良は生まれながらに異能があって村にいられなくなったとか。それは魔物を親に持つからなのでは。「半妖だというなら何らかの異能があってもおかしくない」と彰良は言ったことがある。あれはきっと自身を引き合いに出したのだ。
 横浜に彰良を配属するのは、もし遥香が魔物と化した場合に同じ半妖なら抑えられるだろうから。だが半妖二人を本部から切り離すことへの懸念から、彰良はその辞令をためらったに違いない。
 喜之助や山代、芳川中佐が狐の娘という遥香をあっさり受け入れるのも、彰良の前例があるから。そして彰良が半妖の遥香を何かと気づかってくれるのはきっと、同じ境遇への共感だ。
 ――つまり、ただの同情。

「私だから……じゃないんですね」

 そんな場合ではないのに、考えてしまった。
 何をばかなことを。彰良が遥香のことなど何とも思ってくれるわけないのに、うぬぼれないで。
 わずかでも期待していた自分に気づき、情けなさに遥香は泣いた。




「――松の枝のことは、揉み消しておいた」

 山代は机の向こうで重々しく言った。
 昨夜の件で呼びつけられたのだが、慇懃に頭を下げる彰良の後ろで遥香は小さくなっていた。自分がちゃんとしていれば彰良が剣をふるうこともなかったと思うと申し訳ない。

「植木屋を手配するかと訊いたらペコペコと固辞したそうだ。まあ()り殺されるところを救ってやったんだしな」
「お手数おかけしました」
「何度やれば気がすむんだよ……」

 形式的な謝罪にため息をつく山代の言い方に遥香は目を丸くした。あんなことがよくあるのか。

「おまえが持ってるの、官給品の普通の剣だろ?」
「そうです」
「何で松がスッパリ斬れるのか教えてほしいんだが」

 松だけじゃない。彰良はこれまでにもお屋敷の板塀だの、寺の瓦屋根の端だのを斬ってきた前科者なのだそう。

「――そういう力だから、としか」

 その答えに山代はハハハと乾いた笑いをもらした。

「まあ働いてくれるのはいいんだが……」
「被害を広げるな、ですね」
「わかってるなら自重(じちょう)しろ」

 同時に遥香の失態も叱責されているはずなのだが、これまで知らなかった彰良のようすを耳にして何だか胸がざわついた。
 彰良の何かしらを聞けるのは嬉しい気もする。でも「そういう力」と言われてギクリとした。彰良の異能を半妖だからと推測したのは当たりなのだろうか。



 山代の執務室から放免されて、遥香はもじもじしていた。これからどうすればいいの。
 今日はもう仕事がない。でもまだ横浜には戻らないそうだ。なのにここではいつものように家事ができるわけでもない。
 それに、彰良とどう接すればいいのかわからなかった。「ご両親はどんな生き物ですか」などと訊くわけにもいかないし。
 遠慮がちな態度でうつむいている遥香を見て、喜之助は察したのかもしれない。よし、と決意したようにふり返った。

「俺、ちょっと小間物屋に行ってくる」
「……ああ、誰だかのところか」
「絹子ちゃん! 横浜に引き離されるなら、早く何とかしねえとな」

 キリリと引きしまった表情で喜之助は唇を結んだ。そして彰良に耳打ちする。

「だからおまえら二人で話せ。遥香さん、ゆうべからようすがおかしいし絶対気づかれてる。もう本採用なんだし、教えてもいいんだろ」
「……わかった」

 じゃな、と行ってしまう喜之助を見送り、遥香はまた動悸が激しくなっていた。
 今、チラと遥香に目をやりながらささやき合ったのは何だったのか。かすかに彰良もうなずいていて、遥香は息の吸い方を忘れそうになった。

「……おい」
「はい!」

 彰良は迷うように遥香を見る。
 呼びかけたのは、いつもの「おい」。彰良は「おい」「おまえ」「こいつ」としかいってくれず、遥香という名を口にしたことはなかった。だけど遥香だって、彰良にも喜之助にも「あのう」としか呼びかけたことはないからおあいこだ。

「おまえには言っていなかったが――もう、わかってるな?」
「え、あの――」
「俺が、おまえと同じだということだ」

 彰良はいつもの無表情で、いつもと違う話をはじめた。
 同じ――つまり彰良も、半妖だと。
 返事のできない遥香をうながして、彰良は歩き出す。いくら方技部とはいえ、ここで話すことでもなかった。半妖など、この準特務機関にあっても他にいない存在なのだから。

「――俺の父親は、狼だ」

 外に出て、宿舎の方へ向かいながら彰良は結論をあっさり告げた。

「おおか、み――」
「会ったことはないが。山を統べる大神(おおかみ)だそうだ。母親はふもとの村の生まれでな」

 ある時、狼が信仰されている山の一部が崩れた。土と岩が村を襲い、大きな被害が出たそうだ。
 村人たちは神の怒りかと畏れ、生け贄をささげることにする。選ばれたのが村の娘、小雪――彰良の母となる女だった。

「いけにえ――?」

 遥香の息が苦しくなる。彰良の年齢から考えれば、それはもう明治になったころではないのか。

「時代が移っても人の心など変わらない。神を畏れるのは仕方のないことだ。その神と呼ばれるものが何だろうと、人は弱い。機嫌をうかがい生きるしかなかったんだろう」

 彰良の目は暗い。これは遥香が聞いていい話なのだろうか。遥香は胸もとで手をぎゅっと握りしめて耐えながら歩いた。

 小雪が山へ行ってから、さらなる山津波などはなかった。鎮まったかと村人が安堵していると、一年半ほど経ったころに小雪は帰ってきたのだそうだ。大きな腹を抱えて。てっきり死んだものと思われていた生け贄の娘が孕んで戻り、村は大騒ぎになった。
 大神――狼の子なのか。それを産むというのか。そんなことが許されるのか。
 村を出て以来どう暮らしていたかを小雪は何も話さない。神の世のことを話してはいけないのかもしれなかった。仕方なく村人たちは小雪を座敷に押し込め、月満ちるのを待った。

「そして産まれたのが、俺だそうだ」