「――はぁ……はぁ……」

 クレイダーの二両目に飛び乗ると、クロルは肩で息をしながら客室の扉を閉めました。

「……ごめん。私、なにかまずいこと言ったかな?」

 横で、リリアが申し訳なさそうに尋ねます。
 クロルは息を整え、首を横に振り、

「……いいや。君は何も、間違ったことは言っていないよ。ただ……」
「ただ?」

 首を傾げるリリアに、クロルは小さく笑い、

「……ほとんどの人は、『ありのままの自分を受け入れてほしい』と思っているんだ。だからこうして、生きやすい街に集まっている。自分を否定されることは怖いけれど、自分が自分でなくなることも怖い――そういう二律背反を抱えた生き物なんだよ、人間って」

 そう、穏やかな声で言いました。
 それに、リリアが「にりつはいはん?」と聞き返すので、クロルは困ったように笑い、

「とりあえず……お茶を飲み直そうか」

 と、一両目の彼の部屋へとリリアを誘いました。



 コンロでお湯を沸かし、紅茶を淹れ……
 二人は、窓際に置かれたテーブルへと座ります。

「最後はバタバタしちゃったけど……初めての街はどうだった?」

 紅茶を一口啜った後、クロルにそう聞かれ、リリアは少し考え込みます。

「……街の人たちが、私のことを『一人の人間』として扱ってくれたことが、すごく新鮮だった。この羽を見て『綺麗』とか『可愛らしい』とか言われるとは思っていなかったから……私、何て返したらいいのかわからなかったよ」

 その言葉にクロルは、訪れる店のあらゆる店員さんに羽のことを褒められ戸惑っているリリアの姿を思い出します。
 リリアが「それに……」と続けます。

「この街に住んでいる人と話ができたのも、よかった。こんな考え方があるんだって、知ることができた。本当に違うんだね。街によって、考え方や文化が」

 そう言いながら、リリアは自分が逃げ出してきた隣街のことを思い出します。

 きっとあの街の人々も、普通にお買い物をしたり、食事を楽しんだり、友人と談笑していたのでしょう。
 ただ一つ違うのは、"信じるもの"がないと不安で生きられない人たちだということ。
『天使さま』を信じていれば全てが上手くいくと、そう信じていなければ生きていけない、そんな人たちが住む街だったのです。

 それはある意味では、生きるのに必要なことなのかもしれません。
 人間同士が争わずに一つのコミュニティで生きていくためには、共通の思想が必要です。
 それが様々な形で現れたのがこの三百六十五箇所の街なのだと、リリアは理解しました。

 彼女は一度、カップに口をつけてから「でも……」と切り出し、

「私は、この街には住めないなぁ。さっきクロルが教えてくれたように、自分を変えることを恐れている人たちが住む街なら……私には合わないから」

 と、カップの中の紅茶を見つめながら、静かな声で言いました。
 その瞳には、『羽をなくして普通の人間になる』という強い意志が見えます。

 だから、
 
「リリアは……今の自分が、好きじゃないの?」

 クロルは、静かな声音でそう尋ねてみました。
 リリアは「うーん」と腕を組み、暫し天井を睨み付け……

「この羽は好きじゃない。けど……勇気を出してこの列車に飛び乗った自分は好き、かな」
「そっか……きっと多くの人が、リリアと同じなんだよ。好きな自分も、嫌いな自分もいて。それは時と場合によって変わることもあって。だから人間は、様々なルールを持つ街を造ったんだ。"好きな自分"でいられる場所で、周りと争わずに生きていけるようにね」
「……私も、"好きな自分"でいられる街を見つけられるかな?」
「きっとね。実は、リリアが気に入るんじゃないかなって思う街が、一つだけあるんだ」
「えっ、ほんと? それってどんな街?」

 リリアはテーブルに手をついて立ち上がり、身を乗り出して尋ねます。
 しかしクロルは、口元に指を当て、

「内緒。まだちょっと遠いから。それまでに廻る他の街を見て、君が降りたいと思うのなら、それはそれでいいと思うしね」
「むぅ……気になるぅ」
「あはは、ごめんね。けど、その街なら本当に、君が君らしく生きることができるんじゃないかな、と思うんだよ。だから……」

 クロルは、彼女の真っ白な羽に目を向けながら、

「……その街に着くまでは、どうかその羽を、残しておいてほしいんだ」
「え……なんで?」
「……だって」

 クロルはふわりと、優しく微笑んで――


「――その羽も含めて、リリアじゃないか。こんなこと、簡単に言うべきじゃないかもしれないけれど……僕は好きだよ。君のその羽。真っ白で、綺麗で」


 ……そんな風に言われ。
 リリアは、頬を赤く染めます。
 クロルは照れ臭さを感じながら、こう続けます。

「だからって、リリアのことを『天使さま』扱いするつもりはないよ。ただ、大事なお客さんで、とても素敵な一人の女の子だと思っているから……階段を降りる時には、手を差し伸べたいんだ。今朝のあれは、そういう気持ちでやったことなんだよ」

 その言葉に、リリアは今朝のことを思い出します。
 客室を降りる時、クロルがしてくれた親切に、意地悪な態度を取ってしまったことを。

「あ……あの時は、ごめんね」
「いや、僕の方こそごめん。君に謝らせたくて、こんな話をしたわけじゃないのに」
「……そっか。たしかに、こういう時は『ごめん』じゃなくて、こう言うべきだったね」

 リリアは一度、大きく深呼吸をします。
 そして――


「――……ありがとう、クロル」


 はにかんだ笑みを浮かべ、そう言いました。
 その笑顔が、百合の花のように綺麗で……クロルは思わず目を細めながら、「どういたしまして」と答えました。

「ねぇ、クロル。これからも、いろんな街を案内してくれる?」
「もちろんだよ。あさって着く街にも、一緒に降りてみよう」
「うん! 次の街はどんなところなの? 教えて教えて!」

 キラキラと輝くリリアの瞳に、クロルは眩しさを感じながら……
 次に列車が停まる街について、ゆっくりと語り始めました。