「――……い……おい! 君!」

 誰かが、僕の身体を強く揺する。

「……ん……」

 目を覚ますと、腕が痺れていた。
 どうやらブランコにうつ伏せになりながら眠っていたらしい。

 声の方を見上げると、口髭をたくわえた初老の男性がこちらを覗き込んでいた。

「君、大丈夫かね? お家の人は? どこか具合でも……」

 もうとっくに日が昇っていたようで、辺りが眩しい。
 僕は目を擦りながら周囲を見回すと……

 その男性の後ろに、たくさんの子どもたちがいた。

「う……うわぁぁああっ!」

 思わず後退りして、尻餅をついた。
 こんなに大勢の人を目の当たりするのは初めてだったから。

 その時、地面にへたり込んだ弾みで、肩から掛けていたコートが外れた。すると……

「きゃぁあああああっ!」

 子どもたちから悲鳴が上がった。
 僕はますます恐ろしくなって、身体を強張らせる。

「こ、この子……羽が生えてる……!」
「しかも真っ黒……!」
「俺知ってるぜ! これって……」


「「悪魔だ!」」


 僕を囲む複数の子どもたちが、一斉に言い放った。

 目の前の景色が、ぐるぐると回る。
 恐怖と緊張で、吐きそうになる。
 全身から冷たい汗が噴き出し、呼吸がどんどん荒くなる。

「な、なんで有翼人がこんなところに……この街には一人もいないはず……」

 初老の男性が困惑した様子で言った、その時。
 僕は、僕を指さす子どもたちの向こうに……
 この世界で唯一、知っている人の顔を見つけた。

「か……母さん……」

 僕のその呟きに、そこにいる全員が一斉に振り向いた。
 そこにいたのは――仕事着に身を包んだ、僕の母親。目の下にクマを作り、とても疲れた表情をしていた。

「カトレア先生……この子をご存知で?」

 初老の男性が、母さんに向き直って尋ねる。
 母さんは僕に気付くと、青白い顔をさらに青くして、

「あ……いや、私は……その……」

 と、口籠もりながら後退る。
 男性がさらににじり寄り、

「そういえばこのコート、カトレア先生のものとよく似ていますね? まさか、ですが……」

 ザッ――と、子どもたちも全員、母さんの方を向いて、

「あなた……我々に何か嘘をついているのですか? この街で嘘をついたら……わかっていますよね?」

 その異様な雰囲気に、母さんは汗を流しながら息を詰まらせる。
 怯えているのか、身体がガクガクと震えている。


 なんだよ、これ……なんでみんな、こんなに怖い顔をしているの?
 確かにここは、嘘をついてはいけない街。
 だけど……

 嘘がバレてしまった人間は……一体、どうなるの……?


 と、朦朧とする頭で懸命に考えていると……


「いやぁーすみません。それ、自分が連れてきた子です」


 突然、そんな声が聞こえてきた。
 母さんの後ろを見ると、キャスケット帽を被ったつなぎ姿の男が、猫背気味に立っていた。母さんと同じくらいか、少し年上か。焦げ茶色の長髪を背中の辺りで一つに結んでいる。

「あなたは……クレイダーの運転手さん?」

 現れたその男に、初老の男性は不審な目を向ける。しかし、キャスケット帽の男は飄々とした態度で、

「そうです、昨日の便で来ました。そいつ、他所の街から乗って来た子なんすけど……夜中に抜け出して、ここで遊んでいたみたいっすね。もー、駄目だろー? 勝手に入ったらー」

 まったく緊張感のない、棒読みな声でそんなことを言う。
 もちろん僕はこんな男の人、知らない。
 けれど、母さんの表情と、男の口ぶりからわかった。
 この人が、僕を引き取る予定の人物なのだと。

「なんだ……そうでしたか。どおりで見たことのない子だ」
「そうでしょうそうでしょう。この街では一度も見たことがないでしょう」

 初老の男性の言葉に、キャスケット帽の男は肩を竦めて笑う。
 そして、そのままひょいっと僕を担ぎ上げ、

「じゃ、そういう事なんで。あー、カトレア先生……でしたっけ」

 男は、母さんの方を振り返る。
 母さんは、緊張した面持ちでこちらを見つめていた。

「すみませんでしたねぇ、変な疑いをかけさせてしまって。危うく"嘘つき"になるところでしたね。はっきり言っておいた方がいいんじゃないですか? あなたはこの子と、何の関係もないって」
「…………」

 男が、今までとは違う、低く暗い声で言う。
 母さんは、額に汗を浮かべながら俯く。
 続く言葉を、その場にいる全員が待っていた。


 ……いやだ。そんな言葉、聞きたくない。
 わかってる。わかっているから。
 母さんの望む通り、いなくなるから。

 だから……その言葉を、どうか口にしないで。


「…………ません」

 ……そう、願ったのに。
 母さんは、顔を上げ、


「……こんな子………………私、知りません」


 僕を見つめながら、はっきりと。
 そう、言った。

 その時、「カシャン」と音を立てて。
 僕の中で、何かが壊れる音がした。



「……じゃ、そういうことなので。お騒がせしましたー」

 男は、学校の外へと歩き出す。
 僕は肩に担がれたまま後ろを振り返り、もう一度母さんを見た。
 母さんは、じっとこちらを見てから……気まずそうに、視線を逸らした。

「…………いやだ」

 僕は、力の入らない手足をじたばたさせて、

「いやだ……母さん! 母さん!!」

 そう叫んで、暴れてみる。
 すると男は、躊躇いもなく僕を地面に放り投げた。
 背中を打ち付け、一瞬呼吸が止まる。
 うずくまる僕に、男はしゃがんで、

「こぉら坊主。その辺にしておきなさい。でないと、この街で嘘をついた人間は……」

 倒れたままの僕の胸ぐらを、ぐいっと持ち上げ、


「――死ぬよりひどい目に合わされるんだぞ……? だから、嘘はここまで。……わかったな?」


 軽い口調とは裏腹に、鋭く目を細め、そう言うので……
 僕は恐ろしくなって、暴れることも叫ぶことも諦めた。


 再び肩に担がれて、母さんからどんどん離されていく。
 母さんはもう、僕のことを見ていなかった。
 周りにいる子どもたちに、優しい笑顔を向けている。

 ……なんだよ、それ。
 なんでそんな顔、できるんだよ。
 なんでその笑顔を、嘘でも僕に向けてくれなかったんだよ。
 嘘つきのくせに。

「……嘘だ……嘘……全部……うそ……」

 僕の口から溢れるその呟きは、もう母さんの耳には届かなかった。