案内されたのは、街の中心にある一際大きなお屋敷でした。
鉄で出来た大きな門……の下の方に猫用の出入り口があり。
よく手入れされた広い庭を抜けると、木製のこれまた大きなドア……の下にはやはり猫用の出入り口があるのですが、とにかく立派な造りでした。
ポックルとそのお手伝いさんを名乗る女性に促され、クロルとリリアはお屋敷の中へと入ります。
そしてすぐに、「わぁ……」と感嘆を漏らしました。広々としたエントランスの床は大理石で、天井には豪華なシャンデリアが輝き、正面には二階へと上がる階段があります。
さらにお手伝いさんがもう二人現れ、階段を上るよう案内しました。
高級そうなのに、至る所に爪研ぎの痕が見られる壁や絨毯を眺めつつ、クロルとリリアは二階の中央の部屋に辿り着きました。
「――寝室にご案内してよろしいのですか?」
と、お手伝いさんの一人が尋ねると、ポックルは「いいから開けろ」とそっけなく答えました。
そして、お手伝いさんが一人ずつ左右の扉を引き……彼の部屋の全貌が見えてきました。
真ん中に大きな天蓋付きのベッド。
その右横には、高い天井まで届くキャットタワー。
左横にはグニャグニャと曲がった猫用トンネル。
手前にはテーブルやソファがあり、壁には猫が登れるような出っ張りがいくつも付いています。
天井の一部がガラス窓になっていて、日当たりも最高です。
そして何より目を引くのが、正面の壁にどどんと飾られた巨大なトラの絵。
まさに猫の、猫による、猫のための部屋でした。
「ま、座れニャ」
ポックルがソファを顎で指すので、クロルとリリアは呆気に取られたまま、大人しく従いました。
「飲み物は……ミルクしかニャいが、いいか?」
二人が頷くと、お手伝いさんの一人がお辞儀をして部屋を出ていきました。
「さぁて、旅人よ。この街に来るのは初めてかニャ?」
ポックルは自分専用と見られる一人掛けのソファに座り、尋ねます。
リリアが「うん」と答える間に、一人のお手伝いさんがポックルの毛をブラッシングし、もう一人が前足の爪にヤスリをかけ始めました。
その光景を、クロルたちがなんとも言えない表情で見つめていると、ポックルは「ニャッハッハ!」と笑い、
「猫のくせに生意気だ、なんて思っているのか? ま、他所者はそう思うのが普通だ。だが、これはニャにもおれたちが無理矢理やらせていることではニャいんだぞ? こいつらがやりたくて、勝手にやっていることニャんだ」
そう言って……この街の歴史について、語り始めました。
♢ ♢ ♢ ♢
――百年ほど前まで、この街は単なる"猫好きが集まる街"でした。
街への移住者が飼い猫と一緒にやってくるので、人口と比例し、猫の数もどんどん増えていきました。
その中でだんだんと「猫にとって住み良い街づくりをしよう」という動きが活発になり、「猫のために」という気持ちがエスカレートし……
それがやがて"猫のために尽くす街"になっていったそうです。
人の言葉を話せる猫が現れ始めたのも、ちょうどこの頃でした。
それが一匹、二匹と増え続け、最終的には街の全ての猫が人語を操れるようになったのです。
言葉を獲得した猫たちはより具体的に要望を伝えることができるようになり、人間たちも喜んでそれに従い続けている――というのが、この街の現在なのだそうです。
♢ ♢ ♢ ♢
「――元々この屋敷は、街の領主であるステュアートというニンゲンの物だったんだが……そいつが死んでからは、その飼い猫だったおれのひいひいひいじいさんが屋敷ごと領主の座を引き継いで、以来、おれみたいな"猫の領主"が代々続いているんだニャ」
ポックルの言葉に、クロルとリリアホットミルクを飲みながら耳を傾けます。
「元は愛玩動物だったのに、今では主従関係が完全に逆転している……こんニャ生意気な小動物に文句を言わず従っているのだから、ニンゲンの考えはわからん。おれたちに尽くすことがそんニャに楽しいのか?」
その台詞に、両脇のお手伝いさんが「はい」と答えます。ポックルはため息をついて、
「はぁ……まぁいい。お前たち、下がるニャ」
