「――ねぇねぇ!」


 すべての授業を終えた放課後。
 子どもたちが帰り支度をする中、鞄を持ったキリクがクロルたちの元に駆け寄って来ました。

「二人とも、この後時間ある? よかったら、僕らがいつも遊んでいる場所に案内するよ!」

 その提案に、クロルとリリアは顔を見合わせてから、ポックルの方を見ます。
 午後もずっと机の上で寝ていたポックルは、その視線に気付くと、

「……好きにすればいいニャ」

 と、ぶっきらぼうに言いました。
 ポックルのお許しをもらえたリリアは、ワクワクした声音で尋ねます。

「遊びって、いつも何しているの?」
「最近は学校の裏の森にみんなで秘密基地を作っているんだ。もうすぐ完成するんだよ」
「ひみつきち?」

 リリアはいつものように答えを求めてクロルの方を見ますが、彼もピンときていない様子で、

「その基地は、何をするための場所なの?」

 と、珍しく質問を返しました。
 キリクはきょとんとした顔をして、

「何って……中に入って遊んだり、みんなの遊び道具を隠しておいたりするんだよ。実は僕ね、そこに漫画を隠しているんだ。学校に持って行くと怒られるし、家で読むと母ちゃんがうるさいからさ」

 そう言って、キリクは悪戯っぽく笑いました。
 リリアはその台詞を聞くなり身を乗り出し、

「まんがってあの、絵で物語が描いてあるっていう本? 私、一度でいいから読んでみたかったの!」
「えっ、漫画を読んだことがないの? じゃあ僕のを貸してあげるよ!」
「本当? クロル、貸してくれるって! その秘密基地ってところに早く行ってみようよ!」

 リリアが目をキラキラさせながら言うので、クロルも微笑みながら頷きました。



 ――キリクは二人と一匹を外へ連れ出すと、学校の真裏に広がる森の中へと案内しました。
 木の根があちこちに張り巡らされ、土と苔の匂いの立ち込める、自然さながらの森でした。

 キリクが言ったように、この街は他と比べて人口が少ないため未開拓の土地が多いのだと、クロルは思います。
 人々が暮らす居住地域はクレイダーの駅の周りに集中し、他は手付かずの森が広がっているようでした。

 森の中を十分ほど進むと、大きな樫の木が現れました。その下に、木の板や石を積み上げて作った小屋のような物が見えます。

「ほら、あれが僕らの秘密基地だよ!」

 リリアとクロルが近付いて見てみると、小屋の中は子ども三人がやっと入れるくらいのスペースになっていて、バットやボールなどの遊び道具が置いてありました。上部には木の枝と葉っぱを組み合わせた屋根まで付いています。

「今日はまだ誰も来ていないみたい。好きに見てくれていいよ」

 キリクに言われ、リリアとクロルは初めて見る『秘密基地』を興味深そうに眺めました。ポックルはと言えば、所在無げに辺りのにおいをふんふん嗅ぎ回っています。
 すると、

「……あれ? あれぇ?」

 秘密基地の中をガサゴソと漁る音と共に、キリクの困った声が聞こえました。

「ない……僕の漫画がない! 昨日確かにここに置いておいたのに!」
「ええー!」

 キリクの叫びに、リリアが落胆混じりの声を上げます。
 クロルも基地の中を見回しますが、本のようなものは一つも見当たりませんでした。

「他の友だちが持っているとか?」
「勝手に持っていくなんてこと、しないと思うけど……」

 三人が基地の周りを探し、歩いていると、

「――あ。あれって……」

 クロルは、秘密基地の裏側……森をさらに奥へと進んだところに、一人の人影を見つけました。その姿には、見覚えがありました。
 キリクもそれに気付き、目を細めてそちらをじっと見つめます。

「……ん? ウドルフじゃないか。あんなところで何してんだろ」

 それは先ほどまで同じ教室で授業を受けていた、あの勝気そうな少年でした。切り株に腰掛け、手に持った何かを眺めているようです。
 一行がそちらへ近付いていくと、

「あーっ! それー!!」

 突然、キリクがウドルフを指差し、声を張り上げました。
 それに、ウドルフもようやくこちらに気が付いたようで、驚いてキリクの方を見ます。

 キリクはウドルフに駆け寄り、彼が手にしている物……一冊の本を指差したまま、

「それ、僕の漫画!!」

 そう叫びました。
 するとウドルフは、鬱陶しそうな表情で言い返します。

「ああ? なんだよ、いきなり」
「秘密基地の中から盗んだんだな?! 僕のなんだから返してよ!」
「盗んでなんかいない、これは拾ったんだ。変な小屋があったから覗いてみたら、たまたまこれが落ちてたんだよ」
「落ちてた?! 違うよ、大事に隠しておいたんだ!」
「ギャーギャーうるせぇな。だいたい、お前のモンだって証拠でもあんのかよ?」
「しょ、証拠……」

 体格の良いウドルフが立ち上がり、ずいっと顔を近付けてきたので、キリクはすっかり弱腰になってしまいました。
 その様子を、リリアは冷や冷やと見つめています。

 しばらく睨み合った後……ウドルフはばっと離れ、

「フン。返せって言うんなら、力ずくで取り返してみな!」

 そう言って、本を持ったまま森の奥へと駆け出しました。

「あっ、待て!」

 キリクも慌ててそれを追いかけます。リリアとクロルと、いちおうポックルもそれについていきます。

「もうっ、なにアイツ!」

 走りながら、リリアが頬を膨らませて憤ります。
 しかし、キリクは弱々しい声音で、

「ウドルフはクラスで一番……ううん、学校で一番運動神経がいいんだ。かけっこじゃ勝てたことなんてないよ」

 そうこぼしました。
 確かに、木の根でボコボコしている森の中を、ウドルフは意に介さずひょいひょいと進んで行きます。キリクたちは時々転びそうになりながらやっとの思いで走っていたので、どんどん差を広げられてしまいました。

 やがて、少し先に、樹木の生えていない拓けた場所があるのが見えてきました。まるでスポットライトに当てられているかのように、そこだけ日の光が明るく差し込んでいます。
 その明るく拓けた場所に、ウドルフが仁王立ちになって待ち構えていました。よく見ると、彼の立つすぐ横の地面には大きな穴が空いています。

「僕の漫画を返せ!」

 追い付くなり、キリクが息を荒らげて言いました。
 しかし、ウドルフは軽く鼻を鳴らし、

「だぁから、これは落し物なんだって。落し物は落し物らしく……」

 ニタッ、と意地悪な笑みを浮かべ……

「……こうして、ここに落とすことにする」

 漫画本を掲げると、すぐ横に空いた穴の中へ、落としてしまいました。

「ああっ、僕の漫画が!!」

 キリクが地面に手をつき、淵から穴を覗き込みます。
 しかし、どれほど深いのか、穴の中はただただ真っ暗で、底などまったく見えませんでした。
 ウドルフは「ギャーッハッハ!」と笑って、

「本当に自分のモンなら、穴に入って取ってこいよ!」

 挑発するように言い残し、元来た方へと笑いながら去って行ってしまいました。

「あいつ、ほんとにむかつく!」

 リリアは去りゆくその背中を睨みながら歯を軋ませます。クロルは、項垂れたままのキリクに「大丈夫?」と声をかけますが、

「僕の漫画……お小遣い貯めて、楽しみに買ったやつだったのに……っ」

 キリクは、地面についた手をぎゅっと握ると、ポロポロと泣き出しました。
 クロルもリリアも、何と声をかけるべきかわからず、キリクの震える羽と真っ暗な穴を交互に見つめていました。
 ……すると、

「まったく(ニャさ)けニャい。おれが入って、取って来てやるよ」

 ポックルがため息混じりにそう言いました。
 キリクは顔を上げ、そちらに振り向き、

「えっ、できるの?!」
「造作もニャいことニャ。猫サマは高いところからの着地がトクイだからニャ」
「すっげー! 猫サマー!!」

 キリクは涙も吹き飛ぶ勢いで目を輝かせます。リリアも「おぉーっ!」と手を叩くので、ポックルは得意げに二本足で立ち、胸を張りました。

「そこで待っているがいい。すぐに戻るニャ」

 と、格好良く穴に飛び込もうとするので、

「待って、ポックル。入るのはいいけど……」

 クロルが手を伸ばし、それを止めようとしますが……時既に遅し。
 ポックルはぴょんとジャンプをして、穴の中に姿を消してしまいました。

 リリアとキリクが「よかったね!」「うん!」などとにこにこ笑っていますが……クロルは心配そうに、穴の中を覗き込みました。