そう言うと、両脇でお世話をしていたお手伝いさんたちが頭を下げてから退室しました。
「――さて、この街の成り立ちはこんなかんじニャんだが……」
ポックルはあらたまった様子で、クロルたちに向き合います。
「……どうだ? お前らもここで暮らしたいと思うか? 可愛いおれたちを存分に愛でることができるこの街に」
と、挑戦的な視線をこちらに向けます。
クロルにはリリアが何と答えるのか、なんとなくわかっていました。
そしてその予想は、おおむね当たりだったのです。
リリアは、ひょいっと肩を竦め、
「全然。ていうかあなた、なにもかも人にやってもらって、それでいいわけ? 自分の力で生きる自由もないなんて、私はもう御免ね」
さっぱりと、そう言い捨てました。
想定していたよりも遥かに歯に衣着せぬ物言いだったので、クロルはポックルの反応が心配になりました。
ポックルは、電流が走ったかのように毛を逆立て、口を開けてわなわなと震え出し……
「ニャ……ニャ……ニャ……」
うわぁ、怒鳴られるかな。
と、クロルが身構えていると……
「お、お前……おれの気持ちがわかるのか……?! そうニャんだよ! こんニャ不自由ニャ生活、もううんざりニャんだニャァア!!」
予想に反してポックルは涙を流し、わんわん……否、ニャンニャンと泣きだしました。
「な、なんで泣くの? ごめん! ごめんね!」
リリアは慌ててポックルの側に行き、宥めます。
ポックルはぶんぶんと首を横に振って、
「違うニャ……感動しているのニャ! そんな風に言うニンゲン、初めて会ったから……」
前足で両目を覆いながら言うので、リリアとクロルは顔を見合わせました。
……しばらくして。
少し落ち着いたポックルは、ソファの上に仁王立ちし、すぅーっと息を吸ってから、
「おれは好きでこんニャ生活を送っているんじゃニャいんだ! 元領主の飼い猫の子孫だからって、勝手に祭り上げやがって……この街のニンゲンはみーんニャ、頼んでもいニャいのに食事の世話から下の世話まで全部やろうとしやがる! おれはもっとこう、縄張りを争って戦ったり、自分で獲物を狩ったり、好きニャところにマーキングしたり……そういうワイルドニャ生活を送りたいんだ! かつて存在した、このトラのようにニャ!!」
と、壁のトラの絵を指しながら力強く言います。
そして今度は、自身の前足を見つめながら、わなわなと震え、
「おれの中の"何か"が、『このままではいけニャい』と囁くんだ……外へ出て、自分の力で縄張りを勝ち取れって。その爪で、獲物を捕らえろって……」
「それは……"本能"ってやつかもしれないね」
そこでクロルが、静かな声音でそう言いました。
ポックルが「ほんのう……?」と聞き返します。
「うん。誰に教わった訳でもないのに、何故か身体が知っている『こうしたい』っていう衝動のことだよ。ポックルはきっと、野生の"本能"が強いんだね」
そう言われ、ポックルは何度も頷きます。
「それだ。その"本能"ってやつだ。ニャんだかすごく合点がいったニャ!」
そこでリリアが唐突に、ポックルの前足をぎゅっと握ります。
そして、熱のこもった目で彼を見つめ、
「ポックルの気持ち、すごくよくわかるよ。私も同じ。ただの人間なのに特別扱いされて、屋敷に閉じ込められて、自分の意志じゃ何も出来なかった……辛いよね、苦しいよね」
その言葉に、ポックルはまた目に涙を浮かべ、
「娘……そうか、ニンゲンにもいろいろあるんだニャ。お前も大変だったんだニャ……!」
一人と一匹は「うわーん!」と抱き合い、泣き出しました。
彼らが落ち着くまで、クロルはそっと見守りました。
そして……ポックルは、鼻水をずびびーっとすすって、
「……お前ら、名前は?」
あらためて、そう尋ねました。
「クロル」
「リリアだよ」
二人がそれぞれ答えます。
「そうか。クロルとリリア――お前らを見込んで、頼みがある」
ポックルは、真剣な眼差しで二人を見つめると、
「おれを、クレイダーに乗せて……この街から連れ出してほしい」
低い声で、そう言いました。